スターティングブロック「ジュケンベンキョウ」

 学校裏の駐車場に停めてあった霜平の愛車が真っピンクでローダウンのランサーエボリューションだったことにちょっぴり引きながらも、堅実な運転で辿り着いた霜平の家はどう見ても高級マンションだった。


 正面玄関を通り過ぎて裏側に回ったところで、霜平は小判みたいな形状のリモコンをどこかに向けると、まるで人型ロボットでも射出されそうな厳かなシャッターがゆっくりと開く。霜平は俺を乗せたままの愛車でその出現した通路に入っていく。


 どうやら駐車場らしく、そこかしこに高級車と思われる光沢の車が点在していた。

 徐行で奥の方まで進み、通用口と思われる扉に一番近いスペースに、慣れた手つきで無駄なくバック駐車を決める霜平。


「とうちゃーく!」


 数十分前まで拓嶺高校の寒々しい屋上で恥ずかしめのやりとりをしていた教師と生徒が、今現在駐車場すら暖房の効いている高級マンションに居る。


 もしかして、教師って相当儲かるの? それなら俺も目指そうかな、教師。


 廊下のタイルや電灯、エレベータのパネルや階の表示板まで、どこを素人目で見ても高級感尽くしのこのマンションで、霜平の部屋はまさかの最上階だった。

 何だよ、二十七階って。不思議なダンジョンかよ。


 あまりにもエレベータに乗っている時間が長くて、ここ最近寝不足気味な俺は三回は欠伸をしてしまった。

 おかげで、


「あらぁ、氷花ちゃん眠いのぉ? 先生と一緒にねるぅ?」


 とからかわれてしまう始末。本当に同衾するぞちくしょう。


 というわけで、霜平の家に着いたのだが……。

 玄関で靴を脱ぎ丁寧に並べてからリビングに来て、俺は唖然とした。


「ちょっとだけ散らかってるけど、許してねぇ」

「ちょっとだけ……ね」


 これのどこがだよ。ゴミ屋敷一歩手前じゃねえか。


 リビングのいたる所に空き缶やなんだかよく分からないビニールやプラスティックごみが散乱し、広さの割には寛ぐスペースがほぼ無い。というか、何かを踏まないで歩くのすら難易度が高い。広いリビングに今すぐ謝れ、あんぽんたん。


「先生着替えてくるから、好きなところで座ってて待っててねぇ」


 ソファの上には女性物の衣類がビッシリと置かれ、他には椅子らしき物は無い。

 カーテンやその他家具自体はシンプルかつシックで清潔感が窺えるデザインだが、散らかる袋や雑紙、缶などのゴミ類で全てが台無しだ。


 好きなところねぇ……うーん、ゴミの上に座れと?


 霜平が奥の部屋に消えていってから、俺はソファの上の純白の下着類に目を吸引されながらも、ふとあるヤツの顔が浮かんだ。

 切り揃ったショートボブの……ピノコこと火野琴美である。


 琴美は確か霜平の家で清掃のバイトをしていると言っていたな。

 これは特殊清掃の部類に入るレベルなのでは?


「お待たせぇ」


 足元のゴミ類を躊躇なく蹴りながら戻ってきた霜平は、それはもう地雷臭たっぷりの格好だった。

 ウサギのような耳がついているフードのあるピンク色のもこもこパーカーに、これまたもこもこピンクのゆったりめのショートパンツ。見た目は関わりたくないレベルカンストしてる。


「どうどう? この服可愛いでしょぉ? 先生の部屋着!」

「……まあ、そうですね」


 アンタが着てなくて、丸めて床にでも置いてあったら小動物っぽくて可愛いかもな。


 まあでも生脚が拝めるのは、うん、悪くない。足だけは理想の美しさだ。いや顔とかも普通に美人なのは認めるけどさ……なにせ頭と精神年齢的振舞いが、ちょっとね。


「そうそう! それでね、今ちょっと散らかってて勉強するスペース無いから、少し休憩してて?」

「勉強するスペースが無いのをとは言いませんよ」

「細かいことは気にしない! プロを呼んであるから大丈夫よぉ」

「プロ?」

「そ! 多分もうすぐ来るよぉ」


 霜平の言葉に、俺は再び同じ奴の顔が浮かんだ。

 直後にシンプルなインターホンの音が鳴り響く。


「あ! ほら来たぁ」


 霜平は傍の純白クロスの壁に付いたモニターに近づき、すぐ横の『ロック解除』と書かれたボタンを押下した。


「やっぱり、週一回くらいは必須よねぇ。ピノコちゃんのお掃除」


 ……どう考えてもこれ、一週間の散らかり方じゃねえ!

 そして、相当なバイト料貰ってないなら訴えていいと思うぞ、琴美。


 ◆ ◆ ◆


「どうしてここにふーくんが居るんだ?」


 霜平が招き入れた琴美の第一声は俺に向けられた。

 

「まあ、ちょっと成り行きで」

「成り行き? まさか、ふーくんは霜平顧問と隠れて交際していたのか?」

「んなわけあるかい!!」


 小首を傾げる制服姿の琴美に渾身のツッコミをする俺。


「そうそう、氷花ちゃんはついさっきねぇ、私にとある告白をしたんだよぉ?」

「とある告白?」

「おい!!」


 余計なこと言うなあんぽんたんが!!


 ほくそ笑む霜平を睨んでいると、


「ふーくん、告白したのか? 顧問に?」

「いやいや違うから!!」


 この二人に挟まれていたら叫んでばかりで俺の喉おかしくなっちゃう。


 再び怪訝な顔で小首を傾げる琴美を見て溜息を押し殺していると、霜平がスマートフォンを操作しながら口を開いた。


「ピノコちゃん、今日のバイト代は何が良い?」

「……そうだな」


 急に生々しい話になった。

 なに? お金じゃなくて物で請求する感じ?


「では、うどんで」

「いいねぇ。今日は寒いしねぇ。了解! 氷花ちゃんのも頼んでおくねぇ? 待ち時間三十分だってぇ」


 ああ出前ですか。そうね、琴美さん食に目が無い大食い野郎でしたね。

 ってバイト代うどんでいいのかよ! この汚部屋を掃除する対価がうどん一杯でいいわけないだろ!


「琴美、そんなのでいいのか」

「そんなのとはどういう意味だ? ふーくんはうどんは嫌いか?」

「いやいやそうじゃなくて! この量の掃除とか、もっとちゃんとしたバイト料貰うべきだぞ」


 俺の訴えに琴美は三度小首を傾げ、


「うどんはちゃんとしていないのか?」


 などと言ってきた。

 うんダメだ、話にならない。というか先程から琴美の口から涎が垂れている。

 今、脳内メーカーを琴美にやらせたらきっと『麺』とか『汁』とかの漢字で埋め尽くされて、なんなら脳味噌イラストの枠からはみ出していることだろう。いっぱい食べる君が好き。


「まあ琴美が良いならいいけども……でもこの量の掃除、三十分じゃ絶対終わらないぞ? とりあえず俺も手伝うから、出前が届いちまう時間までに食べる場所だけでも先に――」

「ふーくん、大丈夫だ」


 パシッと俺の肩に手を乗せ、琴美は勇ましい笑顔になった。


「いつもよりは全然マシなほうだし、それに三十分も有れば余裕だ。手助けもいらない。ふーくんは休んでいてくれ」


 そう言うと琴美はブレザーを脱いで俺に渡し、ブラウスの袖を捲ったかと思うと、尋常ではない速さで動き始めた。


 窓を開け、どこから取り出したのか大きな袋と小さな袋にしっかりとゴミを分別し、絨毯に零れた何かわからない液体のしみ抜きまで熟していく。

 ものの十分程であらかたのゴミ類は綺麗に纏められ、次にウォークインクローゼットから掃除機を二種類取り出し、両手でそれらを駆使して細かいゴミや隙間の埃を除去していく。


 早送りの映像でも見せられているようで、琴美の脱ぎたてほやほやブレザーを持ったまま、いつの間にか俺は口を大きく開けてしまっていた。


 仕舞いに、どこからか取り出した謎の細い棒状のもので窓のサッシの汚れを綺麗にしてから、


「では捨ててくる」


 と言って両手にたくさんのゴミ袋を抱えて玄関から出て行った。

 ……嘘だろ。加速装置でも付いてるのかよ。


「ね? プロでしょ?」


 呆気にとられ固まってしまっていた俺の顔を覗きながら霜平はそう言った。

 本気で凄いと思うしプロと言われるのも頷けるが、霜平おまえがドヤ顔をする意味は分からない。


 来た時と同じ部屋とは思えない広くて綺麗な部屋に様変わりした。

 繁雑にソファ上に散らかっていた衣類も、丁寧に畳まれて隅に纏まっている。


「先生」

「なーにぃ?」

「これはどう考えても、うどん一杯で収まる仕事じゃないですよ。もっとちゃんとバイト代出してあげるべきです」

「えー? それは大丈夫よぉ?」

「何が大丈夫なんで――」


 俺の若干の苛立ち混じりの声を遮って、インターホンが鳴った。

 モニターには出前の配達員らしき人が荷物を持って立っていたのだが……。


 おかしい。

 出前の配達に、どうして二人も来ている? そして二人して大量に荷物を抱えているように見える。


 霜平は『ロック解除』のボタンを押しながら、俺にニッコリと笑顔を見せてこう言った。


「一杯じゃなくて、だから」

「ああ……」


 ……なるほどね。

 相変わらず、琴美の大食いは健在なのね。


 今度は逆に霜平の懐が心配になったが、それも一瞬だった。

 こんな高級マンションに住んでいる時点でそれも問題ないよな、きっと。


 やっぱり、俺も教師目指そうかな。


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る