本当の理由「フユネ ヒョウカ」

「いやいやいや、先生がここ受けろって言ったんじゃないですか」

「そうだけど、最終的に願書出したのは氷花ちゃんだよぉ?」

「や、そうですけど」

「それに、受ける受けないじゃなくて『どうして受かりたいか』だよ? ちゃーんと本心で、男の子なら一発で決めてね」


 朔風に髪を揺らす霜平は、ただ真っ直ぐ俺を見つめている。

 男の子なら、ね。


「それは――」


 スッと言おうとして、いきなり俺の声帯は拒絶反応を示した。

 言葉が出てこない。言いたくない。


「それは……」


 今まで俺は、霜平からの頼みを経て数々の人たちに本心を言わせてきた。


 四ノ宮の含羞と理想。

 棗の高配と誠意。

 一ノ瀬の乙女心と情熱。

 彩乃の胸裏と涙。

 琴美の傾倒と恵愛。

 そして凛堂の過去と依存。


 そのどれもを言わせてきて、時折俺は「本心くらいスッと言えよ」などと億劫気味に胸の内で文句を垂れていたというのに、いざ自分のことになるとこうして言うのを憚っているのだ。

 もしかしたら俺って、相当無神経な卑劣漢だったのかもしれない。


 本心を言うのが、こんなにも勇気がいることだなんて知らなかった。


「それはぁ?」

「俺が、大学に受かりたいのは――」


 霜平の優しさに今になって気付く。

 これは絶対に他の誰かには聞かれたくないことだ。そういうことかよ。


 しかしながら、一発で決めろっていうのはなかなか厳しい注文だ。

 いや、答えはもう分かっている。口にするのが難しいって意味だ。


 大学に受かりたい理由――。


 ――いい大学に入りたいから?

 そんな訳がない。元々特に夢も頭もない俺が、ひたむきな考えなど持っていない。


 ――心理学部や教育学部に魅力を感じたから?

 有り得ない。心理学も教育学部も、俺とは縁も所縁もなさそうな勉学だ。


 ――では、凛堂が行く大学だから?

 それに関しては……否定しない。というかそうだ。


 ――何故、凛堂が行く大学に受かりたい?

 凛堂とできるだけ、一緒に過ごしたいから。


 ――何故、凛堂とできるだけ一緒に過ごしたい?

 そんなもん、決まっているだろ。というか知らねえよ。

 そう思っちまったんだから。それが理由としか言えない。



 ――では、何故そう思った?



 そうさ。

 それこそが答えで、霜平が聞きたい言葉だ。


「俺が、大学に受かりたいのは――」


 もうもしかしたら複数人にばれていたりするのかもしれない。というか俺以外みんな知っていたりしてな。

 それでも、こうして実際に口にするのは初めてだ。


 もしも、俺が羨望した『青春』なんてものは、こんな風に口にすることが大前提で、その勇気がない奴には権利が無いのだと最初から分かっていたなら、俺は望まなかったかもしれない。

 しかし今の俺は笑えることに、『青春』をひっそりと自分の中にだけ抱えてしまっていたみたいだ。


 いいさ。それなら歯を食いしばって口にするくらいやってやるさ。


 ただ、な。


 その一番最初を、なんで霜平なんかに言わなくちゃならないんだよ。

 常に面倒事を押し付けてくる、厄介でアンポンタンな顧問だぞ?


 つくづく痛感する。

 俺は目の前の霜平コイツが嫌いだ。一生、勝てる気がしないからだ。


 ああ、そうさ。俺は――



「――凛堂が、好きだから」



 脳味噌に全ての栄養や水分を持っていかれカラカラになっていた口にしては良くスムーズに言えたと思う。

 足の指と腹筋に死ぬほど力が入っているが、なんとか口にすることができた。は、ざまあみろ。


 どう考えても、ざまあみるのは俺だけどな。


「……ふふふふ」


 俺の言葉から数秒の沈黙の後、勝ち誇ったような笑みを作って笑い始める霜平。

 おいおい、人生一勇気を振り絞った俺の渾身の告白を笑うなよ。咽び泣くぞ。


「氷花くん、ちょっと時間はかかったけど、今のはちょっとカッコよかったよぉ」

「……うるせっ」

「ふふふ、大正解。というかそれは氷花くんが一番自分で分かっていることだものねぇ。散々照れて誤魔化してきたのに、結局こうして言わされるのって、どんな気持ちぃ?」

「今すぐ屋上から飛び降りるか、アンタを突き落としたい気持ちです」

「ひぇぇ、氷花ちゃんこわぁい」


 俺にとっちゃお前が一番怖いよ。

 霜平はパンプスの寸胴ずんどうなヒールをカツカツ鳴らしながら俺に近づいてきた。


「素直な子は、先生好きよぉ」


 そのまま、俺は霜平に抱擁された。え。


「お、おい」

「いいから。ちょっとだけ、ね?」

「は、はぁ」


 何が「ね?」なのかは全く分からないが、何故だろう、あまり悪い気はしない。

 俺より背が低いくせに、一生懸命背伸びをして俺の頭を抱えるように抱きしめられている。


 そして鼻に届く霜平の良い匂いが、繁雑に絡まった思考を解きほぐしてくれる。

 何だこれ、これがバブみってやつですかね? 違いますね、この人アラサ―だし。


 もうそれもなんだかよく分からないけどどうでもいい。恥ずかしさも苦しさも焦りも。今は全部忘れていい時間な気がした。

 

 しばらくそのままの時間が流れてから、霜平は俺の耳元で小さく喋り出した。


「……ふふ、氷花ちゃんを諦めるのはちょっぴり辛いけど、氷花ちゃんの為なら我慢できる」

「え? どういう意味ですか?」


 俺が問うた瞬間、両肩に強い衝撃が襲った。

 どうやら霜平に突き飛ばされたらしい。抱いたり突き飛ばしたり何やねんコイツ。情緒不安定かよ。


「そういう意味! つまり、私が氷花ちゃんの先生になるってこと!」

「……?」

「うふふ、何その顔ぉ、へんなのぉ!」


 霜平は無垢な顔で俺を指差して笑いだす。

 生憎この顔は生まれつきだよ。母ちゃんに言いつけるぞ!


「――はあぁ。よし! それじゃ、本心もちゃんと本人の口から聞けたし、約束通り勉強教えてあげるね! 残念だけど冬休みはないと思っててねぇ?」

「ええぇ……」


 などと嫌そうな声を上げるくらいは許してくれよ。

 本当に、三日間徹夜したくらいの疲労感が俺を襲っているんだから。


 胸裏を明かすのは、こんなにも疲れるんだな。今まですまなかった、みんな。


「それじゃ、今から先生の家に来てもらうわねぇ」

「今から!? えぇ……」

「嫌なら、もう一回理由を訊くわよぉ?」

「行きましょう。すぐに」

「ふふ、氷花ちゃんおもしろーい。でもこれだけは覚えててね? 先生、本当に氷花ちゃんに感謝してるんだから。何でもしてあげちゃいたいくらい!」

「……」


 じゃ、わざわざ本音言わせんでも最初から勉強教えてくれよ!!

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