相談発生?「ナツメ サクラ」

 先週、拓嶺高校の体育祭が終わった。


 ――終わったのかよ!

 終わったんだよ……特に何もなく、ね。


 青春の大きなイベントだというのに、俺の元には甘酸っぱさのかけらも訪れないまま、ただただ筋肉痛を獲得しただけで終わってしまった。

 俺もリレーに出て女子の黄色い声援を受けたり、競い合うライバルとの熱いバトルを繰り広げて、その真剣勝負に心惹かれた女の子から告白されたりしたかった。

 どうしてそういう青いイベントは運動部のエースだったり、イケメンに限るんだろうね。全く妬ましい。


 三年の六月中旬、もうこれ以降それらしいイベントもない。後は受験勉強を残すのみって感じだ。

 運動も顔面偏差値も並程度の俺が、勉学だけは『唯一抜きんでて並ぶものなし』的な感じ――なはずもなく、至って平均点であり、これまた成績優秀者が妬ましい。


 いや、勉学に関しては努力してない自分が完全に悪いけども。


 まあ、いいさ。

 そんな俺にだって、極めて異端な取り柄がある。

 それは、この高校で唯一の『恋愛マスター』だということである。


 恥ずかしいから誰にも言うなよ? ……本当に誰にも言わないでね。クラスメートにバレて噂されようものなら不登校になっちゃう自信しかない。


 ◆ ◆ ◆


 何が恋愛マスターだよ。

 恋愛経験の『レ』の字もないし、なんならレレレのおじさんに一個『レ』を分けてもらいたいくらいだ。


 そんな僻み捻くれボーイな俺にも、放課後の音楽準備室に行けば多少なりとも心の安寧が訪れるのであった。

 凛堂という助手は、今のところ特に青春イベントの足しになりそうな気配はないが、なんとなく俺の事を慕っている(気がする)ので、俺としても気分は悪くない。静かに読書もできるしね。


 尤も、最近は四ノ宮小うるさい奴が乱入してくることが多く、その度に凛堂とやり合っているので落ち着かない。

 大人しく生徒会でしゅきしゅき書記書記していてください。

 まあ、引き込んだの俺なんだけども。


 そんな感じの今日この頃、六月第三週金曜日、生憎の雨の放課後、音楽準備室。

 止みそうにない泣いているような雨をバックに、傘をどこかで獲得しなければと脳内タスクにピンを打ちながらいつも通り読書をしていた時のことである。


 凛堂がパンッと控えめに本を閉じて、


「来る」


 とだけ言って本を鞄にしまった。何、貞子?

 直後、ノック音が四回。五回。六回。七回……何回ノックするのよ。


「どうぞ」


 何も言わない凛堂の代わりに仕方なく俺がそう言うと、日に日にひどくなっている軋音とともにゆっくりと扉が開かれた。何とは言わないけど数字三つの蝶番ちょうつがいにでもしてやれよ、誰か。


「失礼します……」


 気の抜けた笛のような声とともに入ってきたのはすっきりめのショートカットでジャージ姿の子だった。

 俯き加減で両手を背に回し、上目遣いに俺と凛堂を交互に見ている。


「あ、あの、ね……」

「うん、どうした?」


 一年かな? 相談者だろうか。

 あまりのもじもじ具合に俺もそうになるが、ここは上級生として凛としておかないとな。

 それに何より、俺は恋愛マスターだし。とほほ。


「冬根君、だよね?」

「……? そうだけども、キミは?」

「うん、僕はなつめさくら、一応冬根君の隣のクラスなんだけど、わからない、かな」


 まさかの僕っ子ですか。うん、いや悪くない。

 隣、ということは、まさかの同学年?

 三年生にこんな子いたかな。上目遣いのその表情は、俺の男心をさっきからガチャガチャとくすぐっている。


「ごめんね、俺あまり友達多くなくてさ」


 というかほぼいなくてさ。俺にとって隣のクラスなんてのは、エンディング後にしか行けない隠しステージのようなものだ。


「そ、そうだよね……僕も友達は少ないから、気持ちはよく分かるよ、えへ、えへへ」


 えへへって……フォローのつもりなのだろうか。可愛いから許すけど。


「それでね。冬根君が、恋愛マスターさんだって聞いて、来たんだけど……」

「ああ、いやまあ、そうだね、そんな感じだけど」


 あーあ、遂に恐れていたことが起こってしまっている。

 ここに三年が相談者として現れたということは、三年生にまで俺の噂が蔓延はびこっているという事だ。不登校、リーチ!


「それでね、早速相談したいんだけど、その……」


 異常なほどまばたきの回数の多いなつめなる子は、頻りに目線を凛堂にチラつかせてから、


「できれば冬根君と二人きりで話したいなって……ダメ、かな」


 いちいちあざとい上目遣いをやめなさい。うっかり惚れてしまうだろ。

 などと声に出さずに目で訴えていると、隣の凛堂が不意に立ち上がった。


「分かった。じゃ、マスター、あとは任せる。また明日」

「お、おう」


 心なしか不機嫌そうな声色だった凛堂が音楽準備室を出ていくさまを見送った。

 おっと? これは凛堂さん、嫉妬ってやつですかな? ちなみに明日は土曜日だぞ。


「座っても、良い?」

「え! あ、ああ、どうぞ!」

「ありがとう、えへへ」


 クリッとした大きい瞳を細めて、なつめはいつも凛堂の座っているパイプ椅子にお淑やかに座った。

 途端に俺の背筋は無意識に天井を目指している。すぐ傍に可愛い女の子がいる。しかも同じ学年の。


「それで、どういった類の相談ナンデショウカ」


 丁寧語になっちゃうのも、カタコトになっちゃうのも許して欲しい。

 だってすごく近いし、すごく良い匂いがする。良かったね、俺のお鼻ちゃん。


「うん。実は僕ね、すごく気になっていることがあって」

「気になっていること?」


 おや? 恋愛相談と違うんか?

 というかこんな至近距離で顔を見つめないで、緊張で爆発四散しちゃう。


「うん。それでね、冬根君にお願いがあるの」

「俺にできるころた、ことらなら!」


 精一杯格好つけて言うつもりが盛大に噛み、激しく格好悪くなった俺に、なつめはあどけない笑みをくれた。

 天使は、実在する。(格言)


「もし、その、冬根君が良いよって言ってくれたらでいいんだけど」


 良い! 良いよ! 何でもします!


「冬根君と、しばらく一緒に居てもいいかな?」

「……」


 うーんと。

 ……思考回路を探しています。心当たりのある方は――


「ずっと、冬根君を見ていたくて」


 ――どどどどどどどどどど、


「どういうことォ!?」

「わぁ、びっくりした!」


 びっくりしたのはこっちじゃ!

 何、何、ちょっと待って一旦整理させて?

 俺は恋愛マスター、キミはなつめさくら、今日は何月何日で、俺の夢は保――


「迷惑、かな?」


 脳内で台風とハリケーンとサイクロンが仲良くサンバを踊っている俺に、なつめは泣きそうな顔を向けてそう言った。


「いや、全然迷惑とかじゃないけど」

「それじゃ、しばらく一緒に居ても良いってこと?」


 眼を潤ませているなつめを見ながら、俺は胃の中で叫び声をあげていた。


 これか!? これなのか!?

 これがもしや、俺の望んでいた、青春、というやつか!?

 こんなにも可愛らしい子が、自ら一緒に居たいと望んでくれる、これこそが俺の長く望んだ青春の入口か!?


 苦節数年、わざわざ転入試験を受けて拓嶺高校共学校に入学し、仄暗い学生生活に我慢を続け、恋愛経験ゼロなのに恋愛マスターを名乗らざるを得ない頓珍漢な状況すら耐えてみせた俺への神様からのご褒美か?

 今なら神様信じちゃう、青春最高!


「もちろん! 俺で良ければ、好きなだけ一緒に居てくれていいよ」

「ほ、ほんとう? 良かった、ありがとう冬根君。僕、嬉しい」


 ちょっぴり顔を傾けて柔らかく笑む棗は、もう俺には天使にしか見えなくなった。


「それと、もうひとつお願いがあるんだけど」

「何?」

「下の名前で呼び合ってもいい? 僕のことはさくらって呼んでほしい」

「ッ! …………わ、わかったよ、さ、さ、さくら」

「えへへ。ありがとう、氷花ひょうかくん」


 氷花くん――氷花くん――氷花くん――氷花くん――

 気持ちよくリフレインするなつめの声。

 今なら俺、空だって飛んじまえそうだぜ。霊になって。


「それじゃ、早速なんだけど、ついて行っていいかな?」

「どこに?」

「氷花くんの家だよ。できるだけ一緒に居たいから」

「……」


 でへ、でへへへへへ。


 ……。


 ……ちょっと待って、そこの方!

 唾吐かないで! 真ん中の指も立てないで! ブラウザバックもしないで!


 大丈夫、大丈夫ですから!

 だって、俺ですよ? 冬根ですよ? 恋愛マスター (笑)の冬根ですよ?

 こんなうまい話が、あるわけないじゃないですか。ええ。


 勿論のこと、俺はすぐにあらゆる意味で絶望することになる。

 ああ、ほんと、恋愛って何だろね。

 青春とはもともと暗く不器用なものってのはまさに言い得て妙だ。

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