プロローグ3

 さて、それから月日が経って──

「ふー……ただいま」

 レインは同人地下帝国の一角に持った、賃貸のスペースに帰宅した。壁に立てかけたサニーの笑顔──それが描かれた「雨上がりのシャイニーブリッジ」の表紙、ニジゲンのレインが出てきた本だ──に向かって挨拶をして、レインは自室の床に寝転がる。

 人間もニジゲンも寄り集まって暮らす地下帝国には、力持ちであるレインが役に立つ仕事はそれなりにあったし、住民も隣人の素性を必要以上に探らない分別を持っていた。「作者不詳の同人誌から生まれ出た」などという、得体のしれない出自のニジゲンであるレインは創務省の認可も受けられないだろうし、認可作家である「レインボウサーガ」の作者の庇護も受けられまい。レイサニ同人誌の登場人物であるレインはサニーがあってこその存在だ。しかしサニーがこの世界線にいない以上、レインに生き方の指針は示せないのでおそらく無免連に入っても浮く。そんな目に遭うくらいなら力仕事や、ウェイターとしての人数合わせの仕事が出てくる地下帝国がレインにとって住みやすいものであると言えるだろう。出た賃金で光熱費だとか交際費だとか──その日を暮らす経費を払える、レインは幸運にもそんな生活を送ることができていた。

「……」

 おそらくレインはいま「幸福である」と言える立場にあるのだろう。衣食住が十分にある、苦労をしているわけでもない。サニーとクラウディを見かけた時のようにむやみやたらと劣等感や劣情を煽られることもない、ドクターグルーミーに無茶ぶりもされない、平穏な生活。「レインボウサーガ」は打ち切りで伏線は回収されなかったが物語は円満に終了した。「雨上がりのシャイニーブリッジ」はレイサニ……レインとサニーが恋愛感情を持ち合っていたらという仮定のもとに十何もの短編集アンソロジーのようなもので、掲載されている漫画も小説も起承転結を揃えている。

 単刀直入に言うのであれば、ニジゲンとして出てきたレインに叶えるべき願いも解決するべき問題もない。

「……」


 それはなんだか、なんか嫌だな。


 そう考えるのは、不遜だろうか。

「……」

 今日はバイト先で飲んだ試作品のパフェが旨かった。きらきらした銀色の粒が金属のような味がして、それでいて甘くて驚いた。かかっていたオレンジ色のソースはサニーの髪の色を思わせた。アレをサニーが食べたらどんな感想を出すだろうか。


『ナニコレ? 試作品のパフェ? かっわいーですね店長! え、食べさせてくれるんですか……やったぁ! レインと一緒にいただきます!』『アラザンって言うんだよコレ。砂糖を粒にして固めて、金属でコーティングして飾りに使うの。え? 金属を飲み込んで大丈夫なのか? ……クラウディ伯爵に聞いてみよっか、たぶん大丈夫だと思うけど』『このソース、イチゴ味してる! びっくりだよレイン、食べてみて──』


 レインが思考を始めると、脳内のサニーは騒がしく、やかましく楽し気に話しかけてくる。気づけばレインは、脳内に響くサニーの言葉を愛用のノートに書き留めていた。状況が分かるようにパフェの描写、食べさせてもらった状況説明、カフェの内装に今日の天気──登場人物の台詞は括弧で閉じて、それ以外の文はそのままに──それは、誰がどう見ても、まるで小説のような形式だった。

 この世界での創作活動は認可制だ。政府に認められた作家ではない、人間ですらないニジゲンのレインが行っていいものなのだろうか──レイン自身もそう考えてしまうので、この文章を公開するつもりはない。

 一通り書き終えたレインは、ベッドの下のスペースにノートを押し込んだ。大事なものは隠すものだ──それは、孤児であり心許せる家族がいないレインの癖(なお店主いわく、レインが天涯孤独であるというのはファンが考察した結果に過ぎないらしいけど)。そして大事なものをドクターグルーミーに茶化され、実験の道具にされ、からかわれた経験から強化された経験知でもある(なお店主曰く、ドクターグルーミーの無茶ぶりというのは同人誌に都合のいい導入であるから乱用されただけで、本編ではそれほどレインに無茶ぶりを強いたわけではないらしい)。

 仕事して遊んで、帰って眠る──そんな生活の間に挟まれる、「サニーを書く」という活動。『まさか、サニーちゃんをニジゲンとして生み出したいの?』と聞いた店主にレインは首を傾げた。

「いや……違うと思う」

「え、じゃあなんで書いているの」

 聞かれてもレインは答えられなかった。

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