垂れ下がる梯子と悲しみのグラデーション

 日曜日の朝。


 浅い眠りを繰り返していた俺をピシャリと現実に引き戻したのは一通の電話だった。

 ここ最近よく俺のスマホが鳴るので、なんとなくだがちょっとした人気者の気分だった。


 ……大抵が霜平教諭からの電話なんだけど。どうやって知ったんだよ、俺の番号。


 そして今回も画面には十一桁の数字が表示されていたのだが、悲しいことに見覚えのある数字だった。


「もしもし」

『あ、氷花ちゃんおはようぅ』


 案の定、聞いたことのあるだらっとした声だった。

 寝耳に水、寝起きに霜平、寝しなに棗、コレ一番言われてるから。(?)


 だってさ、棗の「おやすみ」の爆発力半端ないぜ?

 いやまあ聞いたの気絶間際に一回だけなんだけど。気絶も納得の可愛い声でしたね。(???)


 俺、生まれ変わったら女になるんだ。そして棗と付き合って、あんなことやこんなことを……。


『おーい、氷花ちゃーん。夢の世界に行かないでぇ。起きてぇ』


 いや、起きてはいますよ。夢の世界ってのはある意味合ってましたけど。


「なんですか」

『あ、またそうやって嫌そうな反応! 先生、拗ねちゃうよぉ?』

「……」


 だって、あなたが関わると何故か俺が面倒なことになるんですもん。


『まあ、特にこれといって大事な用ではないんだけどぉ。氷花ちゃん、寂しんでるかなぁって。ほら、あまり友達いないでしょう?』

「……」


 俺も拗ねちゃうよ?


『おーい。起きてるぅ?』

「霜平先生、用件がないなら切ります」

『もう、氷花ちゃんったら、私のことは恋涙なみだって呼んでってばぁ』


 霜平のめんどくさ甘ったるい声にすぐにでも二度寝をしてしまいたかったが、次に耳に入ったセリフで目が覚めた。


『氷花ちゃん、これからピノコちゃんのママに会うんだって?』

「……どうして知ってるんですか」

『んー? 普通に昨日の夜ピノコちゃんが私んに来て教えてくれたよぉ?』

「昨日の夜……」


 昨日の夜の琴美と別れ際、「そろそろバイトに行かなくては」と言っていたのを思い出した。

 バイトって、霜平宅の清掃のバイトだったのかよ。


『ふむふむぅ。氷花ちゃんは先生のお願い、ちゃんと叶えてくれようとしてるんだねぇ』

「別にそういうことでは……」

『まあ氷花ちゃんちょっぴりムッツリの気質あるから、でやる気になってくれると思ってたのよぉ』


 何だよムッツリって、失礼な。合ってるけども。

 というか、アレって何だ?


『どうだったぁ? タイミング的にはバッチリ見えたでしょ?』

「?」

『音も出さずに解錠させるのって、意外と大変なんだから』

「何のことを言ってるんですか?」

『えぇ、氷花ちゃん鈍いぃ。嬉しかったくせにぃ』


 マジで何の事を言っているのか分からない。

 お願いの対価は赤本とタイ焼きじゃなかったのか?


『でもでも、赤は意外よねぇ』

「赤?」

『彩乃ちゃん大胆よねぇ。情熱の赤! 先生ならもうちょっと大人な色を着けるけどなぁ』


 ふと、脳裏に浮かぶ映像。

 ブラウスの隙間から見える、赤い布地。


「……あんた、最低だろ」


 あのラッキースケベはコイツに仕組まれたことだったのかよ。

 ……あんた、最高だなおい。


『えぇ? 嬉しかったくせに。素直じゃないねぇ』

「切りますよ」

『ああ、待って待って! 氷花ちゃんに言いたいことがあったの!』

「……なんですか。告白なら断りますよ」

『ああ! 氷花ちゃんすごく失礼! 折角アドバイスしようと思ってたのに』


 アドバイスも何も、最初から面倒事を持ってきたのはお前だろ!

 とは思いながらも何故か動いてしまう俺、もしかして生粋のお人好しだったりするのかもしれない。


 いや、違うのは自分が一番よく知っているんだけども。

 再三言うが、俺が動くのは、俺の為だ。


「どうぞ」

『ぷぅ。まあ、私はお願いをしている立場だから文句は言えないけどぉ。とりあえずそうねぇ』


 ゆったり欠伸をし終えるくらいの沈黙の後、霜平はこう言った。


『本心を知りたかったら、狙うべきタイミングは三種類』


 ◆ ◆ ◆


 さて。

 俺がこれからすべきことを具体的に要約するとこういうことだ。


 火野琴美の母親、火野恵美子の目を覚ます。

 ホストと結婚をするがために娘の稼いだお金を貢ぎ続ける母親を、ありもしない幻想の営業的恋愛から目を覚まさせてあげる。


 これがきっと、霜平の言っていた『恋愛マスターとしての』お願いなのだろう。


 正午過ぎ、俺はこないだの美容室に来ていた。

 もちろん、髪の色を黒に戻す為である。


 所属美容師がたくさんいる美容室で担当指定なしでお願いしたのに、よりによって前回と全く同じ美容師が担当になり、俺の髪を黒に変えるべくせっせと塗料を髪に塗りたくっているのだが、どうにもその表情は笑いを堪えているように見えて仕方がない。


 大方、あまりに似合ってないので元に戻しに来たとでも思われているんだろう。

 いっそのことハッキリ言って笑ってくれたほうが楽だ。下手な気遣いが逆に辛い。もう二度と髪染めない。美容室コワイ。


 そんな悲嘆さが脳内の半分を占めている中、もう半分を占めるのは琴美に頼んだこれからのことだった。


 これから俺は琴美の母親に会う。

 俺が話す内容については詳しく伝えてない。言うと会わせてくれない気がしたからだ。


 もしかすると立ち会う琴美に激怒されるかもしれないが、それでも今の俺にできる事はそのくらいしかない。


 それにしても、恋愛マスター (笑)として数々の男女を妬ましいことにくっつけてきたが、相手を切り離そうとするのはこれが初めてかもしれない。

 さらに今回は相手が大人である。しかも数十年は年上の。


 ……どう考えても、しがない高校生である俺には荷が重い。

 こんな時、隣に凛堂がいてくれたら俺はどうしていただろうか。


 助けを乞うていたか、あるいは強がってみせたか。

 そのどっちでもない気もする。


 とにかく、俺が似合わない金髪にしてまで僅かな望みがないことを確認した事実を材料に、直接火野琴美の母親に物を申しに行くとしようか。


「やっぱり黒髪のほうが似合ってますね(笑)」

「……そうっすね」


 ……はっきり言われて笑われるのも、それはそれで辛かった。『(笑)』じゃないんだよ。

 二度と髪なんて染めるもんか!


「冬根様の場合、目鼻立ちもしっかりされているので、暗めの……そうですね、マッドブラウンなんかがお似合いになると思いますよ!」

「そ、そうですか?」

「はい! また染めたくなったらいつでも来てくださいね!」


 ニカリと笑うボーイッシュな美容師さん。

 ふーん……来週にでも染めてみようかな。(チョロい)

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