作者側のプロローグ2

「この絵柄には見覚えがあります……編集者サン、付いて来てください」

 天色の言葉に従って、重野が連れてこられたのは郊外某所にある創務省が管理している図書館だった。

「……」

 周りにいるのは、観光客か利用者か、それとも創務省の職員か──重野トクヒコは少しだけ動悸が早くなるのを感じた。自分の伯父が無免連に所属していたことで、就活時に云われない言葉をかけられた記憶が蘇る。

 無免連とは、創作活動を行うために必要な免許取得、治安維持のために必須な検閲など──社会秩序に抗う無法者の集まりである。


 反抗せよ、アンチテーゼが芸術の歴史だ。

 我々も作品も、一筆たりとも縛らせてなるものか


 伯父の家に遺された毒々しく赤いパンフレットは、就活生へ出版社が送ってくる目に優しい水色の会社資料や創務省が出す落ち着いた灰色の公式文書よりもトクヒコの目を惹いたがそれはそれ。マキナを出せない以上トクヒコにとって無免連はただの社会治安を乱す暴徒だし――無免連にとってトクヒコは、ただの役立たずのモブである。

 重野篤彦は出版社に所属していてもコンプライアンスを違反しない、後ろ暗いところなどない立派な社会構成員である。天色シュウの担当編集の座から降ろされる言われはどこにもない。大丈夫だ、この癖の強いツクリテを御せるのは自分しかいない──そう思ってトクヒコは大きく息を吐く。

「おや、今日は没のデータ閲覧に来たんじゃないんですね」

「あ、男さんこんにちは。今日はちょっと……別件で。指定文庫のうち同人地下帝国から押収されたものの本棚はどこでしたっけ」

「この道をまっすぐ行って、五番目の棚ですよ」

 天色が会話している、黒いスーツを着た創務省職員──妙に平面的な印象があるが、ニジゲンだったりするのだろうか──の視線が妙に気になってくるが自分の気のせいであるはずだ。

「後ろにいるのはどちら様です? 指定文庫とは言えど一応ここの収蔵書ですからね、部外者が気軽に見ていいものじゃないんですよ」

「彼はあたしの担当編集です。彼にちょっと……見せたい同人誌があって」

「へー! 『抹殺作家』の甥っ子が、出版社に入社できたんですか! すごいですねぇー!」

「……」

 職員の言葉に、トクヒコは少しだけ息を詰めた。出版社に就職した時から覚悟していたが、やはり身辺調査はされていたのだ――読者の歴史観を捻じ曲げられる程の筆力を持ちながら、いや読者の歴史観を捻じ曲げるような作風から創務省に警告を受け、最終的には免許を取り上げられた伯父のことを創務省職員に擦られるのは予想以上に心に重く響いた。

「じゃ、また」

「はいはーい」

 職員と別れて先導する――先導出来るほど創務省に通い慣れている担当作家はきっと。伯父との交流を非公開にしているのだろう。それをできるしたたかさはあるのに、どうしてそのしたたかさを作品に転用できないのだろうか。トクヒコは内心歯嚙みする。

「指定文庫というのは、創務省が民間で押収した同人地下帝国や無免連やムジルシの──えっと、ムジルシってのは創務省のひとたちの隠語で、免許も持たず認可を受けていないのに創作活動する民間の人間のことなんですけど──彼らが作った創作物のうち、まだ健全なものを創務省はサンプルとして残すんですが、その創作物をしまってある棚のことです。ほら──将来的に彼らが無免連に入ったとき、絵柄や文体でいつでも分かるようにとのことで」

「……」

「最近はとある職員さんが熱心に整理してくれるおかげで、蔵書検索ができるようになったんですよ」

「……そのヒトは図書館の司書さんなんスかね」

「いえ、確か警察の──あぁ、ここだ」

 トクヒコの質問に天色は答えず、大きな本棚の前で足を止めた。

「じゃ、編集者サンそこのコンピュータに……『原作:レインボウサーガ』、『分類:同人誌』、『題名:雨上がりのシャイニーブリッ……グボォッ、ゲホッ」

「大丈夫ッスか、天色先生」

 不自然に咳き込んだ担当作家に適当な声をかけながら、トクヒコはタッチパネル操作で検索エンジンに原作名と分類を入力する。

「雨上がりのシャイニーブリッジ……スかね」

 検索候補に挙がった書名を読み上げると、真っ青な顔の担当作家は激しく頭を縦に振った。

「くっ……件の、ニジゲンはそこの表紙から出てきたものだと思うんで……っ、グボォゴホォッ!」

「ふつう自分の漫画原作の同人誌を見て血反吐吐きます? あなたのファンが存在するってことの、はっきりとした証じゃあないスか」

 身体を支えきれずにぜいぜい、ごほごほと咳き込みながらうずくまる──そんな天色にトクヒコは冷たい目を向けた。

「ひゅっ……ごほっ、」

「まぁダメージ食らう理由は分かるんスけどね──表紙を見れば」

画面に映った書影には──オレンジ色のポニーテールの少女と、青い短髪の青年が抱き合う画像があった。

「ごはっ……ぐふぅ……」

「連載時のテコ入れ会議でも、ギリギリまで入れなかった先生の地雷、『同い年男女の恋愛描写』──レインとサニーの恋愛カップリングを前面にお出しした同人誌。確かにあのニジゲンはこれの表紙絵から出てるっぽいスねえ……でも個人アンソロッスよねこれ……五百ページ? え……個人でこの厚さを刷るとは正気か? 漫画と小説と……CDもついてる、アニメーションか朗読CD? やべえ、欲し……じゃあなくて。薄い本なのに全くもって薄くない……」

「うげぇぇ…………」

 とうとう声も出せなくなり、天色は床に倒れこんだ。

「ちょ──ちょっと君! そこの倒れているレディはどうしたんだい!」

 後ろから肩を掴まれて、非難されるような声を上げられてもトクヒコは冷静だった。

「あぁ、コレはちょっと地雷に触れて爆死してるだけッス。心配なら彼女に顔を見せてやってくれますか、通りすがりのイケオジさん」



「全く、目の前に床へ倒れ伏しているレディが居たら、心配するのが当然だろう! 特効薬を知っているから、よくあることだからと放っておくなどしてはいけない! 人道的じゃないし、何より命に関わる可能性だってあるのだからね」

 天色シュウが発作を起こした時の特効薬であるイケオジに真っ当な理由で叱られて、重野トクヒコは神妙な顔で頭を下げる。

「コメヤサイ……」

 口の中でそう呟けば、目の前のイケオジは分かればいいんだ、と言う顔で頷く――大学教授にも効いた小技は、ここにおいても通じたらしい。

「あ、あたしなら大丈夫ですよご心配をおかけしました……あっ、あの。もしかして貴方は『探偵医師シモンズ』シリーズの主人公、シモンズ博士だったりしますか?」

 天色の質問に、イケオジは鷹揚に頷いた。

「いかにもぼくはシモンズ。みんなの愛するシモンズ博士だよ」

「やっぱり……!!!」

 またすぐ頬を染める天色に、重野は小さく舌打ちをする。恋愛感情や衝動を理解できていない訳ではないのに。何故それを一回り年上にしか向けられないのか。

「あああああたしファンでっ……特に5巻の――親の犯罪を告発するために依頼してきた少女に向けた言葉が素敵で……!!」

「おや、それは嬉しいね。ニジゲンとして早々に生まれ出たぼくと、5巻でそう結論を出したシモンズ博士は別人と言えるのだろうけど。ぼくシモンズ博士のファンにまみえるのはとても嬉しい。このように素敵なレディであれば尚更だ」

「……その素敵なレディ、都合が悪くなるとうさぎ飛びで逃げ出して対話の席に絶対着かない、子供か動物のような態度に出るんスけどね」

 トクヒコが呟くと、天色はシモンズ博士の死角から重野の脇腹を突いた。彼女のマキナ白手袋ろくぶてが嵌っているが、人間に向けられたマキナは大幅に弱体化されるので重野が受けたのは女性の腕力で小突かれた程度の刺激にしかならない。

「あの……良ければ握手させて頂けますか!!!」

「おや、それだけでいいのかい? 一緒にお茶でも、と思っていたのだけれど」

「いや、天色先生はオレと次の読み切りネタを練るので――喫茶店にご一緒されるとちょっと困るんスよ」

「そうかい、残念だ。でも編集者くん――いや、うん。何でもないよ」

 シモンズ博士は何かを言いかけたあと、納得したように頷いてくれたのでトクヒコは胸を撫で下ろす。





 シモンズ博士と別れ、図書館に併設された食堂に来てから天色はぽつりと呟いた。

「……あのレインは無認可のニジゲンです。創務省に通報して、捕縛してもらいたいんですが」

「でも、あのレインは先生の作品レインボウサーガのいい宣伝になるのも確かッスよね。もう打ち切りになって二年も経つのに、『同人地下帝国でレインに助けてもらった』という新規読者が増えてるんスよ」

 重野の言葉に、天色はギリッと目を尖らせる。

「あのレインは非公式なレインです。公式のレインと解釈違いの発言挙動をいつするか分からない――発言によっては、あたしの立場も危うくなるかと思うんです。編集者サン、あたしが漫画描けなくなると困るんでしょう」

「……まぁそうッスね。じゃあこうしましょう」

 重野はぴっと指を立てた。

「先生はニジゲンのレインについて何か聞かれたら、『アレは同人誌産のレインであって自分には関係ない』と言えば良い。オレがなんかこう……どうにか、同帝に繋ぎを取ってニジゲンのレインを見張るようにするんで。問題発言するようになったら、改めて創務省に通報すればいいじゃないスか、ね? 編集者のコミュ力、信じてください」

「……」

 重野の言葉に、天色はとうとう首を縦に振る事はなかった。

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