屈折した愛慮「コトミ と エミコ」

 話をしたいという俺の提案に琴美の母親は応えてくれた。

 実を言うと少しだったのだが、こうでも言わないとこの人は全く話を聞いてくれそうになかったから仕方がない。


 というわけでビルを出てすぐのハンバーガーを出すファストフード店に入ったのだが……。


「それであなた、琴美の彼氏なのに他の女の子とも遊んでいるのかしら?」

「いやいや! だから彼氏じゃありませんし、隣のはただの同級生です!」

「ちょっと! って何よ!」


 琴美母とともにビルを出たところで、手ぶらの四ノ宮に捕まってしまったのだ。

 四ノ宮は俺が何を言っても琴美母との話し合いの場に立ち会うと言ってきかなかった。全くどこまでも厄介な奴だ。


 というか俺の牛乳とあんぱんどうしたんだよ。まさか食ったのか?

 おいおい、それは間接キスになるのでは……四ノ宮の場合ただ食欲に負けたパターンだろうけど。


「そ。まあなんでもいいわ。それで? 話って何かしら。私結構急いでるのだけれど」


 ホストクラブに行こうとしてただけのくせに。


「この前と内容はあまり変わりませんが、少し言い方を変えます」


 再戦開始である。

 ちなみに四ノ宮には「絶対に口を挟まないで」と釘を刺した。……それでも何かと茶々を入れてきそうで、ちょっとしたホラー映画を見ているくらいにはびくびくしている。


「もう少し、琴美さんと向き合ってはどうですか?」

「何が言いたいのかしら」


 琴美の母、火野恵美子は俺の切り出し方に日本刀のような目を向けてきた。

 汗の量がぶわっと増える。


「現状、あなたは琴美さんとちゃんと向き合えていないと思うんです」

「……はぁ。『琴美さんの将来について』だなんて言うから何かと思えば。結局は私がに通うことが気にくわないだけじゃないの」


 そうでも言わないと、話をまともに聞いてくれなかっただろ。

 それに、これは嘘ではない。最終的に、だけれども。


「結果的にはそういうことにはなるんですけど」

「前も言ったけれども、あなたには関係ないわ。言われる筋合いがないもの。私がどうしようと私の勝手。琴美もそれでいいと言っているのよ?」

「それが琴美さんの本心だとお思いですか?」

「……どういう意味?」


 さて、わざと挑発的な口調にしたのも、『琴美の将来』というズルい檻で閉じ込めたのも、全て本心を引き出すためだ。

 本心を引き出せるタイミング――強く憤慨させること、逃げられない状況を作ること。


「言葉のままの意味です。本当に琴美さんのことを分かってあげられているんですか?」

「そんなこと、関係のないあなたには言われたくないわ!」


 分かってる、とは言わないんですね。


「琴美さんが今、本当に何を望んでいるかご存知ですか?」

「今って……当然よ! 私はあの子の母親なのよ? ずっと昔からのあの子の望みくらい知っているわよ! だからこうして――」


 若干声を荒くした琴美母は、そこまで言うと唐突に口を噤んだ。

 間違いない。きっとその言葉の先が本心だ。


 ……って本当に大人しいんですね四ノ宮さん。

 俺と琴美母を交互に見つめて鼻の穴を広げているが、口を開く様子はない。


 口を挟むなという俺の命令をギリギリ守る従順さ……俺が思っているよりコイツは場を弁えられるらしい。意外だ、もっと猪突猛進馬鹿だと思ってたけど。(ひどい)


 そんな四ノ宮を横目で見つつ、俺はスマホをテーブルの下で操作し、とある番号にかけた。

 通話状態になったのを確認し、俺は琴美母に問う。


「では、答えてください。琴美さんの望みは何ですか?」

「……それは……」


 店内に鳴り響くポテトの揚がった何とも軽快なSEとは裏腹に、俺達のいるテーブルにはどんよりとした沈黙が訪れた。


 本心を引き出せるタイミング。霜平が教えてくれたアドバイス、その三つ目――


「お願いです。答えてください。琴美さんの為にも」

「琴美の為ってどういう意味よ。意味が分からないわ」

「俺には分かります。あなたが分からないことも、どうするべきかも。だから、答えてください」


 ――誰にも縋れずにどうしようもないくらい弱っている時。


 琴美と琴美の母親恵美子は、ずっと慢性的にこの状態だったのだ。


 幼少期から縋るべき母親に縋れなかった琴美。

 離婚を機に、何かが変わってしまった恵美子。


 二人ともがそれぞれ、長い年月をかけてどうしようもなく心が弱っていたのだろう。


「琴美の為……」

「お願いです。俺を信じてください」


 カー! なんつう恥ずかしいセリフ言ってるの俺。四ノ宮かよ。

 って四ノ宮も輝かせた目で見てくるな!


 まあでも、そうだな。このくらいストレートのほうが弱った心に響くはずだ。


「琴美の望みは……」


 そして潜めていた本心は一度口にした瞬間、芋づる式に際限なく飛び出す。


「琴美は言ったの。『お父さんが欲しい』って」

「お父さんですか」

「まだ小学生だったあの子が、欲しい物も行きたいところも言わない無欲で利口なあの子が、唯一言った望みがそれなの」


 琴美母は自分の震える両手を見つめながら言葉を継ぐ。


「私はもともと不器用だから、あのヒトが居なくなってから、琴美にどう接していいか分からなかった」

「あのヒト……というのは、離婚した人ですか」

「何もかもが嫌になった時期もあった。何が現実で何が嘘かも分からない。考えても分からないしどうしていいかも分からない。それでも琴美はそんな私とずっと居てくれたのよ」


 その症状は……と俺はふと思い返す。

 姉から聞いたことのあるとある症例に良くあてはまる。


「その琴美に私ができることが思いつかない。でもあの子は父親が欲しいと言った。それを叶えてあげたかった。でも、私には何年経っても再婚の相手の見つけ方なんて分からなかった」

「それで……ホストですか」

「私だって馬鹿だって分かってる。それに琴美のお金を使っていることも悪いとは思っているわ。でも、琴美のお願いを叶えてあげたくて……私にはもう、それしか思いつかなかったのよ」


 そう言って、琴美母は顔を両手に埋めた。


 不器用――という言葉で片付けるのは容易いが、それ以上のものがある気がしてならない。

 離婚のショックが主原因かは不明だが、それを皮切りに性格が変わったという琴美の証言から、少なからず要因とは言えるはずだ。

 幸い俺には専門家の姉がいる。アフターケアに尽力する心構えはある。


「琴美さんのお母さん」


 だから敢えて再三言う。

 全てはコミュニケーション不足なのだ。


 今回に関しては一概に誰が悪いとも言えないが、それでもコミュニケーションが著しく足りていないのは事実だ。


「何よ」

「琴美さんの望みは、そうじゃありません」

「……はぁ?」


 キュッと眉を寄せて俺を睨む琴美母。


「あなたねぇ……琴美は言ったのよ? 私に直接言ったの!」

「ですが、それは幼い頃の琴美さんが言ったことですよね?」

「そうよ! それが何よ!」

「幼い頃の琴美さんもきっと、何が正しい望みなのか分かっていなかったということだと思います」


 ――バンッ!

 掌でテーブルを叩く琴美母。抉られそうな程の視線が突き刺さる。


「知ったような事を言わないでちょうだい!」

「琴美さんは、あなたが幸せになるのが望みなんです」

「そうよ! それはきっと私が再婚して、父親が欲しいってことでしょ! だからこうしてわざわざホストクラブに通ってまで結婚相手を――」


 怒号を飛ばしてくる琴美母に、俺はゆっくりとかぶりをふった。


「言い方を間違えました。琴美さんは、あなた幸せになるのが望みなんです」

「……どういうことよ」

「それは――」

「お母様!!」


 俺が説明をしようとした時、琴美が俺達のもとに現れた。

 耳にスマホを当てたまま、夥しい汗を垂らして肩で息をしている。


 いくらなんでも早すぎないか? どんなに早く走っても学校からも琴美の家からも二十分はかかる。

 最初からこの辺に居ない限りはこんなに早く登場できるはずがない。


 それに俺が琴美にした頼みは『俺からの通話を聞いていてくれ』ってのだけだ。

 どんな内容で誰との通話かすらも教えていない。


 つまり、だろう。


「琴美!? あなたどうしてここに」

「お母様……いえ、お母さん」


 琴美は母親を見つめたままスマホを持つ手をぶらんと垂れ下げた。

 それを確認した俺は、自身のスマホの通話終了ボタンを押す。


「私はお父さんなんていらない! 私はお母さんと居られればいい。昔みたいに一緒に笑いたい。一緒に、何でも一緒に」

「琴美……」

「だから、もうお父さんなんて探さなくていい。私を……私と……」


 俺の席からは、ちょうど琴美の表情が見えなかった。

 ただ、強く握られた拳と、四ノ宮の白黒している目から、なんとなく想像はできた。


 さてと。


「琴美さんのお母さん、何を言っていいか、何を言うべきか分からなくてもいいです、分からないことも含めて、全部琴美さんに話してあげてください」


 俺はそう言って立ち上がり、四ノ宮の腕を引っ張った。

 あとは、親子水入らずで本音でぶつかり合っていただこう。


「ふーくん、ありがとう」


 四ノ宮を伴って立ち去ろうとした俺に、琴美は小さくそう言った。

 やはり表情は良く見えなかったが、口角は上がって見えた。


「カレー、食うなら前日に連絡くれ。一晩寝かせてから食べさせたいからさ」


 今度こそ、俺は四ノ宮を引っ張って店を出た。

 とっくに日が沈んでしまったが、それでもさっきよりも少し寒さが和らいだ気がする。


「ちょっと冬根君、いいの? 放置してきたけど」

「いいんだよ」


 そういうこと――つまりは昨日琴美に頼みをした時点で、俺が具体的に何をするかある程度分かっていたということだ。

 だからこそ俺が琴美母とヒッティングする場所の見当もついていただろう。


 琴美もきっと、ずっと変化を望んでいたということだろうな。


 本当、コミュニケーションって大事だよね。

 それこそ何年も人生棒に振ってしまうような事にもなりかねない。


 でもまあ、もしかしたら何年で済んだのはまだ幸運な部類なのかもしれない。

 そのきっかけになれたのなら、少なからず良かったなとは思うね。


「なあ四ノ宮」

「何かしら、冬根君」

「お前の兄ちゃん、後輩想いの良い奴だよな」

「え? どういう意味?」


 まあそのカナタの優しさは主に琴美の胃袋の中に消えていったけど。


「兄貴とのコミュニケーションを大事にしろよってことだよ」

「は? どういう意味かしら」

「……まあお前なら心配なさそうだな」


 何か滞りがあっても、コイツならズカズカと入り込んでくるだろうな。


「意味が分からないわ。それに、さっきの結局どういうことなの? 副会長は泣いてたし、それにカレーを食べるとかなんとか……もしかして! 冬根君やっぱり副会長とそういう関係なの!? しかも母親とも既に親密なのね!?」


 ……こんな感じに。ウザったいくらいに。


「黙れ恋愛脳」

「な! なんですってー!?」

「あー、嘘嘘、うそです!」


 ぽっと口から出た俺の本心 (おい)の言葉に四ノ宮の沸騰した怒りは収まらず、事細かに全てを説明してようやく納得して落ち着いてくれた。

 四ノ宮も火野琴美の意外な一面を知り、驚いていたようだった。


 四ノ宮は琴美のことを、生徒会副会長でいつも一緒に居るとはいえど、その実やはり掴みどころのない本心も分からないミステリアスな人物と説明してくれた。

 彩乃も『化け物』扱いだし……琴美もだが、親子そろって相当な不器用ってことだな。


 本当は純粋の塊みたいなやつなのに。

 ……ってそう思うのが琴美の心象操作だとしたら、もう俺人間不信になっちゃいそうだけど。


 ともあれ。

 遠回りはこれで終わりにして、本当に俺は俺の為に動くことにする。


 その為の火野琴美ピースは、漸く手に入れたしな。

 さて、どんなカレーが良いだろうか。やっぱり海鮮かな。げろげーろ。

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