下僕「〇〇〇〇 ヨウタ」

 日付変わって金曜日。

 一時間早く登校したのには理由があった。


『明朝七時半、保健室にお越しください』


 先日、下僕である陽太教諭に電話した際に、最後に言われた言葉だ。

 男との待ち合わせの為に早起きして登校とか、なかなか気分の良いものではないね。それが教師ともなればなおさら、まるで罰当番だ。


 はてさて俺が昨日下僕である陽太教諭に電話した目的は勿論情報の為だ。

 妨害相手の二人を出し抜く為に……いや、そいつらに出し抜かれないように、かな。


 とにかく戦う相手の情報をつぶさに知ることは、勝負において最も重要なことの一つだ。

 来たる次の依頼に備え、準備を怠るべからず……って、何熱くなってるんだよって感じだけど。自分でも自分がちょっと自分らしくなくなっていることに気付いてちょっと可笑しい。


 拓嶺たくれい高校の保健室は昇降口から歩いて二十秒、廊下の突き当たりだった。

 部活の朝練をしているであろうジャージ集団がこの時間の廊下にいることを初めて知りながら、俺は保健室に辿り着いてノックをした。


 返事はない。

 仕方なくノブに手をかけてみたが、鍵がかかっているのか扉はびくともしなかった。

 って、いないのかよ! 早く来た意味!


「お待たせしました」


 ノブに八つ当たりをしていた俺の背後から、昨日俺のスマホの受話部分から聴こえたものと同質のセクシーな声がかかった。

 振り返ると、ジャラジャラと大量の鍵を指にぶら下げる陽太教諭が白衣を着て立っていた。

 気配がなくいつの間にやら後ろに立っていたことにも驚いたが、何よりも表情と目付きに俺はちょっぴりちびりそうになった。

 俺を見下ろす陽太教諭は、あまりにも冷酷で殺傷能力を宿していそうな顔付きだった。

 しかしそんな表情も束の間、すぐに優しい笑顔に変わり、鍵を開けて保健室に入っていった。俺もそれに続いた。

 大丈夫かな、こんな人を下僕扱いしてしまって。後で殺されませんかね?


 ◆ ◆ ◆


 どうやら陽太は養護の教諭らしい。俗にいう『保健室の先生』ってやつだ。

 若くてセクシーめな声に、長身かつ嫉妬するほど端麗な顔付き。似合っているミディアムシャギーヘアに爽やかスマイル。

 きっと一定数の女子どもはこの陽太教諭目当てに何かにつけて保健室を訪れていることだろう。妬ましい存在が増えて俺は溜息を飲み込んだ。


 まあそんなイケメンで妬ましい陽太こいつも、今や俺の下僕だ。カッカッカ。どうだ! みたか!

 と誰に向けるでもないスネオチックな思考をしていると、立ったままの俺の前に陽太教諭はひざまずき、


「マスター、ご依頼の情報を申し上げてよろしいですか」


 俺の足元を見つめるようにしたままそう言った。

 イケメンをひざまずかせるのも、意外と悪い気はしないな。金持ち我儘ご令嬢の気持ちが今なら少しわかる。


「お願いします」

「はい。では申し上げます。また、足がつくことは私の解雇を意味するので、じかの報知だけであることを何卒お許しください。マスターも形に残る行為はなさらず、心の内にだけしまいこんで頂くようお願い致します」

「え、は、はあ」


 メモ等を取らず聞くだけにしてくれってことか。それだけこの陽太教諭は危ない橋を渡って情報を集めたということか。


「それでは一人目、四ノ宮然愛もあについて――」


 陽太の口から語られたのは、恐ろしく細かい内容だった。

 身長、体重、視力、家族構成といった概要から、直近数週間の食事の内容や寝室に置いてある私物など、まるでストーカーのような調べっぷりだった。ドン引きしてしまうのも仕方がないだろう。まあ調べるように言ったのは俺なんだけど。


「以上が四ノ宮然愛もあについての簡単な情報です。ご用命とあらば、更なる追跡調査も致しますが」

「いえ、大丈夫です!」


 ひざまずいたままの陽太の脳天に向かって俺は慌てて声を掛けた。

 これじゃまるで変態みたいだ。俺がしたいのはこういうことじゃない。


「そうですか。それでは二人目、古川彩乃ふるかわあやのについての報告です」


 淡々と感情の籠もっていないような喋り方で陽太は続けた。

 ほう……あのアヤノという長身欠伸あくび野郎は古川という苗字なのか。


「身長百七十五センチメートル、体重は五十七キログラム、視力は両眼共に測定不能、家族構成は現在母親との二人暮らし、父親とは四年前に離婚されており――」


 怖い。怖いよまじで。なんでここまで一晩で調べ上げてるの。

 いや、だから頼んだのは俺なんだけど。


 一通り、報告し終えた陽太教諭が、一呼吸置いてから声をワントーン下げてこう言った。


「あとは、気になる点が一つありますが、報告致しますか?」

「気になる点、ですか」

「はい。古川彩乃ふるかわあやののここ最近の挙動についてです。どうやらここ数日間、古川彩乃ふるかわあやのはある二人の人物を嗅ぎ回るように追尾しているようです」

「追尾?」

「はい。目立たぬよう行動しているようですが」


 二人の人物、ね。


「その二人って言うのは誰ですか」

「はい、それは――」

「私とマスターの二人」


 俺の問いに答えたのは陽太ではなく、L字に掛かったカーテンの向こうの見えない人物だった。

 そしてススッと動かされたカーテンから、制服姿の凛堂が現れた。

 ずっといたのかよ! 怖ぇよ、ってか居たなら最初から出てこいよ!


 ◆ ◆ ◆


 依然頭を垂れたままタイル張りの床に片膝を突く陽太を気にも留めず、凛堂は俺の傍まで歩いてきた。

 いつものおさげヘアではなく自由に靡いており、ちょっぴり大人びて見える。

 顔は相変わらず無表情無開眼だったけど。


 何となく、凛堂にはばれないように俺なりに調べたかったのだが……。


「マスター、マスターが本気になってくれて嬉しい」

「いや、本気って言うか、なんつーか」


 そんなに真っ直ぐな瞳を向けないでください。目蓋は開いてないけど。

 というか、先程までベッドで寝ていたであろう凛堂の格好は、本来上に着るはずの指定のサックスブルーのベストを着ておらずブラウス一枚であり、尚且つ第二ボタンまで外れてはだけており、可愛いピンク色の布地が隙間や薄い白地から透けて見えてしまっていて、俺の目線は先程から音速で右往左往している。


「私も助手として全力でサポートする」

「はあ、それはありがたいんだけど」


 違うんだ凛堂。

 今回は俺一人でどうにかしなければいけないんだ。

 古川彩乃の挑発はそういうことだ、お前一人でやってみせろというニュアンスを込めた宣戦布告だったはずだ。

 ……下僕である陽太にすぐに頼っている時点でアレではあるけれども。


 それに、一晩考えて俺にもがあるのだ。


「とにかく凛堂が言っていた『彩乃は危険』ってのも分かったけど、今は俺に任せて欲しい。気にせずいつも通りに過ごしてくれ」

「……わかった。マスターの言う通りに」

「うん、それとさ、凛堂」

「なに?」

「言いにくいんだけど……はだけてるぞ、ブラウス」

 

 頬をポリポリと掻きながら俺が言うと、僅かに目を開いた凛堂の頬が徐々に赤くなり、元居たベッドのあるカーテンの中に戻っていった。

 こういうところはやっぱり普通の女の子だよな。


 布の擦れるような音が聴こえてくるカーテンの向こうに、俺は疑問をぶつけた。


「なあ凛堂、お前どうしてここにいたんだ? 体調悪かったのか?」


 数秒して、しっかりとベストを着用したおさげヘアの凛堂が出てきて、


「違う。私は普段ここで授業を受けている」

「ここで? なんで?」

「……」


 保健室で? 授業?

 保健教諭、陽太と二人きりで……?


 俺は未だにひざまずいている陽太に目を落として、今までにないくらいのどす黒い感情が湧いてきた。

 ちょっと大人な先生と、危ない授業ってか? 凛堂も凛堂でしっかりやることやってるってか?


「その辺の説明は、私から致します、ルナさん」


 陽太が面を下げたままそう言った。


「名前で呼ばないでって言ってるでしょ」

「……はい、失礼しました、凛堂さん」


 無表情のまま陽太に冷たい言葉を浴びせた凛堂は、摺り足のように入口まで歩き、


「ではマスター、また放課後に」


 それだけ言うと保健室から出て行った。

 残される棒立ちの俺と跪いている陽太教諭。何とも気まずいね。俺も帰っていいかな。


「あのー……」

「ルナさんは、とっくに日本で言う高等学校卒業の資格を所持しておられるのです。数年前までは、海外に居りました」

「海外に?」

「はい。ルナさんは優秀な方です。所謂いわゆる、飛び級というやつですね。形式上、一年以上は日本の学校に在籍していることが必要なため、こうして拓嶺高校に籍を置いておられますが、来年には卒業の予定です」


 陽太は微動だにせず、しかし少し誇らしげに語った。


「それで、一応は学校に来ているけどクラスには所属していない、ってことですか」

「厳密にはクラス所属ではありますが、授業に出る必要は無い為、出席日数の為にこうして保健室で授業をうけています。ちなみに私は大学教諭の資格も持ち合わせておりまして、ルナさんは定期的にそのお勉強をここで」


 ふーん。若い男女、二人きりで、保健室で勉強、ねえ。

 駄目だ、どうしても負の感情が湧く。

 見た目は二十代前半くらいのイケメン教師。妬ましいね、全く。

 小言の一つも言いたくなる。


「下の名前で呼ぶなって言われてませんでしたか?」

「……ええ。そうですね。しかし、苗字呼びはどうにも……」

「どうしてですか? ファーストネームで呼ぶのが海外の常識だからですか?」


 この海外かぶれめ。


「いいえ、申し上げておりませんでしたが、私の苗字も凛堂、なのです」

「……な、な」


 何だってー!?


「な、なるほど」


 えらく合点がいった。陽太という下の名前呼び、明らかな年上に対する下僕扱い。

 この陽太は凛堂の親族ということか。


「マスターのお察しの通り、私はルナの夫です」


 は?


 は?


 は?


 いやいやいやいやいやいやいや?

 お察しできるかそんなもん、んな馬鹿な! 嘘だろ?


「……すみません、冗談です」

「は、は、は、ははははは……」


 笑えねえ!!!!!!

 いや、三周回って爆笑ものだ。口角も引きつり気味に上がっちまっているぜ。


「自己紹介が遅れてすいません。ルナさんの兄、陽太です。あなたがルナさんのマスターである以上は、私はあなたの下僕です。何なりとお使いください」


 悪質なジョークで天地がひっくり返りかけた俺だったが、いろいろと腑に落ちたと同時にそうすると当然湧いてくる疑問がある。


「どうして、陽太さんは凛堂……ルナの、その、下僕なんですか」

「それは……」


 不意に言葉をつぐむ陽太。

 訊いちゃいけない事だったか? もしかしてドMとか……。


「詳しくは言えませんが、これだけ。私には、ルナさんに対して償いきれない罪があるのです」




 なんだかんだ長い時間話し込んでしまって、気が付けば始業の予鈴が鳴っており、俺は慌てて自教室に駆け込んだ。

 そして担任教師によるHRが始まる中、俺は頭の中を整理することにした。


 陽太教諭は養護教諭であり凛堂の兄。

 過去に何かしらがあり、凛堂には償いきれない罪を抱え、それ故に凛堂の下僕として存在している。

 流れで俺の下僕にもなったのだが、その密偵ぶりや調査力は恐ろしささえ覚える程のものだった。


 確かに凛堂の言う『優秀』という言葉は間違っていないようだな。ちょっと怖いけど。


 そんなわけで今回、その優秀な下僕を使って俺が得られた妨害相手二人の情報は、俺にとって大変有意義なものになった。

 この情報は、俺にとって必要なものだ。


 というのも、先述したとおり俺にはがあったからだ。

 なかなか寝付けない俺が悶々と考えて思いついたもの。


『助手さえいなければ、あなたは無能ということです――』


 ――俺の力で、彩乃の宣戦布告に打ち勝てる方法。


 要するに、負けなければいいってことだ。

 恋愛マスターとしての自覚が芽生えたわけでも、熱くライバルに挑むわけでもない。いや後者は少し含む所があるけれども。しょっぱい男として。


 よく言うだろう。

 将を射んとする者はまず馬を射よってね。

 でも俺の場合はちょっと、いいや、だいぶ違う。

 男は黙ってでタイマン勝負、だ。いや相手女だけど。

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