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 レインが同人地下帝国に生み出されて約〇か月──レインは近況を報告するために、同人誌の販売書店の雇われ店主をもてなすことにした。ニジゲンとして生み出されたときに、話し相手になった彼だ。

 バイト先を吟味して──レインは複数の職場を持って、人手の足りない場所に顔を出すという便利に使われる働き方をしていた──選んだ職場の上司に相談。嘘をついたり騙したりすることのない、正直な(野心も知恵もないとも言うが)ことで高い評価を頂いているレインの希望は幸運にも通り、レインはテーブルを一つ任せられた。

「よ、やってる?」

 同人地下帝国の外れ──同人地下帝国が正式な国家であるならばむしろ国境にあるような、地上の店であるということで驚いているのだろうか。恰幅のいい若い男は、ありもしない虚像の暖簾を押すようなジェスチャーをして居酒屋に入るときのような挨拶をしながら入店してきた。

 しかし、それで調子を崩すようなレインではない。にこやかに微笑み、レインは男を出迎える。

「いらっしゃいませ、ご予約の○○様ですね。御来店いただきありがとうございます。本日はごゆっくりおくつろぎください」

「……」

 男は大人しくレインの案内に従って店内を歩きながら呟いた。

「……レインボウサーガで、お前レインが登場した第一話では『テーブルを載っている料理ごと抱えて運ぶ』のと『カフェの常連であるサニーに慇懃過ぎる応対する』ことで怪しまれていたんだ」

「……」

 レインは返事をしなかった。客をテーブルに導き、椅子に座らせてナプキンを持たせてメニューを差し出す。そこまで自分の仕事だからだ。流麗な、高級レストランのウェイターとして登場したっておかしくない仕草でレインは店主を席に座らせて紙ナプキンを持たせてメニューを差し出す。メニューに載っている店の名前は――


ファーストフード マックスバーガー


「なぁレイン。この世にはTPOってもんがあるんだ、俺マクバで席まで案内されたの初めてだよ。マクバみたいな気軽なファストフード店でこんな丁寧な対応されちゃあ、感動する前にビビっちまうよ。マクバにはお客対応のテンプレがあるはずだからそれに従え」

「……」

 レインは憮然とした顔で頷いた。最近は店の奥でポテト揚げたり冷凍室からシェイク飲料を運んできたりの力仕事が多くて忘れかけていたが、それは確かにホールマスターに注意されていたことだった。むしろここではウェイター業務より力仕事が多く割り振られるし、客が帰るまでホールに入るなとキツく言われていたところだった。レインはため息をついて気持ちを切り替える――

「分かったよ。注文が決まったら声をかけてくれ」

 そう言いながら、レインは店主の目の前の席を引いて着席した。 指示が来るまで 待ち続ける――それがウェイター待つ者という仕事である。そしてお客が気持ちよく食事をする環境を整える――それがホールに立つレストラン従業員の仕事である。

 あと、独立できるまで面倒を見てくれた恩人を、そのまま放っておくなんてことはレインも心情的に出来ることではなかったのだった。



「でも少し安心してるんだぜ、お前が元気そうで良かった」

「まぁな。仕事があるってのはいいもんだ」

 店主の言葉に、レインはしみじみと感慨に更ける。雨シャイの十何ある短編のうち、 半分くらいがドクターグルーミーにレインが棄てられたという前提である。そして立場も役目も失い自暴自棄になったレインをサニーが救うという流れで物語はスタートする。レインボウサーガには ドクターグルーミーがレインを捨てたと言うことが 明確にわかる描写はないが、二次創作者には橋を架ける者レインボウ 捕獲に失敗したレインは ドクターグルーミーに捨てられたという展開がお決まりである。そこから育ての親であるドクターへ歪んだ思いをぶつける(レイグル)なりサニーの保護者であるクラウディ伯爵に引き取られる(クラレイ)なりドクターグルーミーへ恨みを持つ無名のキャラたちに襲われたり(モブレイ)――二次創作者たちの想像力は、 原作に書いてないからといっても阻まれるものではないようだった。

「魅力的なキャラを描ける――天色シュウも、大賞受賞者の肩書きに恥じない技量を持つ漫画家だったんだと思うぜ。一年持たなかったとは言えど、あの雑誌に連載できて、連載終わってから二年くらい経つけど読み手の記憶に残り続けて、ニジゲンを生み出すほどの解像度の高い同人誌を作るほどのファンを獲得しているんだから」

 しみじみと語る店主の言葉に、レインは恐々と声をかける。

「……ニジゲンが生まれる仕組みはまだ分かっていないって、こないだお客に来た創務省のヒトが言ってたぞ」

「そうか? でも俺は、書き手や読み手の愛がニジゲンを生んでいると思うんだ――」

 店主はそう言いながら、レインたちの座る椅子から少し離れたところにある椅子を指差した。

「あのウサギは『怪盗モーリス』って言うんだが……」

「…… ?」

 そこに座って――いやテーブルに載っているのは黒いウサギだ。バーガーセットについてくるサラダをもぐもぐと咀嚼しているそのウサギは、レインの目には普通のウサギにしか映らない。

「飼い主が連れてきた飼いウサギじゃあないのか?」

 艶やかな毛並みを見るからにして、ウサギが愛されているのは明白である。きっと栄養バランスの取れた食事に、定期的なブラッシングを受けていることは確実だ。同席してバーガーを食べている、連れの人間が飼い主ではないのだろうか。

 しかし店主は首を横に振る。

「絶対違う。俺は書店コーナーで同人作家が拘りまくった同人誌を見続けてもう十年は経つというところだから分かるんだ。あれは児童書『怪盗モーリス』シリーズの主人公だ。ウサギという愛らしい見た目で紳士的な性格、探偵や警察の捜査網を掻い潜る脚力、胆力を併せ持つギャップ。近年の小学生がペットとしてウサギを飼いたがってるのも『怪盗モーリスと黄金のにんじん』が刊行されてからだと言われているし、擬人化されたモーリスと依頼人の恋愛夢同人誌は二・三年に一点は必ず新作が出る。いたいけなオタクの二次元初恋をかっさらっていく大怪盗だ……数年間にニジゲンとして出てきたという噂があったが本当だったのか」

「……」

 店主も恋心を奪われた被害者であるのだろうか。ただのウサギにそこまで熱のこもっている目線を向けるとは。その視線はサニーを後ろから見守るクラウディ伯爵を連想させて、レインの首筋がちりちりとした。ニジゲンのレインが出てきたのはサニクラ同人誌の表紙からではあるが――その同人誌に収録されている話の三割ほどには、サニーを社会的にも精神的にも支え続けたクラウディ伯爵に嫉妬したり僻んだり、気にしたりしているレインの描写が挟まれていた。

 サニクラ同人誌であれば、サニーが勘づいて『レイン、そんなことで曇らないで!』と声かけてからの愛の告白、愛の確認に繋がり物語はカタルシスを伴ったハッピーエンドで〆られる。しかし、この世にはサニーがいないのだ。そこを思い出す度にレインは、途方に暮れたようになる。

 いったい俺はどうすれば――沈みこむレインに、店主の男はニヤリと笑ってポテトを差し出した。

「なぁ、ちょっとコレをあのウサギに渡してきてくれよ」

「はぁ? 嫌だよ、客のウサギに勝手にエサをやるなんて」

「だったら相席の人間に言えばいい。『あちらのお客様から』っての、一回やってみたかったんだよな。しっかり指差してくれて構わないから」

「……」

 お客の希望を叶えるのがウェイター――というよりサービス業務に携わる者の仕事である。

「一度でも断られたら帰るからな」

 念を押してから、レインはポテトのパッケージごと持ってウサギのテーブルに近づいていった。

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