妨害相手「〇〇〇〇 アヤノ」

 翌日の放課後。


 俺は凛堂に伝えるべきことを伝えた。

 まずは相談者キムラ エリが、成功の報告に来たこと。

 次に昨日に音楽準備室の前で妨害相手の一人のアヤノと呼ばれる背の高いおっとりした女子に出くわしたこと。


 どちらを報告しても、凛堂は「そう」としか言わなかった。まるでそんなこと最初から知ってる、みたいな反応だった。


 ……。

 何か他にないのかよ。最近、助手キミ冷たくない?

 いや最初から冷たい感じではあったけども。何が悲しくて寂しい思いをしてまで俺は音楽準備室こんなとこ恋愛マスターこんなことなんてやらなきゃならないんだろう。


 そういえば凛堂は助手志願時に、「なんでもする、何でも言うことを聞く」って言ってたよな。

 それならマスターの権限で「俺に優しくしろ!」とか言ってみるか?


 ……こんなこと考えている自分が一番寂しくて悲しいよね。


 ◆ ◆ ◆


 というわけで、昨日下僕げぼくを獲得した俺が何をするかといえば、特に何も変わらなかった。

 いつものようにここ音楽準備室で下校時間まで本を読む。

 隣には凛堂という一年女子がいる。二人っきりだ。しかも助手であり、「何でも言うことを聞く」とまで言ってくれる献身ぶりの背の小さなクールビューティ女子だ。

 

 ……これで俺が『恋愛マスター』なんて小恥ずかしいモノなんかじゃなかったら、青春してるなぁと実感できただろうにね。


「ではマスター、また明日」


 完全下校時間を告げるチャイムと同時にそう告げた凛堂は、いつものように手際よく音楽準備室を出て行った。

 一緒に帰ろうと思えば帰れるが、あえてそうしない俺はチキンなのだろうか。それとも優しい奴だろうか。


 なんとなく少しだけ時間をつぶしてから下校し、自宅の前についた頃合いで俺は先日会ったばかりの奴に会った。

 ちょっとだけ恐怖を感じたのを覚えている。


「ふわぁ……待ちくたびれましたよ、冬根さん」

「何の用?」


 欠伸をしてから俺に感情のなさそうな笑顔を向けたのはアヤノと呼ばれていた背の高い女の子だった。

 あの宣戦布告をしてきた妨害相手四ノ宮の助手 (?)的存在の子だ。


 女の子に待ってもらえるっていうのは男冥利に尽きる青いイベントだろうが、それが敵意剝き出しの女の子となるとまた種類が違うな。


「私はつくづく勘違いをしていました。てっきり冬根さんがお姉さまの大きな弊害になるものだと」

「……? よく意味が分からないんだけど」


 どうしてこの子は俺の家の前に居たんだ? というかどうして俺の家知ってるんだ?

 ふと思い出す凛堂の言葉――あの背の高いアヤノって人、あの人は危険。


「あなたは普通です。何に於いても普通の人です。これと言って特筆したものがない普通の人です」

「……」


 あれ、もしかして急にディスられてる?

 アヤノなる女子は俺の家の塀についている『冬根』という表札を人差し指で突っついている。

 その度にルーズサイドテールがゆさゆさと揺れている。


「そんなあなたにどうしてあれほどまで優秀な助手がついているかは不思議でなりませんが……覚えていてほしいです。冬根さん、あなたは助手の力がないと何もできない」


 嘲笑を交えて言ってくるアヤノから延びる影は、落ちかけの陽でまるで巨人のようになっている。

 凛堂が優秀な助手? 優秀って単語は『理不尽で強引』って意味だったっけ?


「良く意味は分からないけど、つまりどういうこと?」

「助手さえいなければ、あなたは無能ということです」


 うん、わかった。俺コイツ苦手だ。

 というかもともと年下って苦手なんだよね。何考えてるか分からないのもそうだけど、辛辣な言葉が際立つというかさ。

 そりゃご尤もというか、そもそも俺は有能であったつもりもないし、ましてや恋愛マスターとして有能であるはずがないだろ? だって、恋愛経験ゼロだもの。

 加えて、対抗相手がこうして出張ってまで奮起しているのは俺にとって悪いことではない。

 恋愛マスターとしての俺を潰しにきているということは、俺にとっちゃ願ってもないことだしな。


 まあ、でも。


 流石にだ。

 ここまで侮辱されたら俺だって腹が立つ。この野郎、なんていう単語がはらの中で湧き出てくる。

 どうやらそのくらいの男としての気概くらいは俺にもあるらしい。


「君がどう言おうと勝手だけど、君らに負けるつもりはないよ」

「……その余裕もいつまで続くか見物ですね。遠からず、あなたには地面に両手をつかせてあげます。次に勝つのはお姉さまです」


 言い終わると、アヤノなる長身女子は大きな欠伸をしてから夕日の方向に消えていった。

 私こそが正しき青春の権化とも言いそうな背中だった。


 見えなくなるまで目で追った後、俺は頭の中で整理を始める。

 頭に血が上った時、爆発物処理のように脳内を順序良く片づけるのは俺の癖でもある。


 恋愛マスター(笑)としての俺と、助手の凛堂。

 を脅かすであろう妨害相手として現れた四ノ宮 然愛と、その手先(?)であるアヤノ。

 

 そのアヤノが宣戦布告まがいの行為を態々俺の家の前にまで来てしてきた。

 つまりこれは――


「あら、氷ちゃんお帰り。そこで何してるの?」


 玄関から姉が半分だけ扉を開けて顔を覗かせていた。

 格好からして風呂上がりだった。だからそんな格好でうろつくなよ。


 橙色の光を失っていく空を改めて見つめながら再度意識を脳内に移動させる。


 つまりこれは、アヤノの挑戦状、ということだろうか?

 助手なしで、私たちに勝ってみろという意味か?

 そもそも凛堂に頼った記憶など微塵もないし、なんなら俺は妬ましい相談者達に対し、崩壊狙いで無茶苦茶なアドバイスをしているだけだ。

 何故だかことごとく成功し、凛堂はそれを「あなたの言葉の力」などとオカルティックに言っていたが……。


 もしかして――


「氷ちゃん、家に入らないの? 玄関鍵掛けるよ?」

「あ、入ります」


 眉の寄ったバスタオル一枚のワカメ頭の機嫌を損ねる前にそそくさと玄関に滑り込み、靴を脱ぐ。

 自室に着き、制服を脱ぎ、ベッドに倒れるように仰向けに寝た。


 ところどころシミの付いた天井を見つめながらぼーっとした時に、ふと湧いてきたのはどうしようもない恥ずかしさだった。

 いやなにちょっと熱くなってるんだよ俺。なにが「君らに負けるつもりはないよ」だよ。青春漫画かよ。


 ◆ ◆ ◆


 とはいえ、だ。

 俺も日本男児を大雑把に見た中で、その内の矮小な存在寄りなのは認めてもいいが、それでも二言のある男にはなりたくはない。


 恋愛マスターとしての威厳を保ちたいわけではないが、ああも敵意を見せられて無能扱いをされて黙って敗北というのも癪だ。負けるつもりはないと豪語もしてしまったしな。

 そうなれば、もうやるしかない。

 俺はやる時はやる男、というのを見せなきゃならないな。


 その為の妙案が…………うん、さっぱり思いつかない。

 天井のシミの模様がドラ〇エのスライムに似てるなぁとか、腹減ったなぁとか、そのくらいしかさっきから頭に浮かんでこない。


 そうだ。食事だ。脳に糖分を回すのだ。そうすればいい案が浮かぶかもしれん。

 というわけで俺はリビングに降り、姉の分も合わせて晩御飯を作った。


 頭がぐちゃぐちゃしている時には、料理に限るな。

 作るのも食べるのも、どちらも繁雑な思考をならしてくれる気がする。


 できたビーフシチューを姉とともに平らげ、皿洗いを文句たらたらの姉に頼んで(そのくらいやってくれよ)俺は自室に戻った。

 調度良い満腹感に包まれた俺はベッドに横になった。

 ああ、お腹もいっぱいでいい具合に睡魔も来ている。今寝たら気持ちがいいんだろうな。


 しかし。


 下唇を軽く突き出すように大きく空気を吐いてから、糖分の行き届いた脳で改めて思考する。


 まずは、情報戦だろうか。

 相手――四ノ宮とアヤノ、この二人の情報が欲しい。

 勝つ為には必須な気がする。何に勝つんだよって感じなんだけど。


 それに……なんとなく、凛堂に頼りたくはない。

 アヤノに言われた言葉を認めたくもないし、そうじゃないというところも見せておきたいしな。誰に見せるんだよって感じなんだけど。


『助手さえいなければ、あなたは無能ということです』


 小さな疑念を孕んだ余計な思考を一旦置いておき、俺はスマホを取り出す。

 連絡帳を開き、や行の一番下の人物に電話をかけた。


 ――陽太は下僕だけど優秀で便利。マスターの好きに使って。


「はい」


 受話部分から聞こえたのは低くてセクシーな声だった。こんな声だったっけ?


「えー、冬根と申しますが、陽太さんですか?」

「ああ、ルナさ……いえ、凛堂さんのマスター様、ですね」

「いや、マスターというか、まあそんな感じですけど」

「なんなりとご用命を」

「調べて欲しいことがありまして」


 教師相手に忍びないが、助手が好きに使ってというのだから仕方ない。

 怒るなら凛堂に怒ってくださいね?


 それにまあ、たまには相手を出し抜いてみるのも、悪くない気分になれるのかもしれないな。

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