器用貧乏「ヒノ コトミ」

 家の近くにあるわんぱく公園に、金髪の俺は立ち尽くしていた。

 この髪の毛のまま家に帰れば、家族全員から更生だの粛清だのなんだかんだ言われてボコボコにされかねない。


 一番背の低い鉄棒に両腕を畳むように預けて、そこに顎を埋める。

 そして、数日前の早朝に保健室で聞かされた陽太の調査結果を思い返す。


 * * *


「では報告致します。また、足がつくことは私の解雇を意味するので、じかの報知だけである事を何卒お許しください。マスターも形に残る行為はなさらず、心の内にだけしまいこんで頂くようお願い致します」


 いつもの定型文から始まった陽太の調査結果は、纏めるとこうだ。


 火野琴美は現在母子家庭で母親との二人暮らし。

 琴美が小学生の頃、離婚したのを境に母親はヒステリーを起こすことが多くなったらしい。


 幼いながらヒステリックな母親と居るうちに、どのような態度でどのような対応をすれば母親の機嫌を損ねないかを熟知していったとのことだった。


 そのようにして母親の顔色を窺うことを極めていった結果、琴美は今相手が何が欲しいか、何を望んでいるかをより速く察知し、行動することができるようになったらしい。


 いや、どうやってそんなこと調べたんですかマジで。

 普通に追跡調査とか経歴見るくらいじゃ絶対分からないことを平然と調べ上げる陽太が恐ろしい。


 しかしながら、この調査結果は彩乃が言っていたことを彷彿とさせた。


『あの人は、心理操作、印象操作に尋常ではないほど長けています。人心掌握術、と言っても過言ではないです』


 窺い取った相手の気持ちを逆手に取れば、確かにそのような芸当も可能なのかもしれない。

 彩乃が琴美の事を『化け物』と称したのも、今となっては強く否定もできなくなった。


 だが、ここまでなら俺が助けるような要素などない。

 ましてや恋愛マスターとしての俺の仕事などあるはずもない。


 ここまでなら。


「次に、火野琴美の母親についても調査致しました。お聞きになりますか?」

「お願いします」


 独特の消毒臭のする保健室で俺の元に跪く陽太は、顔を上げずに言葉を続けた。


「母親……火野恵美子は、ここ数年酷い浪費をしているようです」

「浪費?」

「はい。具体的には、ホストクラブに通っているようです」


 俺には未知な世界の単語が出てきた。

 しかし無知な俺でも、メイド喫茶での出費とは桁が違うことくらいはわかる。


「頻度が多いわけではありませんが、入れ込んでいる……失礼、夢中になっている人物ホストが一人いるようです」

「はあ、まあでも大人ならホストとかクラブとか、多少はそういう趣味がある人もいるものなんですかね」

「さあ……私はそういうのには疎いので」


 ああそうかい。

 そうよね、貴方ほどの甘いマスクがあれば放っておいても寄ってくる女の子選り取り見取りですよね。ケッ。


「そういった娯楽の価値観は置いておき、一つ問題があります」


 陽太は跪いたまま、いつもと同じセクシーな声でそう言った。


「問題、ですか」

「はい。現在、火野琴美の母親、恵美子は働いていない、ということです」


 * * *


 俺は誰かが忘れたであろう砂場に残った子供用のシャベルを見つめながら、思考する。


 ということはつまりだ。


 琴美の母親は、琴美がバイトを掛け持ちをして稼いだお金で、ホストクラブに通っているということだろう。


 つまり、琴美が言っていたお金を稼ぐ理由が『夢の為』というのは、端からの嘘だったか、もしくは母親がホストクラブに行くこと自体が夢に繋がっているということだ。


 全く、意味が分からない。


「ふーくん、待たせたな」


 鉄棒に寄り掛かる俺に声を掛けたのは、火野琴美だった。

 偶然ではない。俺が先程電話でここに呼びだしたのだ。


 琴美は膝に両手をつき、肩で数回呼吸をしてから、


「ふーくん、何で金髪にしてるんだ?」

「ふーくんって言うなよ」


 霜平から、俺はコイツを救うように頼まれている。


 しかし、今のところ俺が動いたところでお節介になる未来しか見えない。

 大人の事情に首を突っ込むな、こう言われてしまえば俺としてはどうすることもできないからだ。


「それで、どうした? また依頼か? 前の依頼はまだタイミング的に遂行できてないぞ?」

「ああ。前のはそのまま、その時が来たら連絡するから実行して欲しい。今回は別だ。教えて欲しいことがある」


 琴美はスウェットジャージの袖で頬の汗を拭ってから、片眉をヌッと上げた。


「……ああ。でも、情報料は高いぞ?」


 ◆ ◆ ◆


 三味線が乱れるBGMと威勢の良い板前数人の声が響き渡る店内。


「おお。おお。これが寿司か。なあふーくん、本当に好きなだけ食べていいのか?」

「ふーくん言うなってば。ああ、いいよ」


 いいともさ。なにせ今の俺には諭吉ちゃんがある。

 ……先程ナンバー付きホストのカナタから貰った一万円札だけど。


 琴美の言う『情報料』が食事の類であることは分かっていたが、この金髪頭で家に帰る訳にも行かないので、俺は琴美を引き連れて回転寿司屋に来た。

 回らない寿司屋に入る勇気も金もないので、回るほうで勘弁してほしい。


「おお! これ、取ってもいいのか? こんなにたくさん回ってるぞ?」


 それでも目を煌々と光らせて笑顔になっている琴美。


「ああ、好きなだけ取って食べよう。俺も食う。話は食ってからだ」

「私、寿司は初めてだ。では早速」


 琴美はものすごい速さで皿をひったくるように取り集め、掃除機のように寿司を吸引していく。


 ――忘れてた! コイツめちゃくちゃ大食いなんだった!


 次々に重なっていくカラフルな皿に肝を冷やしつつも、満足そうな笑顔で寿司を平らげる琴美を見て、俺も少し嬉しくなった。


 ……まあ、会計で嬉しさはぶっ飛んだけど。

 諭吉余裕で超えるなよ……俺二皿しか食ってないんだぞ?


 店を出て二人で先程の公園に向かって暗い道を歩いていると、琴美が口を開いた。


「さてさて。……シー……それで、教えて欲シー……ことってなんだ?」


 だから公然と爪楊枝でシーシーすなっつうに。女の子でしょ!


「琴美の夢についてだ」

「……夢、か」

「ああ。具体的に教えてくれ」


 琴美は無表情のまま十秒程沈黙し、やがて口を開いた。


「そうだな。ふーくんは将来私の夫になる男なのだったな。では、そういうところも話しておいてもいいかもしれないな」


 まだ言ってるし。騙されないぞ!

 彩乃言ってたもん。そういうのは心象操作の一環だって。てかふーくんって言うな。


「私の夢は、お母様が幸せになることだ」

「琴美の母親?」

「ああ。お母様には幸せになってほしい。だから、私はその為なら何でもする」


 辺りが暗いので琴美の表情が読めない。


「琴美、お前の母親が今何をしているか知ってるか?」

「当たり前だろ? 一緒に住んでいるんだ」


 俺は自分のこめかみがヒクつくのを感じた。


「琴美が稼いだお金を、どう使っているかも知ってるのか?」

「もちろんだ。ホストクラブに行ってるのだろう?」

「……知ってたのか?」

「だから、当たり前だろって。一緒に住んでるんだから」


 街灯の下に来た琴美が薄く笑っているのが見えた。

 だから、意味が分からない。


「ホストだぞ? 言っちゃ悪いが、琴美のことを考えてるとは思えない金の使い方だよな?」

「……そうかもな。でもいいんだ。何よりも、お母様が幸せになることが最優先だから。それに、お母様は言っていた」


 琴美は不意に遠い目になって、もうすぐ着く公園の砂場の方を見ながらこう言った。


「『もう少し、もう少しできっとあの人と結婚に辿り着けるはず』って。それがお母様の望みなら、私は応援する」


 歩みが少し早くなった琴美の後頭部を見つめながら、顔を歪めざるを得なかった。

 俺はその母親の言葉が幻想以外のなにものでもないことを知っているからだ。


 それを知る為に、わざわざ危険を冒して、髪を染めてまで自ら相手方に赴いて事前に調べたのである。


 恋愛マスターとしての仕事?

 ピノコちゃんを助けてあげて?


 霜平さんのお願いをもしも叶えるとするなら、俺の取るべき行動は一つしかない。

 それはどう考えても俺には荷が重いし、出過ぎた真似であることも分かってはいるんだけどさ。


「なあ、琴美」

「なんだ、ふーくん」

「琴美の母親に会わせてくれないか? 琴美が拒むなら無理強いはできないが、どうしても話しておきたいことがあるんだ」


 ――琴美を助ける為に。


「ふーくん……」

「駄目かな。結果的に迷惑かけるかもしれないし、余計なお世話かもしれないんだけど」


 琴美は歩みを止め、俺の顔を見上げた。

 無表情の中に、どこかひっそりと光を宿したような表情だった。


「ふーくん、それはもしかして……『娘さんを俺にください!』的なことか?」

「違えよ!!!!」

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