帰宅部終了のお知らせ
そんなわけでゴールデンウィーク明けの五月最初の登校日の放課後。
俺はのろのろと音楽準備室に向かいながら休み前の出来事を思い出していた。
凛堂。
そう名乗った背の低いクールビューティーおさげ閉眼女子。
どういう訳か俺が恋愛マスターだという噂を鵜呑みにし、半ば強制的に助手になった一年生の女子だ。
助手って……。
中二病でもこじらせているのか、それとも罰ゲームか何かか?
いずれにせよ、凛堂の魂胆も目的も全く分からない。
分かっているのは休み前に言われた、「毎日放課後に音楽準備室に来い」という事だけだった。
毎日? 冗談じゃない!
俺にはいろいろと学校外でやらねばならないことが待っているのだ。(大抵は娯楽の類)
わけの分からんことに毎日放課後の時間を割く暇などない。(ある)
強引な
◆ ◆ ◆
結論から言うと、俺の不安はバッチリと的中した。
しかしそれは別ベクトルな形でだった。
「失礼しまーす……」
アポはあるが、ふてぶてしく入室するには至らず、俺はまたしても控えめに憶病に音楽準備室に入った。
今回はノックはしなかった。
少し埃っぽい空気を感じながら見渡すと、逆光に
小さく整った顔は手元の本に向いており、相変わらず目は開いているのか分からない程の細さだった。それで読書できるのか?
俺の入室に間違いなく気づいてはいるはずだが、凛堂は一切こちらを向かない。
それどころか、
「凛堂、おっす」
俺の挨拶にも返事はなかった。
僅かに極小の頷きをした、気がする、程度の反応だった。
前回のあの強引な凛堂はどこに行った? まさか似た別人か? 双子か?
等と、声に出さずに思考して絶妙な気まずさを一人誤魔化していると、凛堂は本に顔を向けたまま片手を動かし、隣のパイプ椅子をポンポンと優しく叩いた。
隣に座れと?
凛堂はそれ以上のアクションはせず、読書に戻ったようだった。何読んでるんだろ。
言われるがまま――何も言われてはいない――俺は凛堂の隣のパイプ椅子に座った。
……。
無意識に背筋が伸びる。両手をどこに配置したらいいのか分からない。呼吸も整然としない。
すぐ右隣に、年下の女の子がいるからだ。
その距離僅か十センチ。少し動けば肩がぶつかる。
ちらりと目線だけを右に
よくよくじっくりとみれば、ほんの少しだけ目が開いている様だった。
そりゃそうよね、じゃないと文字読めないものね。
よく意味の分からない状況に俺の緊張はピーク近くまで達し、変な汗をかき始めていたが、もしかして青春っていうのはこんな感じなんだろうか。
だって、こんなにも心臓が――――って、ちがああああああう!!
当初の目的を忘れるな俺のアホ!
俺は毎日こんな場所に来るわけにはいかない。恋愛マスターなどでもない。
助手だか何だかよく分からないが、とりあえずは有耶無耶になった
「あのさ、凛堂、話があるんだけど」
俺の問い掛けに、凛堂は目を閉じたまま顔をこちらに向けた。
良かった、この問い掛けにまで無視紛いな反応だったらまあまあ傷ついてた。
……。
しかし、だ。
閉眼しているとはいえ、こんなにも至近距離で女の子の顔が俺の方を向いている経験など今までなかったので、俺は上手く言葉が浮かばない。
それでも俺の言葉を無言で待ち続ける凛堂に、俺は心音が加速しながらも決意を込めて口を開く。
「俺、やっぱり恋愛マスター――――」
――ギィイイ!!
俺の言葉は、扉の叫び声のような
開かれた入口から黒いバインダーを抱えた女性が現れ、スルッとこの準備室に入ってきた。
恰好から察するに、どうやら教師らしい。
「凛ちゃんおはよーぅ、で、君誰ぇ?」
綺麗な長髪を
「あ、の、え、と……」
俺は突然の出来事に、声帯に針金でも入ったかのように上手く喋れなくなってしまった。
すぐ隣にはおさげ閉眼クールビューティ、目の前には首傾げ七十度若手女教師。
女教師は首を傾げたまま左手の人差し指を咥えるように口元に持っていき、眉を寄せて「うーん」と唸り始めた。依然、俺の顔面を凝視したままだ。
助けを求めるように目線を凛堂の方に向けたが、凛堂は既に読書に戻っていた。おい。
逃げ出したい! と心で叫びながら、仕方なく当たり障りのない自己紹介をしようと動きづらい口を動かす。
「あ、俺は――」
「わかったぁ」
唐突に女教師は両手をそのふくよかな胸の前でパチンと叩くように合わせた。
同時に手に持っていた黒いバインダーは床に落ち、これまたバチンという音が鳴った。
いろいろとビックリして俺は背筋が伸びた。……何が分かったの?
「さてはキミぃ、新入部員だねぇ?」
合掌のようなポーズでおっとりとした表情の女教師は俺の顔をマジマジと見つめている。
上手いこと反応できずにいる俺を尻目に、凛堂は無言で落ちた黒バインダーを拾っている。
「新入部員?」
「うん。名前、教えてぇ?」
眠そうな笑顔を向けてくる女教師。
うんと。え?
何が起こってるのかよく分からないのって俺だけ?
「名前は、
「どんな漢字ぃ?」
「季節の冬に根っこの根で冬根、氷に簡単な花で氷花、です」
「ふーん」
俺の名前を聞くなり女教師は大きい黒目を目一杯上に向け、数秒停止したのち、
「可愛い名前だねぇ。女の子みたい」
そう言っておっとりとした笑顔を向けてきた。
「――ッ!!」
余計なお世話だ! と叫んでしまえるわけもなく、ただ俺は何も言えずに顔に熱が溜まっていくのを感じただけだった。
でも、年上の女性に可愛いと言われる……これもちょっと青春っぽいか?
可愛いって言われたのは名前だけど。
「じゃ、入部届書いとくねぇ」
えと、え? ちょっと待て待て、どういう事!?
俺は慌てて立ち上がる。パイプ椅子がずれて嫌な音が鳴った。
「ちょっと待ってください、入部って、何の話ですか」
「えー、冬根君ここにいるって事は入部希望でしょぉ?」
「いえ、違いますよ!」
「またまたぁ、恥ずかしがっちゃってぇ」
女教師はだらしない口調のまま、凛堂が先程拾って膝の上に置いた黒いバインダーを取った。
「いやそういう事じゃなくて、な! 凛堂も言ってやってくれ! 俺、入部とかの為にここにいるんじゃないよな?」
俺は凛堂に
凛堂はゆっくりと顔を上げ、閉じた眼のまま俺の顔を見て、次に女教師の顔を見て、そのまま読書に戻ってしまった。おい!
「詳しいことは凛ちゃんにきいてぇ。じゃあ、あとはテキトーにがんばってぇ」
わなわな
「ちょっと、先生!」
女教師は扉を開けながら顔だけを俺に向けた。
「何部なんですか、ここって」
「えー?」
必死な抵抗だ。何部であろうとも俺は入る気などないが、せめて何部なのかを聞き、否定材料を作ろうと考えたのだ。
「うーん、あぁ……えーとねぇ」
女教師は唸るようにだらしない声を出しながら、音楽準備室から出て行ってしまった。
っておい! 答えないで出て行くなよ!
取り残された俺は、怒り――かどうかもよくわからない感情――の矛先を見失ったまま暫く立ちつくし、やがて我に返ったようにすぐ傍で座って読書する凛堂に目を落とす。
「あのさ凛堂、ここって何部なの? 俺、入る気ないんだけど……」
俺の問い掛けには、沈黙が返ってきた。
というか凛堂は本から目を離しすらしない。無視ってやつ? 助手のくせに!?
今度こそ、怒りという感情が沸々し始めた時、トントンと小さな音が鳴った。
音の発信源は俺がさっきまで座っていたパイプ椅子。
の座る部分を、凛堂が手で優しく叩く音だった。
いいから座れと?
「何なんだよ……」
腑に落ちないまま俺は凛堂の隣に座り直す。
さっきまでのドキドキ感は、今となっては殆ど無かった。
座って数分経っても、凛堂は読書を続けているままだった。
――放置プレイ?
結局その日は、下校時間の十八時までこんな感じが続いた。
凛堂は全くもって喋らないで読書したままだし、俺はどうする事もできないまま悶々としていただけだった。
もしかして読書部? 文芸部とかか?
それとも、昨日弾いていたしバイオリン部、もしくは音楽関連の部活か。
完全下校の放送が鳴ると同時に、凛堂は読んでいた本を脇に置いていた鞄にしまい、無言のままスタスタと音楽準備室を後にした。
俺は一人、取り残された。
――いやだから放置プレイ?
溜息とも違う吐息を全身から引き出すように吐いてから、俺も下校した。
恋愛マスターだの、助手だの、入部だの、ここ最近の俺の高校生活は間違いなく激動と言うにふさわしい荒れっぷりだ。
今までが何もなさ過ぎて不動の岩石チックだっただけかもしれないけどさ。
でも、ほら言うじゃん? 石の上にも三年って。
……三年たったら高校卒業しちゃってるか。
というか恋愛マスターってどこ行ったんだよ!
助手! 助手のくせに何の説明もなしかよ! それどころか一言も喋らないし!
一体、何なんだよ……。
明日絶対問い詰めてやる! ――てなわけで翌日の放課後も懲りずに音楽準備室に足を向ける俺なのであった。もう何とでもなれ。
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