聖夜の宴会「セット」

 メリークリスマスな冬休み初日。


 これといって誰かといちゃいちゃする予定があるはずもなく、俺は昨日に引き続き霜平の住む高級マンションに来ていた。

 勿論勉強の為である。霜平といちゃつく、なんて予定はこの先ずっと無い。多分。


 終業式の昨日、うどんを平らげた後の勉強で、俺は度肝を抜かされた。

 悔しいが認めざるを得ない。霜平は天才だった。


 頭が良いのはもちろん、その教え方が尋常ではなく上手い。

 今まで異国語にしか見えなかった数学の文字列も、霜平の分かりやすい説明の後だとまるで頂上まで一本道の山道に感じられた。

 あとはそれを正しい呼吸とペース配分で上るだけ。


 そうか、数学って登山だったのか。 (違う)


 それにしても普段だらしない口調のあんぽんたんが、ここまで頭が良いのには心底驚いた。

 問題文をチラ見しただけで微積分をパッと暗算するなよ。脳内に関数電卓でも埋め込まれてるのか?


 てな感じで宿敵数学Ⅲの微分積分に兆しが見えたところで昨日が終わり、続きを本日やるとのことで昼からここに来たのだが……。


「彩乃! 冷蔵庫からオレンジジュースを持って来てちょうだい」

「はい、お姉さま」

「あ、凛堂部長さん、そのチキンまだ生焼けだから、僕もう一回一ノ瀬さんに焼いてもらうよう頼んでくるよ!」

「……そう? ミディアムレアをマスターに届けようと思った」


 なんでお前らが居るんだよ!!


「賑やかでたのしいねぇ? 然愛もあちゃんも彩乃ちゃんも、さくらちゃんも沙織ちゃんも、凛ちゃんも、みーんな可愛くて楽しそうで、先生幸せだわぁ」

「さいですか」


 どうやら、チョコレート部の活動として、クリスマスパーティなるものを霜平宅でやることになっていたらしい。

 例によって、俺には何も知らされていない。連絡網ちゃんと築いとけよ、顧問。


 大きなテーブルに広げられているクリスマスチックな料理の数々を囲って楽しんでいるチョコレート部の面々。

 一ノ瀬はキッチンで料理をしているらしい。え、アイツツンデレテンプレのくせに料理できるの、意外、ポイント高い。


「でもでも、氷花ちゃんはこっちに集中よぉ? はい、次は数列の極限から教えるから」


 残念ながら俺にはパーティを楽しむ権利はないようだった。

 俺だけ離れた場所で組み立て式の小さなテーブルに教科書とノートを乗せて、霜平の指導の下カリカリとシャープペンシルの芯を減らす作業しかしていない。

 

 楽しむのは勝手だが、せめて別の場所でやってくれよ……楽しそうに料理やケーキを食べている姿など目の毒以外のなにものでもない。

 俺にもチキンを食わせてくれぇ。……あ、ちゃんと焼いたやつでね?


「おや、今日は真面目に先生してるんですね。それともその教導自体もメサイアコンプレックスからくるものですか?」


 黒目をノートと教科書に右往左往させていると、頭上から聞いたことのある声が鳴った。

 このセクシーな声は……。


「そんなのじゃないって何度もいってるでしょ。先生はちゃんと先生してるだけですぅ。木偶でくの坊と違って真面目なんですぅ」

「ほう、それは失礼」

「ってアンタこそなんで私の家に来ているのよ!」

「私はるな……凛堂さんに呼ばれただけです。霜平先生の家とは聞いていませんでしたが、ここに住んでいるのですか?」


 見上げた先には、見たことのない苦い顔をした俺の下僕こと陽太が立っていた。

 相変わらずの高身長に長めの白衣。こういう控えめなのに存在感の強い男らしさに女の子は弱いんだろうね。けっ。


 そんな陽太と会話をする霜平はみるみる眉間に皺が寄っていく。


 陽太は拓嶺高校の養護の教諭、霜平は音楽の教師。同じ教師仲間で年齢も近そうだが、話しぶりと顔から、仲良しというわけではなさそうである。


「私の家よぉ。何か悪いかしらぁ?」

「分不相応という単語をご存知ですか?」

「アンタ本当に良い性格してるわねぇ。アレなら別に今すぐ帰ってくれても構わないのよぉ?」

「それは困ります。ル……凛堂さんの顔に泥を塗る訳にはいきませんからね」

「はぁ。こんなことなら『みんなそれぞれ誰か一人まで連れてきて良いから』なんて言わなければよかったぁ」


 霜平はぷいっと陽太から目を逸らして頬を膨らませている。

 ツンデレの照れ隠し……というわけではなさそうで、心底嫌そうな雰囲気が眉間から伝わってくる。


 陽太に目線を移すと、いつの間にかフカフカ絨毯の上で俺に向かって跪いていた。


「マスター、勉学の邪魔立てをしてしまい申し訳ございません」

「え? い、いえいえ」


 邪魔立てって言うなら、ちょっと離れたところでワイワイキャッキャ楽しんでる生徒らのほうが百倍邪魔なんですよね。


 それよりも――


「とりあえず、ここで跪くのは勘弁してください」


 教師である陽太を下僕のように扱うところを他の奴らに見られたくない。

 凛堂や何故か知っていた霜平ならまだしも、他の奴らに見られたら非常に面倒なことになりそうだからである。


 俺の言葉に迅速に立ち上がった陽太は、


「かしこまりました、マスター」

「その『マスター』ってのもやめてください」

「かしこまりました」


 変わらぬ甘いマスクと声のまま陽太は立ち上がった。

 座る俺を見つめる陽太の表情が、悪魔でも宿しているような残酷な顔に見えて俺は一瞬鳥肌が立った。

 前もこんな表情を見た気がする。


「ほらっ。アンタ邪魔! シッシッ!」

「……では、後程」


 霜平に手で追い払われて薄い笑みと小さな会釈で皆のいるテーブルに戻っていく陽太。

 何となく気になって、俺は霜平に問いかけた。


「先生は陽太……凛堂先生と仲悪いんですね」

「んー? ああ。悪いっていうか、そうねぇ」


 何故か目を半分くらいに閉じながらニタッと笑う霜平。


「敵なのよ。アイツ」


 ◆ ◆ ◆


 俺が霜平のスパルタを受け終わると、既に時計の短針は『Ⅵ』付近を彷徨っていた。


 美味しそうな香りも楽しそうな声も全て我慢した甲斐があって、俺は本日たった一日で数学Ⅲの全範囲の要点を掴むことができた。


 というか、霜平がマジで凄すぎる。

 コイツなら犬にロボットダンスすら教えられるのではないかというくらい、その教え方は完璧だった。


 普段チョコレートを啄むあんぽんたんだと思っていたが……こんな奴にも取り柄はあったんですね。


 勉強を教わる途中からクリスマスパーティの煩さが聞こえなくなり、俺の集中力が極限に達し聴覚にノイズキャンセリング機能でも付いたのかと思ったが、「はい、今日はここまでぇ」と言われては背伸びをしてからリビング中央に目を遣って、それが気のせいだと分かった。


 ソファの上には四ノ宮、なつめ、一ノ瀬が仲良く座ってうたた寝をしており、彩乃は窓際で何やら必死にスマホを弄っている。

 凛堂と陽太の姿はなかった。


 うん、要するに終わってたみたいですね、パーチー。


 霜平が違う部屋に消えて行ったあと、俺はリビングまでゾンビのように歩き、窓際の彩乃に話しかけた。


「彩乃は四ノ宮に呼ばれたのか」

「……」


 一瞬目を俺に向けて固まり、すぐにスマホに視線を戻す彩乃。おい。


 あれだけたくさんの料理があったテーブルの上は殆ど何も残っていない。僅かに干からびたポテトが散乱しているくらいだった。

 俺のチキン……。


 ソファの上の三人は、それはもう幸せそうな顔で寝ていて、自然と口角が上がってしまう。

 特に、真ん中の花の名前のお方。ああ、尊いことこの上なし。


 というか一ノ瀬この野郎! 棗の肩に頭乗せてん寝てんじゃねえ! 訴えるぞ!


「そうですよ」


 俺の問いから三十秒くらいか、えらく遅延して彩乃の返事が返ってきた。

 ブラジルでももうちょっと電波届くの早いぞ。


「一ノ瀬はさくらが呼んで、陽太は凛堂が呼んだのか。……ん?」


 ところで、チョコレート部のクリパなのに今日は琴美がいないな、という俺の心の声を彩乃は表情から読み取ったらしく、


「あの化け物は母親とクリスマスを過ごすらしいです。冬根さんは残念でしょうが、私はあの化け物がこの場に居なくて心底ほっとしてます」

「化け物って言うなよ。可哀想だろうが」

「……冬根さんももうそこまであのヒトに懐柔されているんですね」


 彩乃の冷ややかな目線を浴びながら、俺はテーブルの上の未使用っぽい紙コップにオレンジジュースを注いで飲んだ。


「懐柔ねぇ。素直な子にしか見えないけどな」

「うふふ。まあ、別に私には関係ないのでいいですけど。それよりも、気のせいでなかったら、昼ごろ陽太様が冬根さんに膝をついているように見えたんですけど、どういうことですか?」


 おうふ。やっぱり誰かに見られてたか。しかも一番面倒そうな奴に。

 どう答えるのが正解なのか全くわからない。


「まあその、あれだ。陽太はあの時靴紐が解けてて、ね。あはは……」


 俺のたじたじな返答にはゲイボルグ並みに鋭い彩乃の視線が飛んできた。

 冗談通じないねえ、もっとほら、フランクに、アメリカンにいこうぜ? (?)


「まあ自分で訊きますからいいですけど。それにどうやら冬根さんはちょっとは逃げないで立ち向かい始めたようですし。そんな青くなり始めた先輩を邪魔するのは野暮ですからね。ふふっ」

「……」


 もしかして、屋上の俺のあの宣言、聞いてたりしてないよな?

 だとしたら恥ずかしさで今すぐオレンジジュースで溺死したい。


 ――いつも見張ってますから。


 まさか、ね。ははっ……。


「そんなことよりも――」


 彩乃は右手をピストルを持つような形にして、俺の手に持つ紙コップを撃ち抜く振りをした。


「――そのコップ、私のです」

「えっ!?」


 嘘ぉん!? どう見ても未使用だったじゃん! え、マジ?


「あーぁ。私、冬根さんに唇を奪われました」

「妙な言い方するなよ! 誰かが聞いてたら誤解す――」


 その時、視界の端に金色に靡くものが映った。

 錆びたビスのようにギリリとそちらを向くと、チキンやエビフライといったクリスマスチックな料理の載ったトレーをもつ凛堂がいつの間にかすぐ傍に立っていた。


 綺麗で吸い込まれそうな青い瞳を俺に向けている。


 数秒の沈黙後、凛堂は俺に近づきトレーを渡してきた。


「これ。マスターの分」

「お、おう! ありがとう!」


 聞こえてたかな? 聞こえてたとしても、誤解ですよ。間接ですよ、事故ですよ。


「マスターの好みに合わせて、チキンはレアにした」

「……」


 それ以前の問題だった。

 あのね凛堂さん。チキン+レア=死なの。分かるかい?


「それと、一つマスターに訊きたいことがある」

「何?」


 そういやこうして凛堂と会話をするのもひどく久しぶりな気がする。


「誰の唇を奪った?」


 やっぱりきいてたかぁああああ! 違うんですって!


「あぁ、私のです」


 って彩乃ぉ! 追撃すな!!


 凛堂の青い疑いの眼と、彩乃の悪戯な目付きに挟まれて、俺は訳も分からずレアなチキンを頬張った。死は救済、メメントモリ~。


 うん。満足に噛み切れない。誰か助けてぇ。

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