58.
「嘘でしょ……?」
慣れた手つきで包丁を使ってじゃがいもの皮をむく
聞いてない。私より料理が出来るだなんて、聞いてない……!
「お上手ですねぇ。ピーラーを用意したんですが……いらなさそうですね。このままここにあるじゃがいもの皮むきをお願いします」
「はぁい」
お母さんの手伝いをする子供のように、結陽はにこにこ笑いながら皮をむく。
未だ、一度も皮が途切れていな。……見事だ。私はピーラーでしか皮むきが出来ないから、素直に尊敬する。
「
「……はっ。すみません、ボーっとしてました」
私の隣に立って教えてくれていた男の人、
じっと結陽を見ていたことはバレてしまっただろうし、恥ずかしい。穴があったら入りたいくらいだ。
「赤羽さんは普段、料理とかするの?」
「はい。毎日ご飯を作ってます」
「やっぱり! 慣れてるなぁって思ってたんですよね。今日はどうして教室に? 向こうの子も料理出来るみたいだし、不思議に思っていたのですが……」
「結陽が……あの子が行ってみたいって言ったから、です。あんなに上手に皮むきしてるけど、料理するのは初めてらしいですよ」
「え! ……まじ?」
驚き。というより、呆れ。黄川さんは肩をすくめてみせる。
「はー。この教室がオープンしてからまだ二週間くらいだけど、ここまで料理慣れてる人が来るのは初めてだよ」
「……ごめんなさい。迷惑でしたか?」
「いえいえ。俺たちももっと料理の腕、磨かないとなって身が引き締まる思いです。今日はカレーだから難しいことなんて何もないですけど……そうだなぁ、隠し味とか普段何か入れますか?」
「辛いのが苦手な人がいる時ははちみつを入れるくらい……かな。それ以外は何も」
「オッケーオッケー。ちなみに赤羽さんは辛いのと甘いの、どっちが好き?」
「どっちかって言えば甘いの、ですかね……」
今日使うルーは中辛って最初に説明を受けた。なんで今さら、好きな辛さを聞くんだろう。
「それじゃあ今日は、隠し味にチョコレートを入れてみようか」
「え? チョコレート? ……え?」
聞き慣れない材料に思わず黄川さんの顔を凝視する。カレーに牛乳とかはちみつは入れたことがあるけど、チョコレートなんて聞いたことすらない。
甘くなるんだろうか。味の想像がつかない。
「心配しなくても美味しくなりますよ! 俺が保証します」
「どんな味になるんですか?」
「ほんのり甘くて……高級感のある味?」
高級感、と聞くと気になる。普段作っているカレーは所謂、ご家庭の味だから。
いつものカレーが不味いとは言わないけど、頻度が高いと飽きてくる。たまには違う味を食べさせてあげたい。
「チョコレート……入れてみたいです」
「おお! そうこなくっちゃ! ……あ、すみません。チョコレート、用意してきますね」
黄川さんはハッとして言い直した。
さっきからずっとそうだ。敬語で話す黄川さんはなんだか少し違和感がある。
「あの、敬語使わなくても良いですよ? 私の方が年下ですし……」
「そう? じゃあ……お言葉に甘えて」
快活そうな笑顔を浮かべると、材料を取りにバックヤードへと歩いて行った。
教師役である黄川さんが不在だが、この次の工程は分かっている。玉ねぎと牛肉を炒めて……。
「ねえ」
「わっ。びっくりした……。なに?」
結陽がいつの間にか私たちの机にやってきていた。両手にはきれいに切られたじゃがいも。
「これ、切れたから。一緒の鍋に入れるんだよね?」
「うん。でも先に玉ねぎとお肉を炒めるからちょっと待ってね……」
用意されていた鍋に油を引き、牛肉を投入する。私が作る時はだいたい豚か鳥だから、少しだけ贅沢に思ってしまう。
でも、どのお肉が入ったカレーが好きかと聞かれたら……ね。
「ねえねえ、もういい?」
「ちょっと待って…………はい、良いよ。ニンジンも一緒に入れてくれる?」
ようやく訪れた出番に結陽は張り切ってボールを傾けた。大量に切られたじゃがいもとニンジンが投下されていく。
「チョコレート持ってきたよ……お、やっぱ説明なしでも余裕だね」
黄川さんは高級そうな包み紙にくるまれたチョコレートを持ってやって来た。どこにでも売っているような、銀紙に包まれたチョコレートが来ると思っていたから驚く。
普段からこんな高級そうなものを入れるんだろうか……。
「ああ、これ? そんな高級品じゃないから気にしなくて良いよ。俺が普段好んで食べてるやつだから。ちなみにホワイトチョコね」
私の不安そうな視線に気づき、黄川さんは包み紙の中を見せてくれた。
良かったらお一ついかが? なんて言って、つまみ食いさせてくれる始末だ。
ホワイトチョコを初めて見たらしい結陽は不思議そうな顔をしていたが、口に含むと幸せそうな表情に変わった。よっぽど気に入ったのかおかわりをもらっている。
「赤羽さん。この後の手順なんだけど、チョコレートはルーを入れる時に一緒に入れてね。で、その時は必ず火を止めること」
「え、ルーを入れる時って火を止めるんですか? いつも火、つけたままだ……」
「ルーにでんぷんが入ってるからね。温度が高いと溶けにくいし、ダマが出来やすくなっちゃうんだよ。だから火を止めてルーを溶かすのをお勧めしたいね、俺は」
「知らなかった……今度からそうします」
カレーを作るだけ。と思っていたが、私もまだ知らないことがたくさんあった。
隠し味にチョコレートを入れるのも、ルーを溶かす時は火を止めるのも。全然、知らなかった。
「さて、赤羽さん。他に聞きたいことはない? 実は俺、カレーが一番得意料理でさ。他の隠し味でも、忙しい時の時短方法でも。なんでも教えるよ」
黄川さんは得意げに胸を張る。初めて顔を見た時にチャラそうなんて思っていたけど、そんなことはなかった。
優しくて料理が出来るお兄さん。
今まで身近には料理が出来ない、残念なお姉さんしかいなかったから新鮮だった。
「じゃあ……他の隠し味も教えてください」
「おーよ! 俺の特製レシピを伝授するよ!」
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