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 レインがこの世に生まれ落ちて――本のなかの登場人物として在った時と、ニジゲンとしてこの世に在る今。大きな違いはサニーがいない――つまり、サニー以外のことを考える時間が長くあるということだ。

 バイト先からの帰り道、レインはとある店を通りがかるだけで脈拍が上がり息が苦しくなってしまう。それを自覚している彼は、その店の一足前ですぅと深呼吸した。そして息を殺しながら店の中を覗き込む。

「……」

 店の奥で、品物を見ている黒いメイド服の背中を見つけて、レインは焦るような慌てたような、でもこの場にいたいような矛盾した気持ちを感じた。顔に血が集まっているように熱い――もしも彼が漫画本文から出てきたニジゲンであるならば、頬どころか顔じゅうに斜線が走って後ろにかぁっ、と描き文字が出ていただろう。

 レインはこの感情の正体を知っている。この感情は『恋愛』――だけど。

 彼女がふっと振り返るような予感に慌てて、レインは慌てて最近買ったキャラクターもののポーチで顔を隠してしゃがみ込む。

(彼女はサニーじゃないのに、なんでこんなにドキドキするんだ!?!?)

 今この瞬間、レインがその神経を全て傾けて動向を伺っているのはこの同人地下帝国で見かけた女性である。ゆるくウェーブのかかった銀髪を顎ほどの長さに切り揃え、近寄ったり会釈をするとどこからか薔薇の香りがしてくる女性――とある小説から出てきたニジゲンであると聞く、ロザンナさん――レインは彼女に見つからないうちに店の前を通り過ぎた。

「ロザンナ……さん」

 店から十分離れたあとに試してみたが、今回もレインは彼女を呼び捨てで呼ぶことはできなかった。

 レインボウサーガ本編でずっと歳上のクラウディ伯爵や育ての親たるドクターグルーミーに対しても乱暴な口調が直らなかった(作者が描けるほどの時間がなかっただけかも知れないが)レインにとって、カフェへの潜入任務バイトでないのに敬称をつけたくなる衝動を感じるのはとても不思議な事である。雨上がりのシャイニーブリッジ内でもレインはサニーを呼び捨てにしていた。どうしてだろう。考えても分からない。

 考えても分からないことが、この世界に生まれ落ちてからは山のように降り掛かってくる。サニーのことを考えて、サニーの側にいればいい同人誌の中とは違うのだ。レインはそれを自覚するたびに狼狽えて――ちょっとワクワク心が弾む。

 そのワクワクを記録するように電子ノートへ打ち込むことが、レインにはとても楽しいことだった。

(なぁサニー、こっちの世界もなかなか天晴だぞ――)

 サニーの決めゼリフを思い出したら、彼女がすぐ横で笑っているような感じがした。






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