睫毛な離反「フルカワ アヤノ」
空気を読んだのか、雪が降ってきた。
そりゃそうよね。もう十二月、そんなことが起こっても不思議はない。
でも今の意気消沈な俺には、地球が『そんな時もあるさ』みたいな励ましをしてくれている気がしてなんとなくちょっぴり元気づけられる気分だ。
思えばそうだ。
最初から最後まで、俺の目論見通りに事が進んだ
青春を求めて男子校を脱出しても碌に女子と会話すらできず、気づけば恋愛マスターとして居座ることになって、崩壊を狙って俺が抵抗すればするほどその地位から逃れられない状況になった。
挙句、変な部活に入れられ、頼んでもいない人助けを何度もさせられ、気づけば絶望的な難易度の大学を受験させられることになっている。
一体誰だよ。俺の人生こんなシナリオにした奴。
もし俺が人智を超越した存在だったなら、今すぐそのライターを血祭りにあげてやりたいところだ。
そんなメタ文句を肚の中で吐きながらの帰路、もう少しで自宅に到着、というところでスラックスの右ポケットが振動した。
雪が付着するのを極力防ぎながら見た画面には、メッセージが一件。
差出人の名前を見て俺は一気に嫌な予感が広がる。
『今どちらですか』
彩乃からだった。
俺は返信をせずそのままスマホをポケットにしまう。
すまんな、今はお前のSっ気を満足させる為に貶されてやる余裕はないんだ。
思い切り鼻から息を吸って、全身の灰汁を吐き出すように大きな溜め息をつくと、息が白く広がり、上昇しながらすぐに見えなくなった。
本当の負の感情も、こんな風にぶわっと広がって無くなればいいのに。
そして玄関の扉に手を掛けた時のことである。
「どうして返信してくれないんですか?」
背後から聞き覚えのある声が鳴った。
直後、全身に鳥肌が立つほどの重圧的気配がすぐ後ろに現れた。
振り返ることができず、俺はそっとスマホを取り出して先程のメッセージ画面を開く。
そこには新たなメッセージが一件来ていた。
『わたし彩乃。今、あなたの後ろにいるの』
なまじ実体と有能さを知ってるが故、メリーさんの三十倍は怖かった。
やっぱり振り返ることができずに、俺はスマホをフリックして返信を打った。
『ごめん、寝てた』
送信とともに背後から奇怪な効果音が鳴る。
直後に大きな溜め息。俺の後頭部に生暖かい息がかかった。
「ずっと寝てて良かったのに。二度と目が覚めないくらい」
背後の彩乃の言葉に俺はガクッと頭を垂れた。
永眠してろってかい。常々思うが、彩乃のSっぷりは俺には高度すぎる。
そういう発言はもう少し俺がマゾヒズムを手にするまで控えてね。手にする予定なのかよ。
◆ ◆ ◆
「こんなところまで来て何の用だよ、彩乃」
振り返って見た彩乃は、頭の上にうっすらと雪を積もらせながら、「ふわぁ」と大きく大げさに欠伸をした。
これだけ見れば、雪の中で先輩を待つ幼気な後輩って感じで青春ポイントが高い。
しかしながら彩乃のフワッとした表情とは裏腹に、先程から俺の胸の内ではこれでもかというくらい警報が鳴り響いている。
何度か感じたことのある重く鋭い雰囲気。
明らかに目の前の彩乃は怒っている。
「冬根さんの疑問を一つ、解消してあげようと思いまして」
「疑問って?」
彩乃はもう一度大きな欠伸をしてから、俺に恐ろしい笑顔を向けた。
やだなぁ、怖いなぁ。
「……とにかく玄関先じゃ寒いし、家あがるか?」
「いいえ。ここで結構です。意気地なしの家には上がりたくありませんから」
「意気地なし……」
「今、冬根さんは不思議に思ってますよね? あの花積という一年生の女の子が、どうして上手くいったか」
「……」
こいつ……何をどこまで知ってやがる。
「生徒会副会長に何かを吹き込んでまで準備していたのに、何故か冬根さんの思惑通りにはならなかった。崩壊狙いのアドバイスをしたのに、またしても崩壊せずに上手くいってしまった。それは何故か……疑問ですよね?」
「まさか」
……お前が何かしたのか?
「そのまさかです。直接言われるまで気付けないあたり、やっぱり冬根さんはまだまだですね」
「なんでそんなことしたんだよ! 誰も頼んでないぞ!」
「私の言ったこと、もう忘れたんですか?」
彩乃はすっと笑顔を消した。
「私、言いましたよね? いつもあなたを見張ってますと。お姉さまを引き込んだからには、しっかりと恋愛マスターとして働いてもらいますと」
「それは……」
「こうも言いました。お姉さまを引き込んだのですから、無下に扱ったら私は許しません。お姉さまの理想を、どうか壊したり邪魔したりしないようにお願いします」
彩乃の言いたいことが分かってきた。
つまり――
「俺が恋愛マスターではなくなるのはダメってことか」
「お姉さまを引き込む際の、冬根さん自身の口上を、まして間接的に無いことにしようとするのは私が許しません。責任を取れるなら話は別ですが」
責任って。まるで俺の行動は不祥事扱いだ。
――自分勝手に四ノ宮を引き込んで理想を共有しておいて、自分勝手にそれを捨てようとしているのが許せない。
そういうことだろう。
「お前……どんだけ四ノ宮のこと好きなんだよ」
俺の言葉に一瞬口を噤む彩乃。
雪足は強まり、辺りの暗いこの時間だと少し離れた相手の表情すら見えにくい。
「まあ、そうですね。それが一つの理由です。そしてもう一つ、言いたいことがあります」
そう言うと彩乃はゆっくりとした歩みで俺に近づいてきた。
……って、あの、近すぎん? 顔が目の前にある。
至近距離で彩乃の顔を見たのは初めてだったが、長い睫毛、目鼻立ちも綺麗で適度に肉厚な唇、大抵の男なら少なからずドキッとしてしまうだろう。
もしも、ここまで強い憎悪を孕んだ憤怒の剣幕じゃなかったらな。
「逃げんな」
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