活眼な先輩「シモヒラ ナミダ」

「ねえ、氷花くん……」


 今現在、俺はめちゃくちゃ可愛い生徒と二人きりである。

 さらにここは密室だ。他には誰もいない。


 目の前の可愛い生徒は、俺を上目遣い気味に見上げながら困ったような声で問いかけてくる。


「大丈夫なのかな……勝手にこの部屋使って」

「ああ、大丈夫だ。今日は終業式、どの部活も休み。誰もここには来ないさ」

「でもでも、やっぱりまずいよ氷花くん。こんなところで二人きりなんて」

「大丈夫。それとも、俺と二人きりは嫌か?」

「そ、そんなことはないけども――」


 そう、背徳的場所で背徳的シチュエーション。

 まさに青春の塊、俺の望んだ正しき甘酸っぱさ。


 ああ、男冬根氷花十八歳、ここに乱れ散ります!

 咲け! 青薔薇! (おい)


 ん? 何か既視感のあるやりとりだって?


「――でも、やっぱり男子更衣室でご飯食べるのって、良くないと思うな。零したら大変だし」

「うん。でも他に隠れて食うところ思いつかなくて。付き合わせて悪いな、さくら」

「ううん。氷花くんの頼みなら、僕何でもきくよ。えへへ」


 ……。


 はい、そうです。というかもう分かってたよね?

 ただ、なつめと二人で終業式の後に体育館についているちょっぴり汗くさい男子更衣室にてご飯を食べようとしているだけです。はは。


 俺の青春なんてこんなものさ。でも、ほら可愛い生徒ってのは合ってるし、まあいいよな。泣いてないぞ。


「でも、僕ビックリしちゃった。急に一緒にご飯っていうんだもん」

「ああ、ちょっとね」


 彩乃に鋭利な言葉を向けられてから数日。

 俺は何にも手がつかないくらい悩み伏せていた。


 ――逃げんな。


 まさに確信をつく全てを見透かしたあの言動は、俺を落ち込ませ困らせるのには容易く、今まで俺がしてきたことがいかに卑怯で卑屈だったのかを痛感せざるを得なかった。


 そりゃあそうよね。

 今まで散々大勢の生徒に「ああしろ」「こうしろ」とあげつらっておきながら、その実自分自身は危険の及ばない手練手管でじわじわと根回しをして、漁夫の利的に美味しいところを齧ろうとしていたのだ。

 俺のアドバイスの被害者である彩乃が怒るのも無理はない。


 かといって、素直に行動できる程俺の心は澄んでいなかった。

 今更本音を真っ直ぐぶちまけられるほどバクシン的スタイルになれやしない。


 そんな感じの八方塞がりで困り果てた俺は、唯一と言っても過言ではない友達に相談することにした。

 それがここにいるなつめだった。


 明日から冬休みに入り、クラスメイトや友人など他の生徒らには基本的に会えなくなってしまう。

 その前に、ご飯でも食べながら話をしておきたいと思い、本来午前で終わる終業式の日だが、昼ご飯を持参するようにと電話で頼んだのだ。


「男子更衣室って、誰もいないと結構広いんだね。いっつも体育の時間とか人だらけで窮屈に感じるのにね」


 なつめが可愛らしいお弁当を手に持ちながら、そわそわと辺りを見回しながら言った。

 うん、男子更衣室に居ちゃいけないくらい可愛い。


「まあ、ちょっと汗くさいし埃っぽいけど、とりあえずメシ食べようか」

「うんっ」


 テーブル代わりになるものも無い為、木のタイル張りの床に座り可愛らしい包みを広げてお弁当を取り出すなつめ

 座り方まで女の子で、俺は謎の興奮をしながら持ってきたコロッケパンの包装を開けた。


「なんか、悪いことじゃないけど、隠れてこういうことするのって、ドキドキするね」


 ええ。若干紅潮を孕んだ笑顔を向けてくる君にドキドキしてます。


「そういや、一ノ瀬とはその後どう?」

「うん、お陰さまで仲良くしてるよ。氷花くんのおかげだね、ありがとう」


 ズキューン。その笑顔に射抜かれて死ぬなら本望……。 (死ね)


 コロッケパンを齧り、なつめの弁当の中身まで可愛らしいことに無言で激しく頷いてから、俺は早速悩みの種を吐き出すことにした。


「なあさくら、俺って逃げていると思うか?」

「え、どうしたの急に。逃げるって何から?」


 なつめは短くて可愛らしいプラスティックの箸でブロッコリーを摘まんだまま首を傾げる。

 サラサラの長い横髪がゆさっと揺れた。


 いやまあそういう反応になるよね。


「詳しくは言えないんだけど……俺ってやっぱりズルい奴かな」

「氷花くん大丈夫? 何かあったの?」


 一旦箸を置いて、正座になって俺に真剣な表情を向けてくるなつめ


 前から思っていたが、真剣な表情をすればするほど、なつめは女の子にしか見えなくなる。

 笑顔の時は宙に浮きそうな気持ちになるし、怒った顔はゾクゾクする。


 要するに、なつめは可愛い。(断定)


「氷花くん、大丈夫?」

「……え? あ、ああ、大丈夫だ」


 っと、危ない。妄想の世界に行ってうっかり帰ってこれなくなるところだった。

 それもこれもなつめさん、あなたが可愛いから悪いんですよ? 恋の禁固五十年、なんつって!(激寒)


 などとふざけられる余裕があるだけマシかもしれないが、俺の中の悩みの種はここ数日でどんどんと成長し、芽を出して根を張り、もう少しで蕾ができそうなところまできてしまっている。


「氷花くんが何の事を言っているのか僕には分からないけど、逆に訊いてもいいかな?」

「なんだ?」

「氷花くんは、自分自身が逃げていると思う? ズルいと思う?」

「……」


 なつめは畳んだ太腿の上にキュッと握った両拳を乗せて、真剣な顔で訊いてきた。


「もし自分でそう思うなら、そうなんだと思うよ。冬根君は僕なんかより頭がいいし、自分のことは多分、一番自分が分かると思うから」


 痛恨の一撃、せいしんとういつ後のまじん切りが両方ともヒットしたような感覚だった。


 仰る通りである。


 自分のことは自分が一番分かっているさ。

 どうにか言い訳したくて、現実から目を背けて逃げたくて、こうして友人に甘えてしまった。

 心根の優しいなつめなら、きっと俺を甘やかしてくれるだろうという性根の腐った期待を込めて。


 しかしながらなつめも、俺のその醜い逃げを容認してはくれなかった。

 それでこそ、どこまでもなつめらしい。


「そうだよね。ありがとう、目が覚めたよ」

「こ、こんな感じで良かったのかな?」

「ああ。相談して良かった」

「そ、そっか! 氷花くんの力になれたなら、僕嬉しいよ。えへへ」

「まあ、とりあえずメシ食べようか」

「うん!」


 再び足を崩して、お弁当を啄み始めるなつめ

 俺も、胸の内で密かに決意を込めてコロッケパンを強めに齧った。


 ああ、わかったさ。やってやるよ。

 逃げなければいいんだろ?


「ああぁ! こーんなところにいたぁ!」


 俺となつめの二人きりランチタイムに水を差したのは、何の遠慮もなく男子更衣室の扉を勢いよく開けた霜平教諭だった。

 心臓が飛び出そうになったのは何とか堪えたが、代わりにちょっぴりコロッケパンを噴いてしまった。あーあ、ごめんなさい更衣室。


「先生、ここ男子更衣室なんですけど」

「えぇ? あぁ、そっかぁ。先生もまーぜて!」

「混ぜてって……女子禁制というか、ただご飯食べてるだけですよ」

「先生もご飯持ってるもん! ほら!」


 そういって霜平は、大きな胸で弛んているスーツの内ポケットから小さな個包装の何かを取り出して俺の顔面に突き出した。

 ピントが遅れて合い、目に飛び込んできた文字は『いちごチョコレート』だった。


「それはご飯とは言いませんよ」

「ええぇ? 硬いこと言いっこなしだよぉ。ぷぅ。ね、いいよね、さくらちゃん?」

「はい、もちろんです!」


 さくらさん?


「わあ、ありがとう! 先生、男子更衣室でご飯食べるの、夢だったんだぁ」


 どんなピンポイントな夢だよ。絶対嘘だろ。


 霜平はニコニコしながらしゃがみ、個包装を開けて無駄に色っぽくチョコを口に入れた。

 幸せそうな笑顔で咀嚼しながら両手を顔に当て「んん~」などと言っている。


「先生はどうしてここへ?」


 何となく訊くか悩んだが、訊かないといけない気がして俺は訊いた。

 そしてこれが、俺にとっての最大のイベントの始まりだった。


「ああ! そうだったぁ。氷花くんを探してたのぉ!」


 ◆ ◆ ◆


 寒い。

 さすがの師走、外気温も一桁で、風が強く吹く度に身が竦む。

 ところどころ白く積もっている雪をオーディエンスに、俺は霜平と二人きりで屋上に来ていた。


「それで、こんなところまで来て何の用ですか? 寒いんですけど」

「えー? 折角氷花ちゃんのこと配慮してここに来たのにー。誰かに聞かれてもいいなら職員室でもよかったんだけどぉ」


 本来立ち入り禁止の屋上に来るのは二回目だった。

 寂れたコンクリートの地面も見下ろすほぼ殺風景な街並みも嫌いではないが、何よりも寒い。


「まあいいですけど……というかどうして俺が男子更衣室に居るって分かったんですか?」

「んー。てへぺろっ☆」


 殴りたい、その顔。というかちゃんとてへぺろできてないし。凄い変な顔になっている。


「ま、先生も氷花ちゃんみたいに、ちょっとした手段を持ってるってことだよぉ」

「手段?」


 霜平はにんまりとした顔で俺の顔を覗き上げてから、低い柵のある端の方へカツカツとパンプスを鳴らして歩いた。

 冬の浅い日差しが霜平の茶色い髪を光らせて、なんとなくラスボスのような雰囲気を纏っている。


「まあ、そんなことよりぃ。今大事なのは、氷花ちゃんの今後、でしょぉ?」

「俺の今後、ですか」


 無意識に俺は霜平の隣まで歩いて、横並びになった。

 下を覗いて、全身に間欠泉のように恐怖心が湧きあがった。


「そ。先生、氷花ちゃんを助けてあげちゃいます!」

「なんですか、それ」

「氷花ちゃんにはたくさんお世話になったし、恩返ししておかないとなぁって」

「恩返しねぇ。ははは……」


 アンタにそんな殊勝な心掛けがあったとはねぇ。意外すぎて竜巻旋風脚しちゃうところだった。

 とは言っても、散々アンタの我が儘に付き合ったんだ、相当な恩返しじゃないと納得しないぞ?


「氷花ちゃん、今困っていること、主に二つあるでしょ?」


 霜平は遠くを眺めたまま。声のトーンを下げて言ってきた。


「一つは……そうね、私が携わる事じゃないと思うしぃ、それに手を貸したりしたら彩乃ちゃんにも怒られそうだから、そこは自分で頑張ってねぇ?」

「……なんのことですか」

「やだぁ、分かってるくせにぃ。かわいいねぇ」


 シニカルチックな声に、俺は拳に固く力が入った。

 ……まあ、分かってはいるけどさ。


「だから、先生として! 教師として! 先輩として! たまにはそれっぽいことしようかなぁって」

「確かにそれっぽいこと殆どしてませんもんね」

「えぇ、ひどーい、氷花ちゃんの為にいっぱい尽くしてきたのにぃ」


 どこがだよ! 厄介事ばっかり押しつけやがって!


「前置きはいいから、早く言ってくださいよ」

「えぇ、先生と話すのそんなに嫌?」

「嫌というか何というか……」


 どうしてもアンタのペースに持っていかれるから怖いんだよ。


「ふーん。氷花も少しは成長したんだねぇ」

「は?」

「……うふふ。なんでもなーい!」


 霜平が一瞬出した顔を俺は横目に見逃さなかった。

 今まで何度か見せた恐ろしい笑顔。一体この人は何者なんだ。


「とにかく、もう一つ氷花くん困っていることあるでしょぉ?」

「困っていること?」

「ほら! 生徒の本分といえばぁ?」

「……あぁ」


 そういうことかよ。ああ、多大に困ってるし結構諦めてるよ。


「どう考えても間に合いそうにないですし、元々俺そんなに頭良くないんでどうせ無理ですよ。諦めてます」


 俺のペシミスティックワードに、霜平は「ふーん?」と一言ジト目で言うと、唐突に俺の鞄を奪ってきた。

 抵抗する隙すら与えない早業だった。本職は盗賊とかそのへんか?


 俺が片眉を上げていると、霜平は躊躇なく勝手に鞄を開けて中を漁りだした。


「おい! やめろ!」


 その中には乙女の秘密が一杯詰まってるんだよ! 見ちゃらめぇ!

 などと心の中で言いながら必死に止めようとしたが、お構いなしに霜平は中を漁り、そこから一つモノを取り出した。


「諦めてる、ねぇ」


 あからさまな嘲笑を向けて、摘まみだしたのは赤本だった。

 俺がいたるページに貼りつけた付箋がびっしりとはみ出た、既にちょっとぼろぼろの赤本だった。


「こんなに死に物狂いで、諦めてる、ねぇ?」

「うるさいなぁ! 暇だったんですよ!」


 ヒヤッとした汗が後頭部に発生しながら、俺は霜平から赤本をひったくった。

 顔が赤くなりそうなのを吹き飛ばすように、ぶっきらぼうに鞄にそれをしまった。


「……ふふ、氷花ちゃん可愛いねぇ。そういうところ、好きよぉ」

「な、何言って」

「私なら、氷花ちゃんを必ず合格に導けるわよぉ? 先生、教えるのだけは上手いんだから」


 本当かよ。あんぽんたんのくせに。


「それにねぇ……まあ、それは追々でいっか! とにかくぅ、先生が氷花ちゃんの勉強見てあげるぅ! これでも先生、聖応大学出身なのよぉ?」

「え!? そのあた……」


 っと危ない。その頭で、なんて本音を言うところだった。

 マジかよ。こんなあんぽんたんでも聖応大学みたいな偏差値の高い大学に受かるのかよ。なんだか簡単そうに思えてきたぜ。


「先生に任せておけば合格も安泰よぉ?」

「どこから来るんですかその自信は」

「えー? まぁいろいろとねぇ。ふふふ」


 なんかすごく怖い笑みなんですが。賄賂とかじゃないよね? 勝手に犯罪に巻き込まれてたりしないよね?


「まあ、そういうことなら正直、お願いしたいですけど」


 実際マジで困ってたし。勉強法とかしらないし、このままがむしゃらにやっても望み薄だったしね。

 本当になんとかなるのなら、冬休みが潰れるのだって覚悟してやる。


「あらぁ、素直なのね。素直ついでに条件があるのよぉ」


 なんだよって。初めて聞いた言葉だ。

 というか、やっぱり条件あるのかよ! 面倒なのはもう勘弁だ!


「厄介事はもう嫌ですよ。自分でやってください」

「えぇ? 厄介事じゃないし、なんならこれは氷花ちゃんのことだものぉ」

「?」


 俺のこと、などと言われても、先程からずっと脳裏にある嫌な予感は払拭されない。

 ……なんかもう、俺コイツに一生太刀打ちできない気がしてきた。関わるだけ損している。


「私からの条件は一つだけ! 私の質問に正直に答えて。それが条件です」


 冷たい風がさっきから顔を撫でているが、薄い混乱で寒さがあまりわからない。

 風に靡く長髪を押さえながら、霜平は俺に優しい笑顔を向けている。


「質問、ね」


 一体どんな質問が飛んでくるか、とか、質問という名の脅迫だったり強制だったりしないか、とか、様々頭の中で超高速裁判が繰り広げられたが、最終的には俺に選択肢はなかった。


「分かりました。正直に答えます」

「あはぁ! やっぱり氷花ちゃんかわいいねぇ。もう全部全部、私には分かってるけど、氷花ちゃんの口から聞くまでは、からねぇ」


 顔は笑顔なのに目が笑ってない。いちいち怖い。

 とはいえ、もう俺にはあとが無いのは事実だった。


 それこそ、大学に受かるくらいしか。


「分かりました。嘘偽りなく答えます。その代わり、ちゃんと大学に受かるように教えてくださいね? 結構崖っぷちなんですから」

「はいはーい。まっかせてぇ?」


 下手くそなウィンクを飛ばしてくる霜平。

 ……不安だなぁ。


「それじゃ早速ぅ。あ、因みに、私がした質問のになってないと、終わらないからねぇ?」

「もう何でも良いですから早く訊いてきてください。寒いんですから」


 寒さはさっきから全く感じてないけどね。


 霜平は呆れたような顔とポーズをしてから、小さく溜め息をついた。

 そして腕を組み、時折見せる真剣な表情に久しぶりになった。


「質問です」

「はい」


 霜平の目は、チェックメイトと言わんばかりの活眼かつがんに見えた。


「氷花くんは、どうして大学に受かりたいの?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る