実行結果「ハナヅミ リカ」

「冬根パイセンいたー! ちーっす!」


 異国語にしか見えない数学のテキストと睨めっこ中の俺に、元気いっぱいのクリアボイスが届いた。

 声の方向には先日の相談者の、花積という金髪ギャルが居た。


 あの……ここ、図書室なんですけど。カウンターの図書委員が咳払いをしながらこちらに苦い目線を向けていて俺は焦慮に駆られる。


「……ちょっと静かにね」

「えー? ああそっか! ごめんねー、つい興奮しちゃって!」


 ほんの少し、気持ち程度音量を絞った花積が俺の隣の席に座った。

 ふんわりとフローラルな香りが鼻に届く。


「それでどうしたの?」


 などと平静を装いつつ、俺は内心で「遂に来た!」と叫んでいた。

 きっと音楽準備室の凛堂にでも俺の居場所を聞いてきたのだろう。


 この金髪ギャルに怒られるのは少し怖いが、それも俺が前進するためには必要な工程なのだ。

 さて、どんなふうに崩壊したか教えてくれたまへ、へへへ。


「うん! やーっぱ、冬根っち神だわ! マジでアイツ彼氏になってくれたし! あーし頭からお茶ぶっかけてやっただけなのにね! マジ天才? 冬根っちのおかげ、あんがとねー!」

「……?」


 ん。ちょっとよく分からない。


「上手くいったってこと?」

「うん! もち!」


 後光が差しているような眩しい笑顔を俺に向けてくる花積。

 裏腹に俺の頭の中には深緑色の霧が発生し始めている。


「なんで?」

「なんでって……冬根っちが上手くいく為に飲み物ぶっかけろって言ったんしょ? マジ最初は意味不だったけど、結局付き合えちゃったし! 恋愛マスターは伊達じゃないって感じ?」

「……」


 いやいやいやいや。待て待て待て待て。


「あんがとね。お礼に、一発おっぱいでも揉んどく? あーしにできることこんくらいだし」


 おかしい。上手くいくはずがないのに、何故か上手くいっている。

 実質の行動班である琴美を封印したはずなのに、なぜ上手くいく?


「そんな……そんな馬鹿な!」

「図書室ではお静かに!!」


 俺の余裕のない言葉には、図書委員の咆哮が飛んできた。


 ◆ ◆ ◆


 俺は花積という一年ギャルを放って図書室を飛び出し、生徒会室に向かった。

 何か花積が最後のほうにすんごいこと言ってた気がするが、それをムヒヒと享受する余裕もなく、足早に辿り着いた生徒会室を乱雑にノックした。


 もちろんのこと、ピノコを問い詰める為である。


「あら、冬根君じゃない。どうしたの?」


 少し開かれた扉から顔だけを出してきたのは四ノ宮だった。

 俺は逆手で扉を掴み、グイッと引いて大きく開いた。


「ちょっと! 今会議中なのよ!」


 俺はおもちゃのドラムみたいな四ノ宮の声を無視して中にいる人物に目を遣る。

 西海会長と真剣な表情で話をする火野琴美が居た。


 余裕のない人間って醜いよね。

 場や分別を弁える余裕のない今の俺のことなんだけど。


「おい! 琴美!」


 必死に俺を止めようと腕にしがみつく四ノ宮を引き摺ったまま、生徒会室に侵入して座る琴美に声を掛けた。


「やあ、ふーくんじゃないか」

「ちょっと話がある!」

「なんだ? プロポーズか?」


 ええい、もうなんでもいい! とにかく確認しないと気が済まん!


「そうだ! ちょっと来てくれ!」

「え? 本当に?」


 目を真ん丸にする琴美の腕を掴み、連行する形で生徒会室を出ようとしたが、


「ちょちょちょっと! 冬根君! 今会議中なんだってば! 用なら後にして! ってプロポーズって何よ! やっぱり冬根君は副会長ともうそこまで――」


 案の定四ノ宮が突っかかってくる。

 右手に琴美の腕、左腕に四ノ宮の手。何も知らない人が見たらなんと羨ましき両手に花。


「冬根君、一応生徒会長としては易々と勝手を許すわけにはいかないよ。一応本当に会議中だったんだ。ちゃんとした理由があるなら別だけど」


 生徒会長である西海が厳かな声を掛けてきた。

 んだよ、こういう時だけ偉ぶりやがって! 胸揉むぞ!(最低)


「お願いです! 少し琴美を貸してください!」


 多分俺の目は血走っていて、全くもって醜い感じを放っていたと思う。

 しかし俺の様を見た西海は一瞬口を尖らせてから「ふーん」と一言前置いて、


「本命が掛かるとそんなに必死になれるんだね、冬根君。まあいいよ、然愛、離してあげて」

「え、ですが会長」

「いいから」


 フッと俺の左腕にかかる四ノ宮の握力が緩む。


「あんまり長くならないでね。私、今日は妹と鍋をするから早く帰りたいんだ」

「分かりました。行こう、琴美」

「……ああ」


 不思議そうな顔の四ノ宮と何かを見透かすような薄い笑みの西海に見守られながら、俺は琴美とともに生徒会室を後にした。


 ◆ ◆ ◆


「なあ、ふーくん」

「なんだよ」

「私は強引なのも結構好きだ、ふーくんが望むならもっとエムな感じにもなれるぞ」

「はぁ?」


 琴美とともに辿り着いたのは保健室。

 別にやましいことをしようとしているとかそんな事ではないぞ!

 ただ単純に誰にも聞かれないところが此処しか思いつかなかっただけだ。


 ちなみに陽太には席を外してもらった。


「それにさっきの保健教諭、ふーくんに跪いていたが……もしかしてあの男もふーくんの男か?」

「んなわけあるか! やめてくれよ!」


 俺は一応ベッドを隠すカーテンの中も目視して誰もいないことを確認する。


「なあふーくん。もしかしてそのベッドで……するのか?」

「はい?」

「私は構わないが……でもちょっとここは背徳的過ぎるというか、いやでも初めてはこのくらい刺激的なほうが」

「しないから!!」


 短絡的なツッコミしかできない程余裕のない俺は滑稽だろうか。


 ともかく、ここには俺と琴美以外誰もいないことは確認できた。

 あとは問い詰めて真相を訊き出すだけだ。どういうことだ、琴美。


「俺の依頼、覚えてるよな?」

「もちろんだ。凛堂月からの依頼を一度無視する、だろう?」

「うん。それで、凛堂からの依頼は来たんだよな?」

「ああ。『花積はなづみ里香りか小原おばらるいに接近、飲料を頭上より投下予定、それを利用して仲を取り持て』との依頼だったぞ」


 へえ。今までそんな感じで頼まれてたのか。

 というかそんな雑な感じの依頼でよく今まで成功に導いてこれたな。どうやって人の心操ってきたんだよ……怖すぎだろ琴美。


 などと感心している場合ではない。


「それで? その凛堂の依頼、まさか遂行したのか?」

「ん? 何を言ってるんだふーくん。依頼を無視しろと言ったじゃないか。私はその通りにしたぞ」


 思い切り後頭部を殴られたような気分になった。

 それじゃ、一体どういうことだ。 


「その通りっていうのは」

「ああ。もちろん何もしていない。ふーくんの言う通りにしたぞ」

「じゃあ……」


 どうして成功しているんだ?


 凛堂が自ら動いた? ――いや、それはないはずだ。

 自ら動くのであればそもそも琴美に依頼をしたりしない。


 俺の言葉に本当にオカルティックな力がある? ――それも有り得ない。

 それが証拠に、今までの全てのアドバイスには目の前にいる琴美が動いていて初めて成立しているからだ。


 たまたま、奇跡的に上手くいった? ――まさか。

 頭に飲み物をいきなりぶちまけられるんだぞ? かなりひどい侮辱の意味を孕んだ行動だ。

 真にドMな野郎でもない限り、それを善しとして、まして恋仲に発展するような事にはならない。


 では、どうして成功した?


「ふーくん?」


 思考迷宮に囚われ、視力すらままならない俺を保健室に戻してくれたのは琴美の声だった。


「大丈夫か? 顔色がカラハリ砂漠の砂の色みたいになっているぞ」


 どんな色だよ。


「おっと。こういうときはこう言うんだったか。大丈夫? おっぱい揉む?」

「……アホか」


 本当に揉むぞチクショウ。じゃなくて。


「なあ琴美、お前いきなり頭に水ぶっかけられたらどう思う?」

「なんだ藪から棒に。ふーくんになら何をされても構わないぞ?」

「ッ!」


 一体なんでこいつはここまで俺に執心なんだよ……ドキッとしちまうのが悔しい。

 まあ、彩乃曰くこれは『心象操作』らしいけど。好きになんてなるもんか! ケッ!


「じゃ、例えば四ノ宮にかけられたら? どう思う?」

「書記ちゃんか……うむ、半殺しにでもするかな」

「……だよな」


 普通そうだよな? 俺でもやられたらまあまあ怒る。

 ……まあ棗に「ひょ、氷花くん、ごめんね?」なんて泣きそうな顔で言われながらなら許しちゃうかもしれないけど。むへ。


「ふーくん、顔がキモイぞ」

「……」


 ともかく。

 これは絶対におかしい。有り得ない。


 成功するはずがないのに何故か成功している。

 崩壊するはずが崩壊していない。


 ありえないという信じ難さよりも、『計画が台無しになってしまった』という悲しみが頭の中を支配し始めた俺は、気が付けば一人、帰路に就いていた。


 帰りの列車に揺られながら、なぜこんな事態になってしまったのかを考えたが、全くもって思いつかない。

 薄い混乱と広がる哀しみを、車両の揺れがいい具合に誤魔化してくれる。


 今日は見ていないが、きっと占いは最下位だったんだろうななどと現実逃避をする俺に、神の鉄槌の如き稲妻が落ちることとなる。

 それはこの後、俺が自宅に着く寸前のことだ。


 そう、俺はをすっかり失念していたのだ。


 ちょっぴり救ってやった気になって、ソイツと普通に話をするのにも慣れて、すっかり油断していた。

 今ならカエルさんの名言がグッサリと刺さるね。


 そして、この時の俺には全く理解できていなかったが、とにかくこれで俺はとある条件の一つを満たしてしまった。


 ――逃げられない状況、ってやつである。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る