5
鮫の化身に取引を
「ではプレデターさん、言った特徴を備えるニジゲンを無免連で見かけたら私にどうぞ連絡を。見返りにはそうですね……ボール遊びがお好きなんですっけ」
「はァ? 俺ちゃんそんなガキじゃねえし! それに獲物を海面に打ち付けて遊ぶのはイルカだし……ヒトにものを頼む時って、相手の素性や好みをしっかり調べて来るってのが社会人ってもんじゃねえの? 元漫画家の現引きこもりだから、社会経験なくて分かんねえの??」
ウサギを挟んでテーブルは剣呑な雰囲気だった。黒いスーツを着た女性に向かい、灰色のマスクを着けた男は揶揄するような響きの声で非難した。
「えぇ、社会人経験ないから解らないんですよ。よく言われますから慣れているんです、この攻撃はあたしにとって無効ですよ」
女性が穏やかな口調を崩さなかったため、男は吐き捨てるように呟いた。
「……つまんねぇ奴」
レインには男の言葉に少し頷けた。雨シャイに掲載されている短編『曇天』で孤児という出自を当て擦ったにも関わらず、変わらない態度で接してくるサニーへ似たような思いを感じたことがあるからだ――『曇天』に登場したレインの記憶だが。
「いじめっ子に面白い奴認定されたら、よりいじめられるって知っているのでね」
女性の発言に男は確かめるように顔を覗き込む。
「はっ、じゃあやっぱりほんとは気にしてるンじゃねえの?」
「気にしてませんよ」
「本当のほんとにィ? ――顔、真っ赤」
「本当の本当のほんとですよ。顔だって赤くなってないです」
「えー、でも俺ちゃん顔『が』真っ赤『になっている』……なんてことは全然言ってないんだけどなァー。顔が赤い自覚があるから、そんな答えになったんじゃないの?」
水掛け論になってきた人間ふたりに向かい、黒ウサギが注意を集めるかのように鼻をふんふん動かして見せる。しかし、声を荒げ始めた人間にそんな無音の抗議は届かない。困ったような表情を浮かべて――レインはその時はじめてウサギの表情を見て取った気がした――見上げる黒ウサギに勇気付けられたレインは、女性に声をかける。
「失礼します、お客様――あちらのお客様から、これを」
返されたトレイにのせて差し出せば、男が興味を引かれたように身を乗り出してきた。
「えー、なになに特別サービスぅ? 俺ちゃんポテトなんかいらねえんだけど」
男の言葉にレインは首を横に振る。
「人間のお二方ではなく、こちらのウサギ様へ――とのことです」
「ミスター、大丈夫ですか……? 一本ならイケる? でもウサギにはちょっと、塩辛すぎて油っぽすぎると思うんですけど……」
女性が小声でウサギに話しかけている。自分の考え事をまとめるための独り言のようなものだろう。ドクターグルーミーが自作の機械や薬品に向けてよくやっていたことだ。状況説明や解決するべき問題提示を簡単に終わらせられる便利なキャラ。それが同人誌におけるドクターグルーミーというキャラだ。
「……」
考え事をしている女性の目の前で、男はニヤニヤしながらレインをじろじろ見続けていた。何か可笑しいのかは分からないが、時々小さく吹き出している。
「なぁお前、ペットのウサギを誉めてくれたウェイターさんへありがとうって言わなくていいの?」
男の言葉に、女性は反発するように言い返す。
「は? ミスターはあたしのことを心配してついて来てくれたんです、ペットじゃない。あとウェイターさんが来たのは仕事だし、ポテトくれたのは他の席のお客さんだって言ってたの聞いてないんですか?」
「ごちゃごちゃ言わずにウェイターの面、見てみろよ!」
「絶対イヤです、いじめっ子の言う通りにしたら馬鹿を見るに決まっているんだ」
ウサギがストレスを感じているように、トントンとテーブルを踏み鳴らす。そして、レインが持っていたままのトレイを引き下げ、ポテトの一本を引きずり出した。
「!!!」
そして、器用に前足を使って固定したポテトを口に運ぶ――カリカリカリカリ、とポテトがウサギの小さな口に吸い込まれるのをレインは初めて間近で見た。
ウサギがポテトを一本食べたあと、ウサギの連れらしき女性がポテトを突き返す。
「くれた人には悪いんですが、ポテトは一本で十分です。後の分は返してください――あ、こらMr. モーリス! お身体に障りますよ――美味しいからって食べすぎはだめです!」
まだ欲しいと言わんばかりに見上げてくるウサギにレインは後ろ髪を引かれつつ、店主の男のテーブルに戻る。
「……よく考えてみりゃ、俺が行ってポテトを渡せば、モーリスにエサやり出来たんだなぁ。レインお前、ずるいぞ」
男の言葉に、レインは大きくため息をついた。
「は? お前あの剣呑な雰囲気に勝てるわけないだろ」
「イヤイヤ、モーリス以外に話しかける必要ねえだろ。はぁああ……せっかくモーリス・ロップにエサやり出来る機会があったのになぁ……」
残念そうな男にレインは話を戻す。
「間近まで行ったが、あのウサギはただのウサギにしか見えなかったぞ」
「それはお前がニジゲンだからだ。そして『怪盗モーリス』シリーズを読んだことがないから――生まれ育つときに読んできたキャラがニジゲンとしてこの世に出てきたら、読者から見ればすればなんでも一発で分かるもんなんだ」
「……そう言うもんかなぁ」
だったら、レインやサニーを知っている人間――「雨シャイ」や「レインボウサーガ」を知っている人間に会えば、レインがニジゲンであると分かるものだろうか。
店主が訳知り顔に頷いた。
「そう言うもんだ。雨シャイの作者がお前を見たら――めちゃくちゃ驚いて、喜ぶんじゃねえの?」
「めちゃくちゃ驚いて、喜ぶ……」
レインはぼんやりと男の言葉を復唱した。レインはサニーに並々ならぬ感情を持ち、サニーもレインが大好きで――時も場所も世界観も違う掌編が寄り集まりながら、それだけが確かなレイサニ同人誌から出てきたニジゲン、レインにとって会っただけでそこまで感情を揺さぶる他人なんて、考えられない。
――会ってみたいな、とレインは初めてそう思った。
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