コンビの少し前の話

作家編集コンビの少し前の話1(上)

「だァかァらァ……なァんで序盤のイケメンが、次のページではおじさんになっているんスかねぇ!」

 カフェAmicusでは、最近よく来るようになった作家と編集者のドツキ漫才が繰り広げられていた。担当作家はしれっと答える。

「衝撃展開ですよね」

「まぁ、この読み切り一本の中で最大の衝撃ッスよ。自然な形で問題解決に繋げることができますし、天色シュウの定番展開で安心すると評判ッス。でも――最近、先生は「イケオジ展開」に頼り切っているんじゃないッスか。性的虐待を連想させるだとかで、創務省に注意されるのでは? ……と編集部では懸念されてるところなんスよ」

 イケオジ展開、とは天色シュウのファンの中で作られた造語である。彼女の作品に登場するイケメンが漫画的な何らかの要因で加齢する展開のことだ。この展開でイケオジ(彼女は年かさの成人男性の落ち着きから出される魅力的をライトなタッチで描くことがめっぽう上手い)になったイケメン男子はなんやかんやあって自分の本来の年頃に近い少女や、もっと幼い少女とくっつく。見た目は戻らないままに。見た目は淫行だが実際には子どもらしい発想の行動しかない純愛だ――それが最近の天色シュウ作品内の恋愛描写である。

「創務省や少年○○編集部はマイ・フェア・レディやあしながおじさんを否定するんですか? と伝えといて下さい」

「先生、マイ・フェア・レディはともかくあしながおじさんは読んでないんスね? あしながおじさんの正体は――」

「せっかく忘れてるのにやめてください! いやしくも出版業界の人間がネタバレしていいと思ってるんですか!」

「……百年以上前に完結した物語ッスよ?」

 侃々諤々と繰り広げられる応酬は、トレイを持った男性店員が近づいたことでピタリと止まる。

「お待たせしました、ご注文の品です」

「ありがとうございます! うわぁああこれが豪華メニュー、三段重ねパンケーキ!!」

 いそいそと立ち上がり男性店員から直接料理を受け取る天色シュウを見て、重野トクヒコは受け取ったアイスレモンティーにストローを入れてため息をついた。

「今回はこれでイケると思いますがね、描けるものは増やさなきゃダメッスよ。わかりやすくウケるものを学習しないなんざ阿呆のすること。具体的に言えば同い年の――」

 重野の言葉を打ち消すように、天色はパンケーキにフォークを入れながら声を張り上げる。

「こないだ女性同士の恋愛を頑張ってみましたよ」

「その女性の身体は片方、男性だったじゃねぇッスか……性癖を貫くためだけにセンシティブな方向に走りやがってこの、阿呆先生が……」

 ぶつぶつ唸る編集者に、店員が眉を下げて呟いた。

「描きたい漫画と市場の需要が合わないのは商業作家として辛いところだとは思いますよ。……気持ちは私にも、分かります」

 重野はスティックシュガーの封を切りながら答える。

「合わせるのがプロってもんッスよ。店員さんも立ちっぱで休みたくともお客の注文あらばそっちに行かなきゃダメでしょう? この先生は立ちっぱが辛くて休みたいからってラジコンで注文を取りに行くような事をしてるんス」

「ラジコンで注文できる喫茶店って、むしろ目玉になりません?」

 天色に重野はすげなく答える。

「操作ミスって客に当たって大目玉フラグ、の間違いじゃないスかね。喫茶店のことなにも知らん癖に言うの良くないと思うッスよ」

 それは、先ほど重野の言葉に口を挟んだ店員に向けた非難でもあるのだろう。漫画家のことを知らないくせに、天色を擁護するのはやめて欲しい──言外に込められた抗議に、ふふふとカウンターから笑い声が漏れる。

「お言葉ですが、お客様。彼も商業作家の苦労を身に染みて知っているのは確実ですよ──荒家ピロシキという漫画家をお二人はご存じですか?」

「「荒家ピロシキ先生!?!?」」

 声をそろえたふたりを前に、なぜか店員──名札に従えば北小路、という──の耳が一瞬赤くなる。

 それほどまでに目の前のふたりが熱を持って語りだしたのだ。

「荒家ピロシキ先生と言えば数十年前にデビューなされた漫画家先生、若くして連載を持ってヒットも飛ばし筆が早くて原稿も落とさなかったという編集者にとっては神さまみてえな大天才じゃあないっスか。荒家先生を知らん編集者なんてモグリか勉強不足かのどっちかッスよ」

「作風が幅広いのがいいんですよねぇ……同じ人がこうまで絵柄を変えられるかの勉強になりますから。あたし後輩が描き方で悩んでいたら荒家先生の本を紹介してます」

「あぁ、もちろん作品そのものも思い出深い。オレが初めてお小遣いで買ったのは荒家先生の作品でしたし。入社して荒家先生が免許を返納されていたと知った時には残念でした」

「えぇぇ、荒家先生免許返納してんですか!? 認可作家連合の懇親会で探してたのになぁ……。あたし中学高校で辛いことがあったら荒家先生の作品読んでリフレッシュしてて。あの本がなければあたし途中でグレてたかなんかのタイミングで没の群れん中にダイブしてたかに違いないんですよ」

 北小路の顔が紅潮していくのを、掴みどころのないマスターだけが光を反射する眼鏡越しに観察していた。

 お互いが荒家ピロシキのファンであることを理解した作家編集コンビは、張り合うように自慢話を始めだす。

「あたし実は、荒家ピロシキ先生に会ってサイン本をもらったことがあるんですよいいでしょう? 子供の時に遊びに行っていた、近所のおじさんの家で偶然会ってて──」

「荒家先生のサイン本くらいオレだって持ってるし目の前で書いてもらったんスよ自慢できずに残念ッした! というか、どうして天色先生はその人を荒家先生だと分かったんスか? 荒家先生は顔出しを絶対しなかった人ッスよ?? 偶然出会うにしてもそんな、近所に住む少女を連れ込むようなやべえオジサンの家に荒家先生がいらっしゃる訳がないじゃあないスか! オレのように小説家の親戚が、先生に作品をコミカライズされる計画があって……という縁がない限り、本当に荒家先生に会ったと確定できるわけがない!!」

 ふたりの熱が収まるのを待って、マスターはふっと思い出したように口を挟む。

「じゃあ、いまお礼を言ったり真偽を確かめるというのは如何でしょうか。引退して二十年も経つのにこんな熱っぽく想われるのも、作家冥利に尽きるでしょうからねぇ──荒家ピロシキ先生?」

「……!!」

 荒家ピロシキとしてマスターが指したのは、店員──北小路望生その人で。天色と重野は息がぴったりと合った動きで同時に北小路の顔を見る。

「言われてみれば……店員さん。お目目があの日の荒家先生と同じ、夕焼け色だ……」

「顔の傷が見覚えあるような……えぇ。日常生活でそんな大きな傷がつく訳もなし。なにかデカい化け物──没に襲われなければ、立ち向かわなければそんな場所──お顔にザックリと傷なんざつくわけないッスよね」

「店員さん、都内にお住まいですよね。ここに働きに来られているんですから──荒家先生もたしか、都内ご出身でご実家にお住まいとのことでした」

「デビューした年齢から考えて、いま荒家ピロシキ先生は四十五歳であらせられるんスよねぇ。店員さん……いや北小路さんも、同じ年ごろに見えるんスよ、気を悪くしたら申し訳ない」

 じろじろと遠慮なく見つめてくる四つの目玉に、根を上げたように北小路は両手を上げた。

「はい……荒家ピロシキです」

「まじッスかぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!」

「うきゃぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!」

 大人げない、子供のような、情動を消化するためだけの叫び声が小さな喫茶店の中に響いた。

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