終わりへの始まり
かの国のプリンセスを救う依頼をされた俺は、鍛え上げたエクス・レーヴァティンを手に闇晦ましの魔王城へと向かう。
四精霊の加護を受けたこの身体は、最早不死身に近い。
世界各地に巣食う魔族の四天王たちは既に葬った。あとは魔王ゴルズ・メイザーだけである。
この戦いに勝って、俺は故郷の幼馴染クラリアと結婚するんだッ……!
……あ、これ?
現実逃避です。すいません。
魔王の名前ダサいとか言わない。最後どう聞いても死亡フラグとかも言わない。
いいじゃないか、現実逃避くらいちょっとカッコよくても。
現実は――。
放課後、俺と凛堂が読書をする音楽準備室にやってきてしまった四ノ宮に散々『不潔』呼ばわりされ、数十分かけてなんやかんや納得させることができた。冷や汗大量分泌である。
なんやかんやは何だって?
なんやかんやは……なんやかんやです!(堂本〇剛)
そして四ノ宮退散後も、今度は凛堂から「マスター、マスターの家に女の子が泊まったの?」と訊かれる始末である。
何でもない、ただ本当に泊まっただけだという俺の弁明に、凛堂の眉毛は僅かに寄っている気がしたが、「そう」とだけ言って読書に戻った凛堂を見て俺は後頭部から安堵の溜息を微量漏らした。冷や汗でシャツが絞れそうだ。
恋愛経験ゼロなのに『不潔』というレッテルをなんとかこんとか貼られずに済んだ安堵とは別に、俺は心の奥底で別種の安堵を感じていた。
俺を攻め立てた四ノ宮の口から『火野琴美』の名前が奇跡的に出なかったことに、である。
凛堂を出し抜く為に隠れていろいろ探っている手前、琴美の名前が出ることは、俺の探りがばれることを意味する可能性がある。
いや本当危ねえ。ギリギリでいつも生きてる。生きていたくはないけど。
……まあばれたらばれたで、そこで打ち止め終了、あとは俺の心を晒すしかなくなるんだけども。
すぐ保身に回る自分が一周回ってチキンレースみたいになっている。なんのこっちゃ。
◆ ◆ ◆
しかしながら今日の俺は一味違った。
完全下校を知らせるチャイムが鳴った時の事だ。
「ではマスター、また明日」
いつものように先に立ち上がり音楽準備室を出て行こうとしている凛堂に、俺は声を掛けていた。
「なあ、一緒に帰らないか」
実に半年以上の放課後読書活動の中で、初めての提案だった。
ノブに手をかけていた凛堂がピタリと止まり、僅かに俺の方を振り返って、
「マスターが望むなら」
マスター、ねえ。
俺は苦笑しつつも立ち上がり、凛堂と共に音楽準備室を出た。
すっかり日が暮れ、街灯だけが
こうして二人で並んで歩くのは、デート (笑)以来の事だな。
一緒に帰るという提案は俺なりのケジメというか区切りのつもりだった。
俺だって、可能ならずっとこんな感じでいたい。
居心地も良いし、読書もできるし、何より今までの俺の人生では一番色付いていた気がするからな。すごーく薄い色だけど。
でもずっとこうもしていられないのは言うまでもない。
受験勉強や霜平教諭の願いなど、俺にはやらなければならないことが多すぎる。
「なあ、凛堂」
「何」
「俺、明日から放課後、音楽準備室には行かないよ」
いや。
それらですら乗りかかったオプションに過ぎない。
本当のところはもちろん別にある。
彩乃に非難され、自分でも自分が嫌いになるような、そんな願いだ。
「どうして」
「ほら、受験勉強とかあってさ。ちょっと忙しくなってきて」
「……そう」
俯く凛堂の表情は、街灯の下に来てもよく見えない。
……まあ元からコイツの本当の表情なんて見えてないのかもしれない。
「もしも、相談者がきたら連絡して欲しい。図書室で勉強したりすることも多いから、呼んでくれれば飛んでいくからさ。まあちょっと待たせる流れにはなるけど」
「そう」
「だから、とりあえずさ」
もうすぐ駅につく。
そんな事実に背を押されなくても今なら全部言えそうな気がしたが、今はとりあえずこれだけ。
あとは、全てを終えた俺に任せることにする。
「連絡先、教えてくれないか」
凛堂は青い瞳を俺にしっかと向けながら、ほんのりと口角を上げた。
「私、携帯電話持ってない」
「え!? 嘘ゥん!?」
そんなことある?
いやいや嘘吐くなよ! 俺の前で何回か使ってたでしょ! 陽太呼ぶときとか!
それともアレか? 暗に教えるの断ってるってこと?
最近の女子高生の断り方って、ここまで直球なの?
と思ってこめかみに汗が滲み始めていると、突然凛堂は目を細めて笑い始めた。
ほぼ無声音の「ふふふ」を伴って、手を上品に口に当てて笑っている。
こいつの笑顔をちゃんと見たのは、ものすごく久しぶりな気がする。
「冗談。……はい、マスター」
凛堂は俺にスマホ丸ごと渡してきた。
画面には連絡先の載ったプロフィールが表示されている。
「ありがとう」
駅に着き、改札を通る。
凛堂とは別のホームなので、ここでお別れである。
「ではマスター。また」
凛堂は殆どいつも通りの口調と表情で俺にそう言うと、踵を返して去って行った。
完全に金髪になったその去っていく後頭部を眺めて、自分の脈が整わないのを感じながら俺は心の中で叫んだ。
――その笑顔はズルいって!
反則一発KO必至って感じだ。
まあおかげで、どんな厄介事や面倒事も絶対にこなしてやろうという気が湧いてきた。つくづく単純だよね。
差し当たっては、先ずは霜平教諭の我が儘から何とかしようか。
妙に響く列車到着の合図ベルと車掌のホイッスルを環境音に、俺は下僕に電話を掛けた。
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