妨害相手「シノミヤ モア」

 一昨日の気まずいデート (?)は無かったことのように、いつもと変わらずに凛堂と並んで座り、ダブル読書中の音楽準備室に、


「冬根くん、居るかしら?」


 ノックもなしにガバッと入ってきた背の小さな女は、第一声から俺の苗字を呼んだ。


「俺だけど、どちら様?」

「そんなことはどうでもいいの!」


 いやいや、どうでも良くはないでしょ。


四ノ宮しのみや 然愛もあよ」


 結局名乗るんかい!

 四ノ宮と名乗った大きめの縁メガネをかける背の小さな女子は、胸を張って――殆ど胸ないけど――ツンとした態度で俺を凝視している。

 ちなみに、ポニーテールだ。


「あなたの噂は聞いてるわ。他人の色恋沙汰を言葉巧みに操るペテン師だそうね」

「ペテン師って……」


 俺が望んでそんなことをしている訳でもないのに、ペテン師呼ばわりは少し腹が立つな。

 それにしても背の小さな女子だ、と思ったがリボンの色からするに同学年、つまり三年だった。

 同学年にこんな奴居たっけ? まあ女子とはほぼ関わりはないので知らなくてもしょうがないけど。


「マスター、この子がマスターを陥れる敵、間違いない」


 凛堂は、腰に手を当てている四ノ宮を指差してそう言った。


「あなたに呼ばわりされる筋合いはないわ! 年下のくせに! あなたも冬根くんの手下なの?」

「手下じゃない。助手」

「同じようなものね。とにかく早々にその男から離れることをお勧めするわ。ろくなことにならないわよ!」

「あなたに言われる筋合いはない。私のマスターは私が決める」

「そう。愚かな選択ね。あとで泣くことになるわよ」

「それは、敵対するあなたのほう」


 ……怖いよぅ。女の子の争い怖いよぅ。


 必死に無かったことにしようとしていた一昨日のデート直前、俺の家での凛堂の発言を思い出す。


 ――そう。遠からず、必ずマスターの邪魔をしてくるはず。


 ということは、このポニテチビ貧乳メガネが邪魔をするという敵なんだね。

 したくもない恋愛マスターとしての業務、寧ろどんどん邪魔して欲しいところだ。頑張れ四ノ宮さん。


「とにかく! 宣戦布告をしにきたわ。冬根君、あなたのやっていることは自然の理を揺るがす歪んだ行為よ。私はどんな手を使ってでも阻止する! 覚えておくことね」


 おお。おおお……。

 ぜ、是非! どうかこの僕を哀れな恋愛経験ゼロのピエロ恋愛マスター状態から救ってください。


「させない。マスターに失敗はない」


 こら、余計な事言わないの助手君。


 ところでだ。

 全く俺と関わりの無い目の前の四ノ宮が、こうまで敵意を剥き出しにする理由はなんだろうか。

 恋愛マスターというふざけた事が嫌いとか?

 それとも単純に俺の事が嫌いとか? だったら深いダメージを負うところだけど。


「四ノ宮さんは、どうしてそこまで敵対するの? 俺のアドバイスで恋愛が成就することって、そんなにダメな事かな。素敵な事だと思うけど」


 口をついて出た言葉は、俺らしくない気持ちの悪い言葉だった。

 無意識に言っているあたり、俺本当にペテン師みたいじゃないか。


「真の恋愛は、純粋でなくてはならないの。あなたのように言葉巧みに捻じ曲げていては、真の恋愛とは呼べないわ!」


 う、うわあ。真の恋愛ときたか……こりゃキッツイ! 鳥肌が。

 歯も骨も、なんなら全身の毛が浮きそうな陶酔したセリフだ。

 ある意味、キミが一番純粋だよ四ノ宮。


「俺はただ、相談に来る生徒にちょろりとアドバイスをしているだけだよ。助言をもとに行動を起こすのは本人だし、それは別に何も悪いことじゃないと思うけど」


 こうして俺が四ノ宮を煽ることで、四ノ宮は対抗心を燃やす。

 ⇒ (俺のテキトウな)アドバイスをうけた相談者に、四ノ宮は妨害行為を働く。

 ⇒相談者が失敗する。

 ⇒俺の恋愛マスターとしての箔が落ち、悪い噂が広まる。

 ⇒俺が恋愛マスターとして存在する必要が無くなる。


 おお、素晴らしい。これしかないぞ。

 是非頑張れ、四ノ宮さん。


「まあ、せいぜい吠えるといいわ。とにかくわたくしはあなたを絶対に認めない。それだけ言いにきたの。さあ、帰るわよ、アヤノ」


 アヤノ? 誰だそれは?

 というツッコミをする前に、人がいるはずのない棚の方から、


「はい、お姉さま」


 という声が聞こえ、俺は心臓が飛び出るかと思った。

 いつの間にか俺の左側の楽器が並ぶ棚の、楽器と楽器の隙間に女の子が寝そべっていた。

 全く気配が無かった。

 凛堂もビックリしたようで、両眉がいつもより高い位置になっている。


 のっそりと棚から出てきたアヤノと呼ばれた女子は、埃の付いた制服を払った後、出て行こうとする四ノ宮の後に続いた。

 かなり背の高いアヤノと呼ばれた女子は、


「それではごきげんよう、冬根さん、凛堂さん」


 出際にそう言い残し、静かに扉を閉めた。

 カチャンという音がやけに響いた後、舞う埃が窓から差す日光に煌めくだけの沈黙が少しの間流れた。


 無言で扉をしばらく見つめていると、


「マスター、大丈夫。私が何とかする。マスターはいつも通りに」


 隣の凛堂から声がかかる。

 いつも通りの閉眼フェイスだった。


「何とかするって言っても……あの二人が何かできるとは思えないけどね」

「あの背の高い女の人、あれは只者じゃない」

「うん、あの背の高さはバレー部かバスケ部かな」

「……そういうことじゃない」

「どういうこと? アヤノって呼ばれてたけど」


 俺の問いには沈黙が返ってきた。

 ポーカーフェイスな閉眼で、微動だにせず沈黙までされたら、それはもう生きているかどうかわからないくらいの美術品のようだった。


 なんとなく見つめ続けるのもばつが悪く、


「まあ、よくわからないけどなるようになるでしょ。気楽に構えていようよ」


 俺はテキトーなセリフを吐いてもとの椅子に座った。

 敢えて凛堂のほうを見ないようにして、読書の続きをと本を手にした時に、凛堂は俺の正面にとぼとぼと歩いてきて、


「マスター、何か変わったことがあったら必ず報告して」


 いつにも増して真剣な顔でそう言った。

 いや、顔はあんまり変わらんのだけど。


「何かって、別になにもないだろ」

「いいから。約束して」


 今日の凛堂はグイグイくるな。

 どうした? 陽気にでもてられたか?


「どうしよっかなー」


 別に、すんなりと了承してもよかった。

 けれどもちょっぴり必死な凛堂ってのが珍しくて俺は渋る姿を見せてみた。


 性格悪いって? いやいや本当に性格悪かったらここまで凛堂に付き合って放課後毎日音楽準備室こんなとこ恋愛マスターこんなことなんてしてないって。

 ……単に断れない優柔不断チキン野郎ってのは言わないでくれたら嬉しい。


「お願い、マスター。四ノ宮しのみや 然愛もあ、あの人だけなら脅威は殆ど無い。でもあの背の高いアヤノって人、あの人は危険。少しの変化も見逃してはならない。だから約束して、何かあれば必ず私に報告を」


 凛堂はいつになく饒舌だった。

 というかそれってもはや俺が助手みたいなことになってませんかね?


 まあ、ここまで言われちゃ首を縦に振らないわけにはいかないけども、俺的には四ノ宮氏に頑張ってもらって、俺の妬みを量産し続けるこの仕事がなくなるのが理想なんだけどね。


「分かったけどさ」


 ◆ ◆ ◆


 とはいえ、変わったことと言われてもだ。

 そもそもで既に俺の中では変わったことばかりである。


 放課後に音楽準備室に通い続けるのも、恋愛マスターとして悲しい仕事を続けるのも、向こう数年は記憶を消したい初デートをしてしまったのも、全て俺にとってはここ最近で変わったことだ。


 いつから見て、どのくらい変わったことであれば報告すべきなのか、定義や基準をしっかり決めて欲しいものだね。

 でなければ俺はどこまでも赤裸々とプライベートを話さざるを得なくなってしまう気がするし。


 ともあれ、基準が不透明ではあるが、承った以上は目につく変化を報告しようとは思っていた。


 そして曖昧な取り決めの翌日、こればかりは変わったことと言っていいことが起こった。

 ここ最近に限りはするが、いつ何時なんどきもそこにあるはずのものが、その日に限ってなかったのだった。


 これはしたりとすぐにでも報告をしたいところだったが、この変化は凛堂にだけは絶対に報告することができないものだった。

 

 要するに、その日の放課後、音楽準備室に凛堂の姿が無かった。


 放課後、どれだけ急いでここに訪れても先に座って読書をしているはずの、あの閉眼クールビューティおさげの姿が無い。

 俺は寧ろ、凛堂はここに住んでるんじゃないかな、とまで疑っていたくらいなのにね。


 探しに行くべきか迷いながら俺はいつもの定位置に座る。

 ライトノベルを鞄から取り出して栞を摘みながら、俺は自らを鼻で笑った。


 何が変わったことだ。

 別に何の不思議もない、凛堂だって生徒の一人なのだ。

 当番やら委員会やら、遅れてくる理由なんぞ山ほどある。


 あれだな、俺も凛堂のアレに中てられて、変になってきてるんだな。

 あーやだやだ、他人に影響されやすい人間って種族は面倒極まりないね。

 もしも生まれ変われるなら、この本にも出てくる龍と人間の間と言われる龍神族ってやつに――


 ――ゴンゴンゴン


 思考遊びで自分自身を無意識に落ち着けていると、重たいノックが聴こえた。

 どうやらここ音楽準備室の扉を叩く者がいるようだ。


 中には俺一人。

 ……俺が返事をするしかないよな。


 自問自答をしていると、俺の返事の前に扉は軋音とともに開かれた。


「失礼しまーす」


 か細い声とともに見た事のない女子――またしても一年生だ――が入室してきた。

 やたらとスカートが長い、三つ編みの小柄な女の子だった。


「冬根先輩って、いらっしゃいますか」


 俺の名前を知っているようだが、俺はこの子を見た事はない。

 ということは、そういうことだよな。


「俺だけど、どうしたの?」

「あの、恋愛マスターの噂を聞いてきました」


 キムラ エリと名乗ったその子は、今までの子と同じように俺に恋愛相談をしてきた。

 否定することもできず、断る勇気もない俺は今までと同じように話を聞き、テキトーなアドバイスをした。


「――それでは、マスターさんの言う通り、坂見君の足を踏んでみます! アドバイスありがとうございました!」


 三つ編みを振り回して激しくお辞儀をした後、音楽準備室を出て行く一年女子。

 再び静けさに包まれる。


 俺は読書に戻ることなく、隣のパイプ椅子に目を遣る。

 そしてなんとなく、いつも凛堂がするように右手でポンポンと座る部分を叩いてみた。



 結局、その日は凛堂は音楽準備室に現れなかった。

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