強制相談「ヒノ エミコ」

 黒くなった自分の髪の毛をスマホのインカメラで見ながら、ふと俺は凛堂の髪色を思い出す。


 俺が凛堂のマスターであることを自ら宣言してからというもの、凛堂は目を開けてくれるようになったし、髪を黒染めすることもなくなった。

 夏から霜月下旬現在にかけて、凛堂の髪は様々な割合のプリンを経て、今現在はほぼ完璧な金髪おさげになっている。


 金髪碧眼、ファンタジーでは王道も王道の容姿だが、それが現代日本の高校生で、ましてや自分の助手になるなんてことはきっと極めて稀有な事象だろう。

 しかもその凛堂は俺のことを『マスター』と呼び、無条件の信頼を寄せている。マジどこのライトノベルの世界の話だよって感じだ。


 そんな貴重な体験をみすみす逃したくないというのは、至極当然の感情だよな?

 それが青春だろうが気の迷いだろうが、鑑定が済む前の掘り出し物を俺は投げ出したりしない。


 ほら、よく言うだろう? 失くしてから初めて気づく云々ってやつ。


 ……。

 自分に言い訳する手練手管がどんどん粗雑になっていて逆にもう清々しいね。


「ふーくん」


 美容室を出たところで俺に声がかかった。

 声の方向には、上下スウェットジャージ姿の琴美が澄ました顔で立っていた。


「ふーくんって言うなって」

「ふーくん、また髪の毛染めたのか。あまり染めすぎると、薄くなると聞いたことがあるぞ」

「もう金輪際染めることはないよ」


 ……多分。マッドブラウンはちと気になるけど。


「そうか」

「琴美、いつもその格好だな」

「ああ、これか?」


 琴美は自分の胸に両手を置き、俺のことを上目遣いに見てきた。

 いやなんだよその顔と視線の角度、可愛いと思ってやってるだろ。可愛いよ。ちくしょう。


「基本私の移動手段はこの脚だからな。走りやすい格好に限る」

「今日も走ってきたのか」

「ああ。だから私は、体力には自信があるぞ?」


 言いながら両腕を自分の身体に色っぽく絡める琴美。

 鼻孔が膨らみそうになるのを必死で我慢する。何の体力か、なんて訊かないぞ。


「まあいい。とりあえず案内してくれ」

「分かった。その代わりふーくん、お母様に合わせた後に、ちゃんと報酬は貰うぞ?」

「わかってるよ。琴美の食べたいものをご馳走する。約束だ」


 俺の言葉に一瞬笑顔になった琴美は、すぐにキリッとした真顔に戻ってスタンディングスタートのポーズになった。ん?


「琴美? まさか走って向かうつもりか?」

「そうだが?」

「そうだが? じゃなくて。琴美の家まで走ってどのくらいの距離なんだ?」

「ほんの五十分くらいだ」

「……うん、電車で向かおうか。電車賃出すからさ」


 ハーフマラソンかよ。そんな走れるわけないだろ。


「ふーくんがそう言うならそれでもいいが……そうか、一緒の時間はできるだけゆっくり過ごしたいということだな?」

「一緒の時間はともかく、ゆっくりと過ごしたいのはそうだな」


 これから未知なる大人に物申す為に出向くのだ。

 神経を極限まで研ぎ澄まさねば、太刀打ちできるかわからないからな。


「なんだ。ふーくんも満更ではないのだな。これは早目に式場の目星をつけねば」

「いやいやいや、なんだよそれ、違うって」


 俺は知ってるぞ! 琴美、お前が心象操作に長けている化け物だと!

 きっとそういうアレな発言も、俺を誑かす為の技の一つで――


「――ッ!!」


 不意に俺の腕が強い力でホールドされた。

 よく見なくても、琴美が俺の腕に腕をからめていた。


「では行こうか、ふーくん」


 ななななんだこの感覚! 女子に腕を組まれるのってこんなに気持ちいいの?

 背が十センチは伸びたような気分で、すぐ近くでいい香りがする琴美に俺の加速した心音が聞こえていないか心配だ。


「ふ、ふーくんって言うなって」


 これも人心掌握の為の技? 心象操作の為の手口?

 あー、もうそんなのどうでもいいや! 女の子と腕組みとか青春のド定番、甘んじて楽しもう! ぐふふ。


「うむう……それでは『旦那様』、『あなた』、どっちがいい?」

「何その二択!?」


 肘から二の腕にかけて時折感じる琴美の胸部の柔らかさに全神経を研ぎ澄ませながら、俺は琴美と駅に向かった。いや、神経の研ぎ澄ませ方しょうもなっ!


 ◆ ◆ ◆


 二つ先の駅から徒歩十分、五叉路ごさろの一番細い道路を更に進んだところに琴美の家はあった。

 味のある二階建てのアパート、二階右角が母親と住む部屋らしい。


「一旦、説明をしてくる。ふーくんはここで待っていてくれ」


 ぎこちない笑みでそう言った琴美は、金属の階段部分に俺を残して一旦部屋に入っていく。

 風に踊る葉擦れと何処かから叫ぶ烏の声だけしか聴こえなくなった。


 さて。

 ここまで来たら後にも引けない。出過ぎた真似と言われようとも、お節介とあしらわれようとも、もうやるしかないのだ。


 何故なら、俺は恋愛マスターだからである。

 ……いい加減このフレーズ使うのやめたいんですが。腕組まれたくらいで思考が遠出する人間がマスターなはずがない。


「ふーくんお待たせ。入ってくれ」


 薄いドアからひょこっと顔だけ出した琴美が俺に声を掛けた。

 飲み込む唾もない程口内はカラカラだ。どうやら俺は緊張しているらしい。


「お邪魔します」


 手を使わずに靴を脱いで進んで行って少し驚いた。

 まだ昼過ぎだというのに、室内はおどろおどろしく薄暗かった。


 カーテンは殆ど閉まり、テレビも電灯もついていない。キッチン側から冷蔵庫のコンプレッサーが鈍く唸る音だけが室内に響いている。

 和室の中央、四つ角が丸い横長のテーブルの周りにいくつか座布団が置いてあった。暗くて何色かまでは判別がつかない。


 その薄い座布団に胡坐をかいている人物が一人。

 琴美とは違って驚く程の長髪の、どこか幽霊を彷彿とさせる容姿の女性が、入ってきた俺を凝視していた。


「こんにちは。突然お邪魔してすいません」


 緊張感と恐怖感がいい塩梅に俺を麻痺させて、すんなりと喋ることができた。

 俺の挨拶に、琴美の母親らしきそいつは無言で無反応だった。暗くて表情はよく分からない。


 対面に正座をして座ると、琴美は俺の隣に同じようにして座り、


「お母様、先程話したふーくんです」


 そう言った。

 おい! 母親の前でまでふーくんって言うな! とはツッコめなかった。

 何故なら、琴美の声にも明らかに緊張の色が混じっていたからだ。


「何の用?」


 よく見ると、テーブルの上には何本も缶が置いてあった。

 殆どが空のようで、正面の琴美の母親は凹んでいないそれを一つ持ち上げ、仰け反るようにして中身を飲んだ。


 段々と目が慣れてきて、ふぅと息を吐く琴美の母親の顔が見えてくる。

 その目や口と言ったパーツは、琴美そっくりだった。間違いなく実の母親だろう。


「お母さんに、お話があります」


 右隣から小さく「おぉ」という掠れた声が鳴った。

 いや、違う、別にという意味で言ったわけじゃない。琴美のお母さんという意味でそう言っただけだ。勘違いして小さく歓喜すな。


「何かしら。私忙しいのだけれど」


 あんた、酒飲んでるだけじゃないか。


「では単刀直入に言います。もうホストクラブに行くのをやめてくれませんか」

 

 俺の声が途絶えると、沈黙が流れた。

 冷蔵庫の鈍い唸りだけが響く。


 やがて大きく息を吸い込んだ琴美母は、分かりやすく溜め息を俺に向けて吐いた。

 アルコールの匂いが鼻に届く。


「あなた、誰?」

「申し遅れました、冬根と申します」

「琴美の彼氏か何か知らないけれど。私がどこに行こうがあなたにとやかく言われる筋合いはないわ」

「彼氏ではありませんが」

「それなら尚更。赤の他人が首を突っ込んでこないでちょうだい」


 予想通りの答えだった。

 考え得る中で、一番分かりやすく、現状どうしようもない返答だ。


 だが、引くわけにはいかない。


「今、琴美さんは複数のバイトを掛け持ちしています」

「ふーくん、琴美はやめてくれ。琴美でいい」


 あのね琴美さん。今それどころじゃないの。


「それがどうかしたのかしら」

「その収入を、もう少しでも琴美さんの為に使うことはできませんか」

「あなた、何のつもりかしら」


 琴美母の声のトーンが数段下がった。

 暗くても、削り取られるような鋭利な視線が飛んできているのが分かる。


「この子は私の子よ。まだ自立もできない高校生がどのようにお金を稼ごうが、その権利は保護者にあるの」

「ですが」

「じゃ、あなたには責任が取れるの? 親には子の全ての責任があるのよ? 我が子が稼いだものは、私がどう使おうが誰かにとやかく言われる筋合いはないわ」


 責任、と言われると反駁材料に欠けてしまう。

 が責任というなら、


「琴美さんの将来や、今現状を考えて責任を取るのも、親の仕事、ですよね」


 軽く言ったことを後悔するセリフだった。

 チラリと横目で琴美を見たが、俯いて黙っているだけだった。


「親の仕事? 笑わせるわね。親になったこともない未成年に何が分かるのかしら。琴美は現状に納得している、そうでしょう? 琴美」

「……はい、お母様」

「それでも、まだ何か言うことがあるかしら? 無いなら帰ってちょうだい」


 琴美母は顔を背け、面倒くさそうにそう吐き捨てた。

 考えられる中で、一番どうしようもないパターンだった。


「ですが――」

「これ以上、子どもの話に耳を傾ける時間はないの。帰ってちょうだい」

「琴美さんの」

「帰ってちょうだい!!」


 食い下がる俺を制したのは琴美母だけではなかった。

 琴美も俺の右腕をギュッとつかみ、無言でかぶりを振っていた。


「……失礼致しました」


 俺はなんて無力なのか。


 学生だから、話術が稚拙だから、突貫の行き当たりばったりだから。

 全部が原因で、全部が理由だった。


 振り返ることなく、俺は琴美宅を後にした。

 俺と一緒に琴美が出てくることはなかった。


 小雨が降りだした空を見上げて、ふぅと息を吐く。


 最初から分かっていた。こうなることは予測済み、想定の範囲内だ。

 だってそうだろ? どこの誰かも分からない人間に言われたことに易々と首を縦に振る人間などそうはいない。

 ましてや相手は自分の子供と同じくらいの年の奴だ。


 でもな。

 俺だってここまで、伊達に恋愛マスター(笑)をやってきたわけじゃない。


 場数を踏むというのも、存外無駄にはならないのだ。

 そうして得たものの一つが、今回もキーワードになっているはずだ。


 霜平からの助言で得た、本心を引き出す為の三つのタイミング。

 それを駆使して、俺は解決のきっかけになるであろう厄介なキーワードをすり潰す。


 俺と四ノ宮、棗と一ノ瀬、一ノ瀬と田中、彩乃と四ノ宮。

 そして、俺と凛堂にも在ったキーワード――コミュニケーション不足だ。


 ……。


 いやこれもう恋愛マスターとかあんまり関係なくない?

 俺のその肩書きをいいように使っているだけですよね、霜平さん。

 

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