理想と現実「デート?」

 俺だってそれなりに知識だけはあるつもりだった。


 経験がないからと言って、知識がないとは限らないだろ?

 頭の中じゃ空想の誰かと億千万回の模擬デートをしてきたし、ゲームや物語から仕入れた様々なシチュやデートコースなどの知識はあるのだ。


 耳年増と言われればそれまでだが、全くの無知識よりは幾分かマシだろう。

 現にこうして唐突に発生した青春イベントに、『どうのつるぎ』くらいは持って臨める気分なのだから。


 外国人なのかどうしてか目の青い凛堂と、俺はデートをすることになってしまった。

 妬みが主因と言えど、姉の強引さもたまには役に立つようだ。


 飛び出そうな心臓を両手で奥に押し込みながら、俺は必死に思考をトルネードさせる。


 シミュレーションは膨大なれど、実践は生まれて初めてのデートだ。

 しかも相手は謎多きクールビューティ碧眼おさげ女子。


 相手にとって不足なし、とか口に出したら凛堂の冷ややかな視線で刺殺されそうなので胸裏に留めておく。


 はてさてここまでペラりとウキウキを醸し出してみたが、蓋を開けてみると青春イベントと呼べる要素は皆無であった。

 デート? これが? ってもんだった。


 脳内では百戦錬磨の俺も、さすがにこれにはお手上げだったね。


 本当、デートって何だろう。辞書の意味を『困難や苦難に陥り、心に傷を負う様』くらいに書き換えて欲しいね。


 その悲惨さを順を追って説明しようか。


 ◆ ◆ ◆


 まず俺はそれなりの服に着替えて、凛堂と共に家を出発した。


 少し歩いてから、果たして本当にデートするのか? というまなこを右隣の制服姿の凛堂に向けたが、相変わらずの無言無表情無開眼だった。

 ちゃんと目開けて歩かないと危ないですよ。


「なんか、姉がごめんな。変なこと言って」

「マスターの姉の命令、必ず遂行する」

「いや別に無理に聞かなくてもいいって。それに、ほら、デートだよ? そういうのって普通さ……」

「普通、何?」


 右手に気まずさを、左手にぎこちなさを装備する俺に、ポーカーフェイスの凛堂は真っ直ぐな目を向けてくる。いや目は開いてないんだけど。

 普通は、ある程度お互い好意を持っている者同士が、だな……。


「デートって、意味わかってる?」

「わかる」


 分かってはいるのね。


「異性同士で、様々なところに行ったり、様々な事をしたり――」


 随分抽象的だな、概ね合ってるけどさ。


「その後、お互いの合意の下、肉体関係を持つこともある」

「ィえ!?」


 りりり凛堂さん!? 

 なに恥ずかしげもなく具体的にディープな事言ってるの?

 凛堂の事だから淡々と世の中に於いて起こり得る事実を述べただけなんだろうけど……それとも今時の女子高校生ってそんなに進んでるの? 俺が遅れてるだけ?


「そういうパターンも無きにしも……でもとりあえずは健全に、まあ折角だからどこかに行ってみようか?」

「……」


 俺の問いかけに目を閉じたままコクリと頷く凛堂。

 マスターの命令なら、なんて言ってコイツは本当に何でもしそうでちょっと怖いな。

 助手志願時の俺の無理難題も聞こうとしていたし……俺がヘタレマスターで良かったね助手君。


 何となく駅の方角に並んで歩いていきながら、隣を一緒に歩いてくれる女の子が居るってだけで俺はもう満足だった。

 恋愛経験ゼロの野郎の心なんてそんなもんだ。


 女の子に微笑まれたら浮つくし、ちょっと触れたらドキドキだし、デートなんかしようものならテンションがマッターホルンを登頂し始める。


 しかしながら、ふわふわと素敵気分が頭上を旋回するのはここまでだった。


「凛堂、どこか行きたいところある?」

「ある」


 それは助かるね。

 まずは凛堂の行きたいところに行こうか、ということで控えめな凛堂の先導に連れられて辿り着いたのは小さめの病院だった。は?


「マスター、ここで待ってて」


 独特の消毒臭が鼻につきながら、俺は待合室の微妙に固めのソファで待つことになった。は?

 周りにはやたら眼球についての張り紙が貼ってある、どうやら眼科のようだ。

 もしかしたら凛堂の青い瞳と何か関係があるのだろうか?


 待つこと三十分。

 そろそろ、俺は騙されたのか、それとも新手のいじめなのか、二択に絞ろうかなといった頃合いに、


「マスター、お待たせ」


 凛堂は俺の元に戻ってきた。

 恰好や眼付近にも何も変わった様子はない。相変わらずの閉眼状態だ。


 そのまま、いつもの音楽準備室の時のように俺の右隣に座った。

 そしていつものように鞄から本を取り出して読書を始める。えーと?


 今は閉じられて確認できない凛堂の青い目について、訊くべきか触れないべきかを迷いあぐねて五分くらい経った頃に、


「凛堂さーん、凛堂ルナさーん」


 受付のマスクの女性が凛堂を呼んだ。

 無言でスッと受付までスリッパを鳴らして歩んでいく凛堂。


 ルナ? 凛堂の下の名前ってルナっていうのか。

 どういう字を書くのか、まさかカタカナだろうか?


「マスター、次の場所へ」


 手に何かの薬の袋を持って戻ってきた凛堂が俺にそう言うと、足早に病院を出て行った。

 って置いてくなよ。それとも俺が付いていくのが遅いのか?


 音楽準備室からの帰宅時も、もしかしたら俺が急ぎついて帰れば、一緒に下校できたりするんだろうか。

 などという微妙な疑問と、凛堂が眼の病院に通っている(かも?)という情報が、デート一発目イベントでの俺の戦利品だった。

 本当、デートって何だろうね。


 あ、あと下の名前も知ることができたんだった。これはなんだか得した気分になったけども。


 ◆ ◆ ◆


 病院を出てからも悲惨さは続いた。


 俺だって別に死ぬほどコミュ障って訳でもないし、無難という言葉も弁えているつもりだし。

 なんならちょっとくらい何か奢ってあげても良いくらいの気概は持っている。

 故に、素敵な、とまでは行かなくても最低限のデートっぽいことはできちゃうはずだったんだ。


 その相手が、なら。


「さて、どうしよっか。お腹空いてる?」

「特には」

「そ、そっか。映画でも見に行く?」

「何故?」

「何故って……デートと言えば映画とかかなって」

「別に見たくないけど、マスターが望むなら」

「…………」


 そんな言い方されたら行くに行けるかよ。

 俺はテキトーな方向に歩きながら、必死に仕入れた知識を掘り起こす。


「じゃあそうだ、ゲーセンとかは?」

「ゲームはそんなに好きじゃないけどマスターが望むなら」

「……。んー、いきなり二人でカラオケは敷居が高いし、じゃショッピング的なのは? 欲しい服とか靴とか鞄とかない?」

「ない」

「…………」


 よく言えばポーカーフェイス、悪く言えば全く楽しくなさそうな無表情の凛堂の非協力的態度に、一年分は冷や汗をかいた。

 気まずいのなんの。この胃の痛みに耐えるくらいならもう帰りたい。


「じゃもう帰るかい?」

「ダメ。デートは必ず遂行する、マスターの姉の命令」


 だったらもうちょっと歩み寄ってほしいんですが。

 このままだと一緒に歩いて眼科に行っただけだぞ。


「どうしようか……公園でも行ってみる?」

「公園で何する?」

「何って、えーと、散歩?」

「散歩なら今してる」


 確かにてくてくと当てもなく並んで歩いてはいますけども。

 これがデートに当たるなら全世界でデート大量発生だ。


「ベンチに座ってお話するとか?」

「何を話す?」

「何をって、まあいろいろと? デートっぽいかなって」

「デートっぽい」


 まあ、まともに話ができるかは分かりませんけどねー。

 主に凛堂きみのせいで。


「わかった。マスターの言う通りに」


 無意識に苦笑を浮かべていた俺は、聞こえないように溜息を漏らした。

 やっぱりさ、普通はある程度お互い好意を持っているもの同士でするものだよ、デートって。


 生まれて初めてのデートはあまり思い出したくない苦酸っぱい思い出になりそうだ、なんてこの時は思っていた。


 ◆ ◆ ◆


 結論から言うと、苦酸っぱい思い出にはなりそうになかった。

 それよりももっと深く、鉛のように重く沈殿する思い出になった。


 そのきっかけは、公園のベンチに座って数分、ろくに会話の無い気まずさから俺が脇やら尻やらに汗をかき始めた頃に突然言い放った凛堂のセリフだった。


「マスター、幼稚園の頃のこと、覚えてる?」


 言いながら俺の顔を見つめる凛堂は薄っすらとだけ目が開いて見えた。

 もうちょっとであの綺麗な青い瞳が見れるのにな。もう一度見たいな。


「いや、あんまり覚えてない」


 さらっと返答したが、俺は凛堂のこの問いの重要性に遅れて気づいていく。

 凛堂は「そう」とだけ呟き、正面に向き直ってしまった。


「幼稚園がどうかしたの?」

「覚えてないならいい」


 凛堂の口調や表情に変化はない。

 だが違和感がゴツゴツと俺の胸の中に湧き出てきた。


 覚えてないならいい、ならば覚えていたら?

 もし俺が幼稚園の事を覚えていたら何を言おうとした?


「凛堂は幼稚園のこと覚えてるのか?」

「…………」


 それ以降、凛堂は何も話さなくなった。

 たまに俺が何かを話しかけるが、一時間近く無言のままだった。


 犬の散歩をする人やぴちっとした格好でジョギングをする人が何人も前を過ぎていく中、俺と凛堂はただ座っているだけだった。

 デートってマジで何なんだよ。


 防風林の近くに見える高い位置の丸い時計が三時ちょうどをまわった時に凛堂が立ち上がり、


「ではマスター。また月曜日」


 別れの言葉を吐いて駅側の公園の出口に向かって歩き出した。

 送るよ、なんて声を掛けられるわけもなく、俺はただ凛堂の小さな後姿を見えなくなるまで目で追うことしかできなかった。


 安堵からか落胆からかよく分からない溜息をブハッと吐いて、軽く今日を振り返る。


 病院に行って、ふらりと歩いて、公園で座ってほんの少し話をして終了。

 現実世界のデートって、こういうものなんですかね。


 だとしたら俺の知るゲームや物語バーチャルの世界のデートはあまりにも脚色しすぎだ。

 もう少しだけリアルに近づけたスクリプトにしてくれないと、ギャップで精神がやられてしまうぞ。


 現にこうして俺の心はじんわりとした悲壮感で一杯だ。


 ……まあその悲壮感の原因は、それだけではないのだが。


 こめかみに引っかかっている小さな疑問。


 ――もしかすると凛堂は幼稚園の頃の俺のことを知っているかもしれない。


 となれば当然、俺と凛堂は昔に会っているかもしれないということだよな。

 俺の記憶には全くない。幼稚園の頃のことは本当に思い出せないしな。


 釈然としない疑問だけが残るまま、頭の中では凛堂の去り際の言葉が反芻している。

 こんなぎこちなく気まずいデート――原因は凛堂にも大いにあると思うが――をさせられておいて、それでもまだ凛堂は俺のことを「マスター」と呼ぶんだね。


 俺の恋愛経験の乏しさに気付いてそろそろ去ってくれてもいいんだけどもね。

 そうすれば俺もこの滑稽で煩わしい称号を捨てられるし。


 というわけで、残ったものといえば気まずさと疑問と心の鈍いダメージで、デートなんてものは向こう数年はしたくないと思いながら俺も帰路に就いた。


 行き場のない悶々とした思い全てを、発端の姉のせいにすることで俺は無理矢理心の安寧を得ることができた。姉is便利。



 そして月曜日になるとちゃんと放課後に音楽準備室に赴く俺なのだった。

 ここまで来ると律儀ってよりは謎の意地だな。


 さすがに足取り軽やかに、とはいかなかったが、ちょっぴり緊張気味に入室してみれば何ら変わることのない凛堂がいつものように読書をしながらいつものように無言で頷き、いつものように無言で隣のパイプ椅子を優しく叩いたので、俺は何となく安心しながら定位置に座った。


 その安堵も束の間、俺はある事を思い出すことになる。


 二日前のデートの前のことだ。

 凛堂が何故俺の家に現れたか、何を伝える為に来たか。


 その懸案事項ライバルが音楽準備室に現れたのだった。

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