顧問「シモヒラ ナミダ」

「えーと、キミ誰だっけぇー?」


 四ノ宮と凛堂の口論があった次の日、俺は朝一で職員室を訪れていた。

 用事があったとしても来たくない職員室に俺が何故来ているかというと、もちろん先日の凛堂の言葉で思い出した自分の立場をはっきりさせる為である。

 すなわち、部活に入部させられているか否か、だ。何がすなわちだよ。


 そんな訳で先程見た職員室内の見取り図に記してあった『霜平 恋涙』と書かれているデスクまで歩くと、そこには甘そうな個包装のチョコレートをパクパク食べている霜平教諭が居た。

 下の名前が何と読むのかも気になったが、その前に俺は最重要事項を訪ねた、というわけだった。


 その返答が先のセリフである。って、なんで覚えてないんだよ。


「三年の冬根です」

「冬根ぇ? えーとぉ、うーん……」


 霜平は一頻ひとしきり唸ったあと、チョコレートを口にパクリと放り込んだ。いや、食ってないでさ。


「だいぶ前に、先生に部活に入れられたかもしれないんですけど」

「部活ぅ? えーとぉ、うーん…………(パクッ)」


 いやパクッじゃなくて!


「ほら! 音楽準備室で! 凛堂と二人でいた時に、入部がどうのって」

「ああー、そんなことあったねぇ。あのときの氷花ちゃんね!」

「ちゃん……」


 この際、下の名前で呼ばれるのはいい。でも『ちゃん』はこう、いろいろと痒くなって死ぬ。

 霜平はチョコレートの個包装を開けるのを止めぬまま、俺の顔を見てニヤリと笑っている。なにわろてんねん。


「その……それで、俺は部活に入部させられているんですか?」

「えーとぉ……うん、そうみたい」

「みたいって、あなたが勝手に入部届出したんですよね?」

「そう、みたい?」


 駄目だ、この教師とまともに会話が成立する気がしない。

 テキトー具合といいだらしない喋り方といい、こんなのが教員免許を取れるなんて、世も末だ。


「凛堂もいる部活なんですよね? 何部なんですか?」

「えー? んー、何部がいい?」

「はい?」


 相変わらず話しながらチョコレートをパクパク食べている霜平。

 俺の問いかけが見当違いの方向になされている気がして、徐々に俺は苛立ちが増してきている。


「あの、真面目に聞いてもらえますか?」

「えー? 真面目なのにぃ」


 途端に悲しそうに眉をハの字にして上目遣いになる霜平。

 その表情は可愛さと色気が同居していて高得点だが、チョコレートを咀嚼しながらなのでマイナス五十ポイントだ。


「せめて何部なのか、活動内容とか教えてもらえませんか?」


 ここで「退部届を」と言わないあたり、俺は良心的だろ?

 ……いや、単に凛堂と一緒の部活ってのを易々やすやすと白紙にしたくないというだけなんだけども。俺は凛堂に何を期待してしまっているんだろうね。


「んー、そうねー、じゃ、チョコレート部!」

「……なんですかそれ」


 満面の笑みで茶色い長髪を揺らしている霜平。


「活動内容はぁ、んー……チョコレートを食べること! うん、そうしようー!」


 ……女性をここまで叩きたくなったのは初めてかもしれない。

 いや、姉もよく殴りたくはなるな。いやあれは女性じゃないか。言ったら殺されそう。


「真面目に話してもらえますか?」

「えー、真面目なのにぃ。氷花ちゃんのいじわるぅ」

「どこがですか! そんな部活聞いた事ないですし、絶対今考えましたよね?」

「んー、うん」

「いや、うんじゃなくて! 俺も勝手に入部させられているなら、せめて本当の事を教えてくださいよ!」

「しょうがないなあー、すぐに怒っちゃだめよぉ? 女の子には優しく、だよぉ? (パクッ)」


 ………………。

 まず、怒っているのはお前のせいだ。

 次に、女の子、というのはもう厳しいだろ。どう見ても二十代後半だ。

 最後に――パクッ、じゃねえんだよ!!


 俺が怒りを自分の握力にぶつけていると、霜平の表情がスッと真顔になった。

 一瞬にして、雰囲気が変わった気がする霜平教諭は、


「部の名前が未設定なのも、活動内容が未定なのも事実なのぉ。実は凛ちゃんの為に作られた部活で、凛ちゃんの推薦入学が決まっている大学は部活動の参加が必須らしいのぉ。変わった大学よねぇ。だから突貫でそういう人の為に作られた部活で、名称や活動内容は後付けで決めればいいってことなの。だからとくに活動もしなくていいし、所属しているだけでいいのよぉ」


 突然内容のある会話を始めた。

 口調はあまり変わらないが、目付きが違う。これがこの人の本来の姿なのだろうか。


「その名称未設定の部に、どうして俺を入れたんですか?」

「えー? 分からないのー?」

「分からないもなにも、あの時の勢いというか、勘違いですよね?」

「そんな事ないってばぁ。あの時も言ったじゃない。恥ずかしがっちゃってぇ、って」


 マジでどういうことか分からん。

 まともに会話が出来るようになったかと思いきや、すぐに意味不明になった。


「まあ、凛ちゃんのためってのが一番の理由だけど、氷花ちゃんのためでもあるのよ」

「……意味が分かりません」

「自覚がないのねぇ。そのうち分かるわよぉ」


 人差し指を下口唇に当てながら不敵に笑む霜平教諭。

 うん、最初から最後までよく分からない。


「あぁ、あとちなみに、なんだけどぉ」


 霜平はチョコレートの個包装を一つ開けて中身を人差し指と親指で摘み、それを俺の顔に向けて「あーん」と言い出した。

 ちょちょちょっと先生? ここ職員室ですよ? いや場所は関係ないけど。


「ほら。あーん! あーん!! あーん!!」


 俺が頑なに口を開けずに突っ立っていると、霜平は怒った顔で大声でそう言いながらチョコを俺の口元に突き出してきた。

 って、大きい声で変な声連呼しないでくださいよ!!

 注目を集める前に慌てて俺は従った。女性に食べ物を『あーん』される、初めての経験だった。なんだこの気持ち。


 満足そうに微笑む霜平が言葉を継いだ。


「よし。氷花ちゃんえらい。そうそう、ちなみに、部員はもう一人いるのよ」


 ◆ ◆ ◆


 放課後、今朝の霜平とのやり取りを考えながら音楽準備室に向かう。


 部活は名称未設定、活動内容もとくにない。

 凛堂の大学入試の為の部活であり、霜平は俺の入部は俺の為でもある、と言った。


 俺の為? 何がだ?

 もしそれが凛堂と一緒に居る時間の為、などとほざこうものなら断固否定してやりたい。

 同じ部活そんなものがなくても、俺は凛堂と一緒に居なければならないからだ。

 何故なら、俺は恋愛マスターだからである。(号泣)


 それにもう一つ、気になる事を言っていたな。


 音楽準備室に着くなり、中からバイオリンの音が聴こえてきた。

 久しぶりだが、これは以前聴いたものと同じ音色だった。

 凛堂が奏でているのだろう。実に聞き惚れる音色だ。


 中断させてしまうのも悪くて、弾き終わるまで待ってから俺は入室した。

 窓からの光が当たる凛堂はいつもよりも神々しかった。


「おっす、凛堂」


 弓とバイオリンをぶら下げる凛堂が一つ小さく頷く。

 なんとなく、俺は先程の音楽について賞賛を凛堂に述べることにしたのだが、


「凛堂、すごく綺麗で美しかったよ」


 俺が言った後、逆光でも分かるくらいに徐々に顔を真っ赤にした凛堂を見て、自分の言動が勘違いを生むものだと遅れて気づいた。


「いや、そうじゃなくて! 綺麗とか美しいってのは、凛堂のことじゃなくて、そのさっきの音楽のことで! いや凛堂も綺麗だけど、その……ッ!」


 何言ってるんだ俺ぇええ!

 撒菱まきびしを散らした道に自ら進んでいくようにダメージを負った。ぐう。


 目を閉じて真っ赤なままの凛堂が、無言のまま俺に数歩近づいたかと思うと、弓で俺の腹部を叩いてきた。

 ……照れている? ちょっと、かなり可愛い。


 咳払いなどを挟みつつ、俺と凛堂は定位置について読書を始めた。

 とは言っても、俺にはいくつか話しておきたい話題があるので、早速切り出すことにする。


「凛堂、部活のことなんだけど」

「何」

「顧問? の霜平先生から聞いたけど、大学の為なんだってな」


 テキトーで頼りない人ではあるけども一応顧問でいいんだよな?


「そう。チョコレート部」

「チョ」


 それ、マジだったのかよ! 思い付きみたいに言ってたけども。

 凛堂は本から目――ほぼ開いてないけど――を離さないまま、会話を続けた。


「特に活動内容はない。マスターは、マスターとしていてくれればいい。私はマスターのためにいる」

「そ、そうか」


 反応に困る忠臣ちゅうしんっぷりに曖昧な返事をしてから、俺は一番気になっていたことを訊いてみたのだが、


「聞いたんだが、もう一人部員がいるんだってね」

「……」

「誰? って言っても俺知らない人だろうけどさ」

「……」

「何年生とかわかる?」

「……」


 いつもの梨のつぶてだった。言いたくないのか知らないのか、せめてどっちかでも教えて欲しいところだけども。

 などと考えていると、


「冬根君! あら、今日も居たのね! お疲れ様!」


 四ノ宮うるさいのが入ってきた。

 ポニーテールをゆっさゆっさと揺らして俺の正面まで来た。


 ここで、ふと俺は気づいた。


 正面には貧乳ポニテメガネの四ノ宮。

 右隣には寡黙無表情無開眼クールビューティの凛堂。

 顧問はテキトーダラダラチョコレート魔人の霜平。


 もしかして。もしかして?


 これは、俺が入学当初から憧れていた、青春というやつなのでは?

 しかも複数の女子が周りにいる、いわゆるハーレムというやつなのでは!?


 男くさい中学生活を送ってきた俺にとって、この状況は感涙に咽び泣きたいところだ。


 ――もしも、俺が恋愛マスターなんて悲しい存在じゃなかったらな!!(大号泣)


「冬根君、いえ、冬根マスター! 今日も迷える子を真実の愛に導く為、邁進しましょう!」

「部外者は立ち入り禁止」

「な、一年のくせに! 私は既に関係者よ! 何故なら冬根君とこころざしの共有を済ませたもの!」

「マスターの助手は私一人で十分」

「あなたにまともな助手が務まるとは思えないわ! 見てなさい! 次の相談者が来たら、私はきっと役に立って見せるわ!」

「部外者は立ち入り禁止」

「なっ! ちょっと冬根君、あなたも何かこの一年に言ってあげてよ! 私たちの崇高なる理想を、説いてあげましょう!?」


 ……。

 俺の思ってた青春と違う。やっぱり、恋愛マスター辞めたい。

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