実行結果「ニシウミ ヒメカ」


 凛堂アイツ、ずるいんだぜ?

 完全下校時間になると、ギリギリのところで「マスター、また明日」なんて言ってから帰りやがるんだ。

 俺が反論や拒否をする時間を与えない完璧なタイミングでだ。


 要するに、俺の退職届は却下されたという事だ。


 そんなわけでここ数日も毎日放課後に音楽準備室に赴いているという訳だった。俺も律儀だよな、本当に。


 だが、よくよく考えれば、放課後の二時間程度を読書に当てられるわけでもあるので、最悪の時間というわけでもない。

 それに、特に何か気を遣って会話することもほとんどないので意外と居心地も良い。ほぼ喋らないしな、凛堂は。

 時折、近くてドキッとしてしまうのは否めないが。


 更に言えば、数日前の西海なる巨乳一年が、俺の謀略によるアドバイスで悪い方向に事が進み、俺の『恋愛マスター』としての名声が地に落ちるのも時間の問題だろう。

 そうなれば、フェードアウト気味か唐突か、いずれにせよ俺はここに来る必要はなくなりそうだ。


 その時が来るまでは俺はただ大人しく、ここでライトノベルを読むだけだ。


 俺が活字を通してファンタジーな世界に没入している間に、思惑通りに事が進んでくれます様に。


 ◆ ◆ ◆


 やっぱり俺の思惑通りには上手くはいかなかった。


 そりゃそうだ、もしもそんな簡単に俺の目算通りに事が運ぶなら、今頃俺は理想の青春を謳歌する素敵な日常を送っているはずだしな。

 そうなっていない現在の妬みにあふれる薄暗い学生生活こそ、人生がハードモードたるエビデンスだ。何がエビデンスだ、海老でも喉に詰まって滅びろリア充。


 して、どう上手くいかなかったかと言えば。

 あれからちょうど一週間がたった放課後、西海が再度俺の前に現れたところから始まる。



 俺はその日も律儀に音楽準備室を訪れると、やっぱり凛堂は先に来ていた。

 帰りのHR終わりですぐに俺はここに直行しているはずなのに、凛堂が俺より後に来たためしがない。

 もしかして凛堂はここに住んでいるのだろうか。


「おっす」


 俺の挨拶に無言で小さくうなずくだけの凛堂。相も変わらず目は閉じているように見える。

 見慣れた光景と対応に妙な安心感が生まれていることにちょっとだけ可笑しくなりながら、俺がパイプ椅子に座ったと同時くらいに扉がギリリと開かれた。


 現れたのは胸の大きな一年女子。この間ビンタアドバイスをしてやった西海 姫科だった。

 俺は遂にその時が来たか、と思った。


 大股でズカズカと俺に歩み寄り、一間いっけん程の距離で止まる西海。

 パッツンの前髪が少しだけ短くなっていた。切ったのかな。


「おっす、西海さん、だよね。どうだった?」


 さあ、怒れ西海。そして俺が無能だと皆に言いふらすのだ。

 少し俯いている西海の表情が読めない。


「冬根先輩……」

「はい」

「あたし、先輩の事、神様って呼んでいいですか」

「あーそっか、駄目だったか―! やっぱり俺マスターなんて向いて……え?」


 顔を上げた西海は怒っているどころか、向日葵のような笑顔で眼を潤ませていた。


「神様って」

「はい! 冬根先輩は神様です! 恋愛神とお呼びしてもいいですか?」

「え? え?」


 まさか、上手くいったって事か?

 俺は必死に動揺を隠しながら、いつの間にか本をしまっている凛堂に目をやると、僅かに口角をあげて小さく頷いていた。

 いやいや、うんうん、じゃなくてさ。


「ちょっと、あのさ西海さん、訊いてもいい?」

「なんでしょうか恋愛神様」

「恋愛神はやめてよ」

「では、エロース様」

「もっとやめて!」


 そんな呼び名で噂広まったら、もうお嫁に行けなくなっちゃう。


「では恋愛マスター様」

「もうそれでいいや。俺のアドバイスって覚えてる?」

「はい! もちろんです! ビンタですよね?」


 うん、覚えてるのね。


「そうだけど、実行したの?」

「はい! 恋愛マスター様の言う通りに、思いっきりビンタしました!」


 うん、ビンタしたのね。


「そっか……それで、どうなったの?」

「はい! 松井君とお付き合いすることになりました!」


 うん、なんでええええええええええ!?

 

「これもひとえに恋愛マスター様のアドバイスのおかげです! 本当にありがとうございました!」


 とびっきりの眩しい笑顔を向けて感謝を述べる西海は、

 

「このご恩はしばらく忘れません! 恋愛マスター様のこと、困ってる友達とかにも紹介しておきます! それでは、松井くんと一緒に帰る約束してますので、失礼します!」


 そう言うと、ビュンと風が起こるくらい激しいお辞儀をしてから慌ただしく音楽準備室から出て行った。


 思考がほぼ停止しかけている俺は、錆びついたネジのようにギリリと首を回して凛堂の方を向く。


「さすが、マスター」


 凛堂はぽつりとそれだけ言うと、鞄から本を取り出して読書に戻ってしまった。


 しょうがない、俺も読書に――。


「って、戻れるかよ!! なんだよ! なんでだよ! どうして上手くいったの? ビンタだよ? 普通仲悪くなるでしょ!」


 八つ当たりのように凛堂に言った。

 もう助手だろうがなんだろうが関係ない! 

 

「マスター?」

「その呼び名もやめろよ! 俺そんなんじゃないって言ってるだろ! おかしいだろ、明らかに失敗するようなアドバイスしてやってるのに、何で上手くいくのさ!」

「…………」


 無言で俺を見つめる凛堂に俺は更に言葉を続けた。もう我慢の限界だった。


「そもそもなんで俺が恋愛マスターなんだよ! 自分の事すらままなっていないのに、他人の恋愛なんぞ応援するような人間じゃねえよ! 寧ろ壊してやりたいくらいだ! それでも周りがしつこく俺が恋愛マスターってうるさいから、的外れなアドバイスで崩壊を狙ってるのに、どうしてこうなるんだよ……」


 ここ一週間、俺は考えていた。

 どうして俺が恋愛マスターの名で有名になってしまったか。


 どう考えても、誰かの嫌がらせとしか思えない。

 俺がどこかで誰かの反感か何かを買って――そんな目立つことはしていないはずなんだけど――か、もしくは単なる面白半分の悪戯か、そのどちらもかもしれないが、誰かが意図して一年生に「冬根氷花は恋愛マスター」なる情報を流したのだろう。


 もしこれが俺に恨みのある奴の精神攻撃の類なのだとしたら、そいつは優秀だな。

 現に、俺は周りの奴らがリア充に昇華していく様を心底妬ましく思っているのに、そのきっかけや手助けは俺自身がしているというプチ矛盾が俺の精神にやどりぎのタネのようにダメージを与え続けているのだから。


 恋愛経験ゼロなのに、恋愛マスターとして有名。

 これ以上滑稽で残念な状況はないだろうな。


「マスター」


 両膝に両肘をついて項垂れる俺に凛堂が声を掛けてきた。


「なんだよ、だから俺はマスターじゃないって」

「マスター、音楽、好き?」

「音楽?」


 唐突に何言いだすんだこの助手。


「音楽」

「いやまあ、好きだけど」

「音楽には力がある」


 俺は初めて凛堂と会う前に音楽準備室の前で聴いた、G線上のアリアを思い出した。

 心が浄化されるようなバイオリンの音色。


「音楽は人の心を動かす。人の心を変える。楽しくさせたり、穏やかにしてくれたり、興奮させたり。不治の病だった人間が好きな音楽で奇跡的に治ったって事例もある。それだけ、音楽って力がある」


 か細いながらも芯のある綺麗な声。

 こんなに喋る凛堂は初めて見たが、話が見えない。


「音楽が凄いのは分かったけど、それがどうしたの?」

「音楽に力があるように、言葉にも力がある」

「言葉?」

「そう、言葉。言葉も人の心を動かす。人の心を変える。楽しくさせたり、安心させたり、興奮させたり。時には傷つけたり」

「意味わからないんだけど」

「それだけ、言葉にも力がある。でもそれは、様々な種類の個人差がある。そしてマスターの言葉には、人の恋愛を動かす能力がある」

「なんだよ能力って。そんなもの俺には無いよ」

「ある。マスターの発言には、マスターが深く意図してなくても、人の恋愛を動かす力がある。それが、マスターが恋愛マスターたる所以ゆえん

「だから! そんなの無――」


 意味不明でオカルトチックな事をしつこく言ってくる凛堂に苛立ち、声を荒げてしまいながら凛堂の方を向いて俺は言葉を失った。


 凛堂がしっかりと目を開けて俺を見つめていたからだ。

 大きく切れ長な目は、透き通るような綺麗な青い色だった。


「ある。マスターにはその力がある」


 三日月のヘアピンと綺麗な碧眼が凄くマッチしていて、夜空を連想させる。

 目を開けた凛堂は恐ろしく美人で、俺はしばらく思考能力を欠いて見つめていた。、が正解かもしれない。


「マスターの言葉には能力がある」

「……」

「私のいうこと、信じて」

「……はい」

「あなたは恋愛マスター。わたしはマスターの助手。マスターの為なら何でもする。だから、これからもよろしく、マスター」

「……うん」


 凛堂の綺麗な碧眼と表情に見蕩れ、あまり考えることもできずに生返事を決めてしまう。

 凛堂はそれだけ言うと、再び眼を閉じて読書に戻ってしまった。


 いつの間にか高鳴っていた心臓に気付きながらも、俺も半放心状態で本を取り出して開く。

 凛堂ってこんなにも美しい女子だったのか。いつも閉眼していて分からなかった。


 と、こんな感じで当初の思惑はどこへやら、茫然自失なままの生返事のせいで俺はこれからも恋愛マスターとして、放課後は毎日音楽準備室に来ることになってしまった。

 まあ助手の頼みなら仕方がない。


 ……なんか、上手く乗せられただけな気がするけども。


 俺の言葉に本当に他人の恋愛を良い方向に持っていく能力があるとするなら、それってこの上なく空しい能力じゃないか?

 だって、俺自身は一生妬ましい存在を増やし続けるということだし。


 そんなこんなを悶々と思考し、本の内容など全く頭に入らないまま完全下校時刻を告げる本鈴が鳴った。

 瞬時に凛堂は鞄を手に立ち上がり、いつものように退室間際に、


「マスター、また明日」


 ぽつりと言った。


「明日、土曜日だけど?」

「……」


 凛堂は意外な事にゆっくりと顔を赤らめた。表情は変わってないけど。


「マスター、また来週」

「……おう」


 ギリリとした音ののち、ガチャンとしまる扉。

 いや、いつも先に出るけど、この後すぐに俺も帰るんだけど……そんなに一緒に帰るの嫌なのか。


 とまあ、今日は金曜日なのにまた明日だなんて凛堂でもドジっぽい部分があるのね、などとこの時は思っていた。



 まさか、本当に明日の土曜日、凛堂と会うことになるとはこの時は予想だにもしなかった。


 しかも『デート』という形でだ。


 え、デート? 遂に俺にも青春がッ!? ……ってそんなに甘い話ではないのはもうわかるよね。

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