修羅場?「シノミヤ VS リンドウ」
土日を挟んで月曜日の事である。
五月も半分が終わり、軽く駆け足をしただけで汗が滲んてくるくらいには空気も温厚さに満ちている。
変わり映えしない入試に向けた授業を受けて放課後、俺はいつもの場所に向かう。
音楽準備室。三年になってから俺は巻き込まれるような形で
ノックをせずに開けるとそこにはいつもの奴がちょこんと窓傍のパイプ椅子に座って読書をしている。
凛堂。下の名前はルナらしい。漢字は知らない。
このおさげ閉眼クールビューティ女子こそ、俺が放課後毎日ここに訪れることになった原因である。
恋愛マスターなどという悲しくも腹立たしい称号を得てしまった俺は、こうして助手の凛堂と二人、ここで相談者を待ちながら読書をする。
ちょっと
完。
「冬根君いますか!! あ!! 冬根君!!」
爆発でも起きたんじゃないかと思うくらいの激しい音を立てて開かれたドアから、縁メガネのポニーテールが現れた。
そして早速そいつは俺を見つけるなり勇ましい笑顔で近づいてくるのだった。
やっぱりね。そうだろね。しんどいね。
何事もなかったかのようにいつも通りな感じを羅列していったら、先週末の俺の暴走を無かったことにできないかななんて、考えが甘かったですよね。知ってますよ、もちろん。
……ああ、そうとも。
俺は先週、四ノ宮
あの日の夜はそりゃもう、あまりにも恥ずかしい事をつらつらと言い連ねたことによる自我崩壊と羞恥心の猛襲に、自宅の自室のベッドの中で獲れたての海老のように暴れ狂ってしまった。
……何が『真の恋愛』だよ!
……何が『俺はポーカーにすぎない』だよ!
よくもまああれだけ気持ち悪くなれたものだ。
俺の中の男の気概が、彩乃の宣戦布告を真っ向から受ける為に取った行動のはずなのに、結果的に男としての何かを著しく傷つけた行動だった気がするね。
お察しの通り、結論から言えば先週のオペレーションなんちゃら(もう忘れた)は成功した。
それが証拠に……見ろよ、この俺に向けてくる四ノ宮の目を。ミラーボールでも入ってるんじゃないかと思う程キラついてやがる。
そんな目で俺のことを見ないで。溶けちゃう。
「冬根君、いえ、冬根マスター! お疲れ様! 私にできることがあったらいつでも言ってね! 生徒会の立場として私も力になるから!」
四ノ宮は何かの書類を片手に抱えながら、もう片方の手で眼鏡をくいっとあげてそう言った。
……生徒会の立場として、の意味は分からんが、どうやら完全にこちら側に引き込むことに成功したみたいだ。
見たか! 彩乃め! ハッハッハ!!
お前がバカにした俺は、やる気になればこのくらいできちゃうんだぞ!
ガッハッハッハ……とはいえ、俺はその先のことは全く考えていなかった。
こうして四ノ宮の心酔が俺に向いてくることも、そしてそれによって凛堂のいるここ音楽準備室に四ノ宮が現れた時にどんなことが起こるかも。
◆ ◆ ◆
「何の用?」
右隣りから、凍える吹雪のような声を出したのは凛堂だった。
いつも平坦めな口調ではあるが、今日は鳥肌が立つくらい冷酷に聞こえる。
「何の用って、別にあなたに用がある訳じゃないわ! 私は冬根君に用があっただけよ」
「そう。それで、マスターに何の用」
「だから、あなたには用はないわ!」
「マスターへの用は助手である私が聞く」
ひええ。早くも喧嘩してるぅ。
薄々わかってはいたが、凛堂と四ノ宮、このカードは確実に相性が悪そうだ。
「私は冬根君の
あがあああああああやめろおおおおおおおおお!!
叶うなら今すぐにでも海老反りのしすぎで気絶したい!! なんなら消え去りたい!!
なんて痒いこと言うんだよ四ノ宮!
凛堂もそんな目で俺を見るな! 目は開いてないけど!
「マスター、どういうこと?」
俺が訊きたいわ!
まあしかし、目的が他にあったとはいえこちら側に引き込んだのは紛れもない俺だ。
「四ノ宮は、俺のやり方に賛同してくれてさ。だからその、仲間、というか」
凛堂は見せたことのない蔑視を俺に向けて「ふーん」とだけ言った。
言うまでもなく目は閉じたままなんだけども。
ふーん、って……凛堂、あの時「頑張って」って言ってくれたよな? あの応援はなんだったの? 全てを把握していた訳ではなかったのか?
俺と凛堂の凍てつくやりとりを見ていた四ノ宮が、
「冬根君も、こんな小物助手なんか解雇して、私を助手にするべきよ! 私はそれなりに有能よ!」
控えめな胸に右手を当てて凛堂を見つめながらそう言った。
「……あなたは、以前マスターの助手をしていたら後悔すると言っていたけど?」
「そ、それはあの時は
「随分心変わりが早い。そんな人に助手なんて務まらない」
「何よ! 一年のくせに!
ぐ、ぐはぁっ!!
四ノ宮のドギツイセリフが俺を突き刺す。頼む、これ以上辱めないで……。
立ち並んでいると凛堂も四ノ宮も同じくらいの身長で、言い争う様はまるで子供のそれだ。
しばらく言い争う二人に、冷や汗と溜息を零していると、
「マスター」
凛堂が急に俺の元に近づいてきた。
って近い近い!! ほぼくっ付くレベルだ。
「耳を」
耳を? 貸せと?
高鳴る心臓を放置して俺は僅かに屈んで凛堂の顔に右耳を近づけた。
凛堂は右手で俺の右耳を覆うようにして、耳打ちをしてくる。
「マスターに来客。音楽準備室を出て」
はひぃ……吐息がくすぐったひ……。
……じゃなくて、来客? 俺に? 音楽準備室には四ノ宮の他に誰もいないが。
「ここを出たらわかる」
凛堂はそれだけ言うと、少し離れてから俺の顔を見て無表情のまま一つ頷いた。
「何をコソコソと話しているのよ! さてはあなたこそ冬根君を
「悪魔じゃない。私は助手」
四ノ宮がプンスカと凛堂相手に熱くなっている内に、俺は助手の言う通りにすることにした。
俺に来客ねえ。出たらわかるってのはよく分からないけど。
こっそりと音楽準備室を出る間際、
「ちょっと! 冬根君! どこにい――」
四ノ宮の金切り声が俺に向いたが、言い切られる前に俺はすかさず扉を閉めた。
扉を背に溜息を一つ。
やれやれ、
だが敢えてここで繰り返させていただこう。
恋愛マスターって何だよ!! 今すぐに辞めたい。助手とかいらない。
「随分楽しそうですね、ふわぁー」
嘆息混じりの心の叫びをあげている俺に、欠伸をしながら話しかけてきたのは、
来客とはこいつの事か。
◆ ◆ ◆
「それで勝ったつもりですか?」
彩乃は欠伸で出た涙を萌え袖部分で拭きながら言ってきた。
ジトッとした目に、いつもの迫力は無い。
「まあ別に勝ったつもりはないけど。でも、これで君が俺達に勝つ理由は無くなっただろ?」
最初から思っていた事だ。
彩乃、コイツは俺達に敵対している訳ではない。
俺達に敵対する四ノ宮の賛同者、というだけなのだ。
「ふわぁ。そうですね。全く、腹立たしいことですがあなたの言う通りです」
「それどころか、キミ個人としても俺を妨害はできなくなったはずだ」
そうすれば四ノ宮も困ることになるからな。
苦肉の策にしては、予想以上に妙手だったのでは? 俺もしかして頭いい?
「……不本意ですが、お姉さまがそのように行動なさるなら仕方ありません。不本意ですが。私はお姉さまに従うだけですから。誠に不本意ですが」
何回不本意言うんだよ。
まあ何にせよ、やっとこれで言える――。
「――それじゃ、撤回してもらおうか。俺に対して『無能』って言ったこと」
今考えると、俺の男の気概ってやつも小さいよね。
本来こんな矮小な悪口は、から〇げ君一個増量程度で忘れてしまえるようなことなはずなのに。
「そうですね。確かに無能ではないようですね。では言い直します。冬根さん、あなたは無能ではありません。限りなく無能寄りの人間ではありますけど」
片口角だけ突き上げて、彩乃はシニカルにそう言い放った。
んのやろう……。
正直に悔しがったら、ちょっとは可愛げがあるのに。
「ああ、そうかい」
「とはいえです。お姉さまを引き込んだのですから、無下に扱ったら私は許しません。お姉さまの理想を、どうか壊したり邪魔したりしないようにお願いします」
理想ねえ。本当、どうしようね。
こりゃマジで辞められそうにないな、恋愛マスター。
「冬根さん、くれぐれもあなたの本性をお姉さまに悟られないように気を付けてくださいね」
「え?」
本性って、まさか。
恐らく狼狽じみた顔をしているであろう俺を見て、彩乃はルーズサイドテールを
「私が知らないとでも思ったのですか? 私は有能なんです。全部知ってますよ、あなたが今までやってきたことも、本当は恋愛マスターなんてやりたくない事も」
「な……」
「ふふふ。その顔、無能っぽくて私は好きですよ。精々、お姉さまの為に働いてくださいね。私はいつでもあなた方を見張っていますから。ふわぁ」
彩乃はゆったりとした口調でそう言うと、欠伸をしてからくるりと踵を返して歩いて行ってしまった。
黒いオーラでも纏っていそうな後ろ姿に、俺は背筋に冷や汗が伝うのを感じる。
こわッ! 彩乃さん怖い!
というかこれってどういうこと? そういうこと? やっぱり俺、掌の上だったってこと?
俺が恋愛マスターを辞めたいことを知った上で、発破をかけて焚きつけ、四ノ宮を引き込ませることで恋愛マスターとして確立させ、結果的には俺を四ノ宮の理想の為に働かざるを得ない状況にしたってこと?
全部、彩乃の思惑通りってこと?
マジかよ。それが負け惜しみではなく全部本当なら、彩乃、有能すぎだろ……。
凛堂が危険視するのもごもっともだ。
一つ、分かったことは。
恋愛マスターをやめると、四ノ宮を裏切ることになり、彩乃に何をされるか分からないってことだ。
……さらば、俺の理想の青春。
こうなったらやってやるよ。恋愛マスター。
まず何をすりゃいいんだ? 恋愛シミュレーションゲームで勉強でもするか?
◆ ◆ ◆
「恋愛シミュレーションゲームがやりたいなら
……ぐ、ぐぶはぁ!!(吐血)(何回目だよ)
俺が音楽準備室に戻るなり、口論中の四ノ宮がそんなことを言うもんだから、俺は卒倒の一歩手前まで意識が薄らいだ。
音を立てぬよう静かに入室したので、二人とも俺に気付いていない。
「ゲームじゃない。私はマスターの助手をするだけ」
「何であなた目を閉じたままなのよ! 目上の人と話している時は、その人の目を見なさい」
「あなたは私より一センチ小さい」
「な! 身長は関係ないでしょ! 年齢よ!」
おうおう、口論も逸れて面白い感じになってる。
などと他人事のように聞きながら、俺がいつもの
「私とマスターは、同じ部活に所属している。あなたは部員じゃない。部外者は出て行って」
凛堂は確かにそう言った。
「はあ? 部活? 何よ、それ!」
俺も即座に四ノ宮の言葉と同じセリフを脳内で唱えた直後、思い切り後頭部を叩かれたような感覚が走った。
部活――覚えているだろうか?
もし覚えていない人がいるなら、この話の序盤、目次で言う『帰宅部終了のお知らせ』に戻っていただけたら幸いである。
すっかりサッパリ失念していた。
最初の頃、ここ音楽準備室にやって来た一人の人物。凛堂が『霜平』と名前を教えてくれただらしのない喋り方の教師。
そいつは確かにこう言っていた。
『じゃ、入部届書いとくねぇ』
やっぱり俺、何か部活に入らされていたの!?
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