相談発生「ニシウミ ヒメカ」

 翌日の事である。


 それはそれはいつも通り、今までどおりの、何ら変わらない一日だった。

 昨日のわけの分からない出来事は、実は夢だったんじゃないかと疑ってしまうくらい何も代わり映えのしないモノクロな日常だった。


 朝から我儘な姉の為に朝食を作ったのもいつも通りだし、登校中にお気に入りの音楽を聴きながらラノベを読む電車内もいつも通りだし、授業も昼休みも、やっぱり灰色でいつも通りだ。

 青春とは程遠く薄暗い、文字漬けの高校生活。


 まあでも俺は割とこんな日常も気に入っているのだ。


 活字は俺の頭の中に様々な映像をくれるし、リアルでは動くはずのない奥底の心をぐらりと揺さぶってくれる。

 もう俺の青春は、こういうことに捧げてもいいかもしれないと思った。


 けれどもやっぱりそれはお察しの通り、放課後までの話だ。


 放課後はとある助手の強引な言いつけ通り、恋愛マスターとして音楽準備室に出勤しなければならないからだ。


 自分で言ってて空しくなるこの職業 (?)なんぞには早いところ退職届を出して、俺の仄暗い青春に費やす時間を確保しなければな。

 あの助手が、届を受理してくれれば、だけど。


 ついでにもしかすると、退部届も必要になるかもしれない。あの勝手な教師め。

 

 ◆ ◆ ◆


 そんなわけで今日も音楽準備室に来ていた。

 もう何も臆しまい、今日は勢いよく扉を開けて入室、案の定そこには既に凛堂が居た。


「なあ凛堂、俺もうここに来なくていいか? やっぱり恋愛マスターとかよく分からないし」


 先手必勝、俺は凛堂に近づきつつ退職届代わりの台詞を吐いた。

 本に目を落とす凛堂が一瞬顔を上げて、すぐに無言で読書に戻り、片手でもう一つのパイプ椅子をトントンと優しく叩く。


 はあ。まただんまりね。

 まあでもここまでは想定の範囲内。


 何とかして今日中に恋愛マスターなんて恥ずかしい称号なんぞ破棄して、俺が愛すべき寂しい日常に戻らねばならない。

 決意を秘めながら俺は凛堂の隣に座った。


 誰が好き好んで他人の恋愛の助言なんかするか。妬ましい。

 そういうのは俺の見えない所でやってくれと、俺も鞄から本を取り出しながら心で呟く。


 相変わらず無言の凛堂を横目でちら見した後に、俺はしおりを挟んだ部分を開き、


「俺、明日からはここに来ないからな?」


 活字を見つめながらそう言った。

 凛堂の返事はなかった。でも俺は言ったからな?


 一応は宣言した。返事はなくとも、これでもう来なくてもいいはずである。

 あとは、あのだらしない教師に無理矢理入部させられたかもしれない部活……を何とかしなければ。


 本に目を落としながら、俺は再度口を開く。


「なあ凛堂、昨日のあの先生、何て名前だ?」

霜平しもひら先生」


 俺はビクッと身体を震わした。

 今まで全くのだんまりだった凛堂が即座に返事をくれたことに驚いたからだ。

 ああ、そういえばコイツ、こんな声だったな。


「霜平……ね。結局、何部なの?」

「……」

「凛堂一人の部活なのか?」

「……」


 きまぐれが過ぎるぞ……答えてくれる質問とそうでない質問があるってか?

 まるで脱出ゲームとか推理ゲームみたいだな。


「凛堂って、下の名前なんて言うんだ?」

「シッ!」


 突如凛堂が俺の方を向き、閉眼したまま人差し指を口元に付けてそう言った。

 あまりの顔の近さにドキッとしつつも、


「シッ……って?」

「来る」


 凛堂が一瞬で本を鞄にしまい、俺がその姿に呆気にとられていると突然ノックが鳴った。

 コンコンコンと三回。来客?


「どうぞ」


 凛堂が大きめの声で勝手にそう言った。

 俺は本を開いたまま、かぶりを右往左往させることしかできていない。


「失礼しまーす!」


 ドアの軋音あつおんと共に元気な声でここ音楽準備室に入室してきたのはショートカットヘアの女子だった。

 リボンの色からするにやはり一年生で、背が小さい割にはそぐわぬほど大きなものを胸に携えている。


「冬根先輩って居ますか!?」


 両手を背に回してニッコリとしながらそう言った女子。

 少し長めのパッツン前髪から見える大きな瞳は、俺をしっかと見据えていた。


「えと、俺だけども、どなた?」

「わあ! 良かった!」


 パッとさらに顔に光を宿し、巨乳一年女子はちょこまかと近づいてきた。


「私、一年B組の西海にしうみ 姫科ひめかです。恋愛マスターさんに相談しにきたんですけど! 聞いてくれます?」


 うわうわうわ、恐れていたことが起こったよ。

 やっぱり、一年の間では結構な噂になっているみたいだな。


 それも、ここ音楽準備室にいることすら既に広まっているのか?

 俺は放課後ここに来ることを誰一人にも話していないぞ。


 ……まあそれも関係ない、今日までの話だ。

 キッパリと否定をしてしまえばいいはずだ。


「あのさ、俺、恋愛マスターとかじゃ――」

「わかった、相手ターゲットは誰?」


 俺の言葉を遮って凛堂が西海と名乗った女子に話しかけた。

 この野郎、勝手な真似を!


「相手は、C組の松井くんです!」

「そう。目的は?」

「できれば、お付き合いしたいなって!」

「そう。関係は?」

「まだ、たまに話すくらいで……あ、委員会は一緒です!」

「そう。それは使えそうね」

「えへへ……でも彼の前だと緊張しちゃって」

「そう。それはやっかいね」


 淡々と質問する凛堂に、恥ずかしそうに答える西海。俺だけ置いてけぼりだ。

 勝手に話を進める凛堂が、目を閉じたまま俺の方を向き、


「ではマスター。以上を踏まえて、アドバイスを」


 などと言いだした。はぁ!?


「え、何どういう事これ」

「必要な情報は訊き出せたかと。あとはマスターがお料理ください」


 おいおいおいおいおいおい、どういうことだよ!

 肝心なところ丸投げとか大した助手だよ全く、マジで冷や汗が止まらない。


「あの、恋愛マスターさん、お願いします!」


 とどめに西海が深々とお辞儀をしてそう言った。

 俺は西海の脳天と凛堂の閉眼顔を交互に見て、苦笑いをする事しかできなかった。


 突き刺すような沈黙。


 ここに来て「俺は恋愛マスターそんなんじゃない」と言ったところで、受け入れられそうにない……というか、それを言うと凛堂に何故か殺されそうな気がした。

 マジで何考えてるか分からないからタチが悪い。


 とは言ってもだ。アドバイスなんてできるわけが――


「そうだな……」


 ――いや。アドバイスなんて真面目にする必要が無い。

 簡単な三段論法だ。


 俺は恋愛マスターじゃない。

 恋愛マスターじゃない者は的確なアドバイスなどできない。

 よって俺は的確なアドバイスなどできない。


 これに『粗末なアドバイスで残念な噂になる』と『恋愛マスターの称号の剥奪』を足して、五段論法の完成で俺は幸せになれる。(意味不明)


「相手は同じ委員の山下君だっけか」

「松井君です!」

「そうかそうか。じゃその松井君に思い切りビンタをするといい」

「えっ」


 顔を上げた西海の表情は曇っていた。


「ビンタ、ですか」


 そしてあからさまに不安気な声音になった。


「そう、ビンタ。手加減なしの本気のやつ。それを出会い頭に唐突にかましてやるといい」

「えーと」


 俺は澄ました顔でカッコつけて喋っているが、その実内心はほくそ笑んでいた。

 いきなりビンタなどされたら大抵誰だって憤慨モノだ。

 これでこの西海なる巨乳一年は恋など成就するはずもなく、その松なんとか君に嫌われるのだ。

 甘酸っぱい青春などクソ喰らえ! リア充志願者はみな、滅びてしまえ! カッカッカ!


「あの、それって怒られませんかね」


 そうだろうね。


「いやいや、これは恋愛マスターとしてのアドバイスさ。それとも、マスターともあろう俺のアドバイスが信じられないのかな?」


 何言ってるの俺。自分キモチワルイ。ダメ上官みたいな言い回しだよな。


「いえ……」


 不安そうな表情のまま、西海は考え込むようにして右手を顎に持っていく。

 ハハハ、滅びろ滅びろ……。

 

 内心でゲラゲラしてから、そういえばとちょっぴりぎくりとしながら凛堂に目線をやると、何も言わずに俺の顔を凝視していた。

 全くの無表情。目も閉じたまま。

 ……本当何考えてるかマジでわからん。ポーカーフェイスのまま俺のテキトーすぎるアドバイスに怒ってたりするのかな。


「わかりました! 頑張ってみます!」


 西海は両手を握りしめて、気合を入れるように一振りした。

 胸に付く大きなモノが遅れてゆさりと揺れる。凄いな……。


「冬根先輩、いえ、恋愛マスターさん、ありがとうございました!」


 なんとなく太陽っぽい印象の元気さと明るさで西海はお礼を言った後にそそくさと音楽準備室を後にした。

 扉の閉じる音とともに再び静寂が訪れる。


 知らねーぞ? あとの事はどうなっても知らん!

 俺はそもそも恋愛マスターなどではないし、妬ましい恋路の応援などするはずもない。


 しかしまあ、これで相談者の西海なる女子が俺のアドバイスの実行で松なんとか君と不仲になることで俺の『恋愛マスター』としての名声も地に落ちるだろう。

 そうすれば相談者なんぞも来なくなる。そしてここに来る必要もなくなる。

 凛堂も、助手なんぞやめるだろう。


 あとは、待つだけだ。


「マスター」


 右耳に凛堂の声が届く。

 向けばいつもと同じ無表情で眼を閉じたままこちらを見ていた。顔が近い。


「なに? 文句ならきかんぞ」

「あの子……西海さんが助手志願だったら良かった?」

「は? なんで?」

「……」


 唐突な問い掛けに頭が回らない。

 可愛げのある西海に嫉妬したとか? なわけないよな?


「私よりも大きいし――」


 ギリッギリ、聞こえるか聞こえないかの音量で凛堂は確かにそう言ったあと、


「――なんでもない」


 吐き捨てるようにそっぽを向いて、鞄から本を取り出して読書を始めた。

 すぐに言葉を咀嚼できずに理解が遅れたが、なるほどそういう事かと遅れて承知した。


 ――お願い、何でもする、何でも言うことをきくから。


 助手志願時の凛堂の台詞だ。

 それに対して俺が吹っ掛けたお願いは……。


 …………。


 大丈夫さ凛堂、俺は大きさよりも形や質感重視だから。


 ……やっぱり、惜しい事をしたよな。


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