とおーに パティシエ
錯乱したパティシエが家でメレンゲを振り回す。
かき混ぜないと出来ないんだ。かき混ぜないと出来ないんだ。
繰り返すその声はもう涸れて独り言のよう。
彼は小さな黴が気に入らなかった。
掃除をしても掃除をしても現れる黴菌。それはある種の神だ。
だから卵白を泡立てて、それらを隠そうとした。
――隠さなければここにはいられない。
理性じゃなく、感覚的にそう考えた。
日々繰り返されるお菓子は工業生産的で、古き良き肉体労働がある。
疲れた体を癒すのはお菓子ではなく、酒と油と塩。
それでもその甘さを隠すことは出来ず、彼の鼻にはずっとその臭いがこびり付いている。宇宙をさんざめく形に耐えきれなかったから、窓ガラスを割って空を見た。
――ボウルを投げてはいけない。どうしてそんなことも分からないんだ。
――知りませんよ。勝手に飛んでいくんだ。知りませんよ。
殴り合いになった時には素手でやりあいました。
かき混ぜないと出来ないけれど、人はかき混ぜても出来ないから。
殴って、潰して、そこからまとまって抽出されたのが神だ。
パティシエはメレンゲを家じゅうに垂らして黴を隠す。ずっとカシャカシャとボウルを鳴らして、部屋に冷たい風が流れ込む。
――冷たいから、かき混ぜないといけない。
思考は行き来する。黴を隠そうとし、冷たい風にメレンゲを当てて飛ぶのを待つ。
しばらくしてから、落ちる。ただ泡だから、落ちる。
隠したところで何もできないことは知っている。知っている。
パティシエはじっくりとにらみつける。その先にはメレンゲまみれの部屋。
――もっとしっかり、細かい所なんて良いんだ。ほら!
――だからかき混ぜないといけない。そうですよね?
――違う。それじゃ、どうやってお菓子を作る。仕事を放りだすな。仕事をしろ。
これが仕事なんです。黴を隠せ、黴を隠せ、あの中毒者を隠さないと。
カシャカシャカシャカシャと泡だて器でメレンゲを作り続けた。
細かくはなく、彼の部屋から黴は消えることはない。隠しているから、彼はずっと錯乱するパティシエだった。
ずっとかき混ぜている。
それが仕事なんです。
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