他力本願の為の自己欺瞞

 土曜日になった。


 というわけで、現在俺は美容室で髪を染めている。


 ……いやどういうわけだよ。脈絡という言葉を一度辞書で引く事をお勧めするぞ、俺。


 俺が昼間からこうして金髪に染めているのは、突然人生に嫌気がさしてグレたわけでも、凛堂と同じ髪の色でお揃いペアルックキャピ♪ なわけでも勿論ない。

 とある人物に接触をする為である。


 先日、俺は下僕である陽太に調査をお願いした。

 もちろんのこと、火野琴美についてである。


 ――ピノコちゃんを助けてあげて。


 顧問の霜平教諭にまたしても厄介なお願いをされてしまったからだ。

 あのチョコレート魔人はどうして俺ばっかりに頼るのだろう。俺のこと好きなんですかね? ははは。


 ……容姿に関しては非の打ちどころがないんだけどね、霜平さん。

 スタイルもいいし長い髪も綺麗だし女性的な柔らかく整った顔をしている。


 ただ、三十近いのにあのブリブリ口調はちょっとアレだな。何が「ぷぅ」だよ。


 まあそんなことはさておき、しょうがないと仕方ないとやれやれをそれぞれ百回ずつくらい唱えてから、俺は言われた通り琴美を助けることにして、陽太から得た琴美の情報を多角的に整理した。


 そうすることで、霜平の言っていた『恋愛マスターならなんとかできるかも』の意味も分かったし、霜平が激昂した琴美の『夢』についても概ね理解できた。


 のだが。


 今回、流石に俺には荷が重すぎやしませんかね?

 だって――


「はい、それじゃ洗い流していきますね~」

「あ、はい……」


 やたらボーイッシュな女性美容師に促されるまま、俺はシャワー台に仰向けになる。

 頭のビニールみたいなものを取られ、顔に白い綿状の物を被せられてから頭が洗われていく。


 染髪は初めてだったが、意外と頭皮に沁みるのね。微妙な痛みに思わず顔のパーツが広がっていっちまった。

 やたら気持ちいいシャワーが終わり、安定したコミュ障具合でぎこちなく返答を繰り返しながら時が過ぎるのを待つこと数十分。


 鏡の前にはド派手な金髪の自分が居た。


「綺麗に染まりましたね」


 美容師さん、どことなく目線が泳いでいませんか?

 それもそのはず……。


 全く似合ってない!! 違和感の権化みたいな勘違い系キモ・オタクにしか見えない。

 苦笑いを浮かべながら、俺は金輪際染髪はしないと心に誓った。


 会計を済まし、なんとなく転生失敗的な気持ちを味わいながら、俺は早速とある場所に向かった。


 確認しなければならないことがある。

 足取りは未だかつてない程重い。


 ――ホストの世界って、大丈夫かな? 怖くない? 殺されたり埋められたりしない?


 ◆ ◆ ◆


 夕刻、俺は繁華街にやってきていた。


 事前に陽太から得た情報の一つはこうだ。


 火野琴美がお金を稼ぐ理由は、母親の為。

 琴美の母親は、とある男に相当なお金を貢いでいるらしい。


 ……この時点で既にもう嫌な予感しかしない。


 相手の男は「Captivateキャプティベート」というホストクラブの実力派のナンバー付きの一人で、ローマ字表記で『KANATA』という源氏名らしい。

 ちなみに陽太の調べで本名まで分かったが、ややこしいので割愛させていただこう。


 KANATA……もといカナタは、同伴出勤が無い日は決まって始業時間前に必ず店のすぐ近くの喫煙所で一服をしている、とのことだった。


 そのカナタに、俺はこれから接触するのだ。

 ……こういうのって、高校生がやることじゃなくない? しかも俺ぺーぺーの寂しいやつよ?


 やるしかないんだけどさ。


 辺りの電灯が点き始める中、遠巻きから例の喫煙所に目を凝らすと、派手な赤髪を刺々しく盛る男が一人いた。

 その男は忙しなくスマホを弄り倒しながら、眉間に皺を寄せている。


 ビックリするくらい胸元の空いたシャツに、高そうな光沢のスーツ。

 陽太からの情報が間違っていなければ、アイツがカナタで間違いなさそうである。


 自分の呼吸音が耳に残るくらいには緊張しながら俺はその喫煙所に飛び込んだ。


「カナタ先輩!! お疲れ様っす!!」


 自分の出せる精一杯の声量で、深く激しいお辞儀を伴わせて俺はそう言った。


「ぁあ? お前誰だ?」


 顔だけを上げると、カナタは赤いレーザーでも出しそうな鋭い目つきを向けてきた。ひええ、コワイ。


「っしゃっす! 系列店『MIRACLEミラクル MEETSミーツ』に新しく入りました! えと、って言います!」


 ふーって。ふーって。

 自分で言ってて恥ずかしくないの? でも他に思いつかなかったんです。


「ふー? 聞いたことねえな。ふーってお前、弱っちい源氏名だなおい。んで、何の用だ?」

「はい! グループトップの実力のカナタさんに、一度挨拶をと思いまして!」

「へぇ」


 カナタはスマホをポケットにしまうと、俺の方ににじり寄ってきた。

 そのまま腕を振り上げたので、思わず目を瞑ってしまった。殴らないで!


 と思ったら両肩に強めの衝撃。

 目を開けると、カナタは両手を俺の肩に置きながら勇ましく笑っていた。


「お前、分かってんじゃん。ふーだっけ?」

「は、はいっす!」

「とりあえずよ、最初のうちは上に気に入られねえと話にならねえ。俺んところに来るのは、殊勝っつうの? いい心がけだわ」


 煙草の煙が俺の顔にかかり、顔を顰めそうになるのを耐えるのに必死だった。


「それにしても、ふー、お前その髪なんだよ?」

「え! これっすか?」


 カナタは俺のさっき金髪に染めたばかりの髪を摘みながら、顔を歪めている。

 やっぱり似合ってないですよね。


「お前、盛ったことねえのか?」

「盛っ……え?」

「ったく。しゃあねえなあ」


 カナタはそう言うと、尻ポケットからブランド物の財布を取り出し、中から諭吉を一枚俺に渡してきた。え。


「それで一回盛り師に頼んでやってもらえよ。ちゃんと見て覚えとくんだぞ?」

「あ、ありがとうございます!」


 この時の俺には何がなんやら分からなかったが、カナタが存外後輩想いだということは分かった。


 さて。


 俺が恥を忍んで髪を金色にしたのも、緊張を押し切ってコイツに接触したのも、全てはの為である。

 不審に思われないように、それを探っていくことにしよう。


「カナタ先輩にアドバイスを受けたいんですが、いいっすか?」

「おう? 何よ、言ってみ」


 カナタは新しい煙草に金属製オイルライターで火をつけながらそう言った。


「自分、まだいろいろと慣れてなくて……例えば、お客さんに対してどこまで言ったら良いとか」

「あー? んなもん簡単よ」


 カナタは煙を上向きに吐いてから、俺を横目で見ながら口を開く。


「基本は色恋営業、ちょっとやり過ぎくらいの好きアピールで、客を勘違いさせればいい。……ああ、でも、ふーだっけ? お前はガツガツは向いてなさそうだな。どっちかって言うと可愛い系の顔だから、母性本能くすぐる系目指しゃいいんじゃね?」


 鳥肌が波打った。男に可愛いと言われるとこんな気持ちなのか。

 棗、今まで幾度となく可愛いって言ってごめん。九十九パーセント脳内でだけど。


「例えば……結婚、とかも匂わせたりするんすか?」

「まあ、結婚願望強そうな女だったら、餌としてチラつかせたりはしてもいいんじゃねえか?」

「……」

「やり過ぎには注意だけどな! トラブルの元だから、あくまで匂わせ、程度だ」


 まあそうですよね。


「カナタ先輩は、例えばお客さんの中に本命とか居たりするんすか? 例えば、本当にこの人となら結婚してもいいかな、みたいな」

「はあ? っはっはっはっはっは!!」


 煙をじゃぶじゃぶ吐き出して爆笑するカナタ。


「んなもん、いるわけねえだろ! ホストに金落とす客なんざろくな奴が居ねえよ! 大体、大抵が中年のばばあだぞ? 俺は二十代までしか興味ねえしな!」


 もう十分だった。

 最初から分かってはいた。


「ありがとうございました! カナタ先輩! お元気で!」

「あ? お元気? どういう意味だ?」


 俺はカナタの問いから逃げるように喫煙所を後にした。

 そして嫌な事が吹き飛ぶように遠くまで走った。


 俺にだって多少なりとも人を見る目はあるつもりだ。


 恋愛経験という点においてはからっきしだろうとも、他人の色恋においては察する鼻くらい持っている。

 いや、他人のだからこそ冷静に見ることができるのかもしれない。


 別にホストをしている男性がどうとか、価値観を否定するわけではない。

 俺が知りたかったのは、微かな可能性があるかどうかだった。


 相手の男が、心からの愛を持って真剣に結婚を見据えている、という僅かな望みだ。


 ……まあ、それが無いと分かっていたから、霜平はアレだけ激怒したんだろうな。



 何のことを言ってるのかさっぱりと感じるかもしれない。俺も少し混乱気味だ。

 状況を冷静に判断するためにも、俺は今一度、下僕から得た情報を深く思い出すことにした。

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