52.

 とりあえず結論から言うと、開かずの部屋は開かれた。

 もう扉を開けても物が倒れてくることは無いし、余裕で部屋の中に入れる。

 ただここで結陽ゆうひたちに生活してもらうためには、もう少し掃除が必要だ。まだ透子とうこの私物も残っているし、長年使われていなかったから埃も溜まり放題だ。部屋にいるだけでくしゃみが止まらない。


「もう疲れた……残りは明日にしよう?」


 透子の鶴の一声で今日の掃除はお開きとなった。申し訳ないが今日だけは結陽たちに私の部屋で我慢してもらうことになる。


「透子。ご飯用意するから結陽たちを起こしてきてよ。もう流石に起きたほうが良くない?」

「分かったぁ……」


 のそのそと亀並みの速度で透子は立ち上がり、私の部屋へ入って行った。

 それを見届け、私は冷蔵庫を開けた。今日は何を——。





「…………」

「起こしてきたよー。結陽じゃなくて結月ゆづきだった。着替えたらこっち来るって。てあ、ごめん。春の服、勝手に貸しちゃった……って、どうしたの。固まっちゃって」


 黙り込む私を不信に思ったのか、透子は私の顔を覗き込んだ。瞬間、透子は短い悲鳴を上げた。


「…………なんで、冷蔵庫の中にビールがこんなにあるのかな?」

「い、いや……違うよ? 安かったから買い溜めしただけで、ちゃんと一日一本ってルールを守ってるよ?」

「ふうん。じゃあさっきゴミ袋に入れた空き缶の数を数えてみよっか。五日間だから五本のはずだよね?」

「…………すみませんでした」


 とうとう言い逃れが出来なくなり、透子は素直に謝った。


「……別に嫌がらせでお酒の量を減らしてるわけじゃないんだからさ。前回の健康診断で肝臓の数値が良くなかったから、こういうルールに決めたんじゃん」

「はい……心得ております……」

「ゴミ袋の中身、さっき見たよ。一日三本は飲みすぎじゃない?」

「はい……すみません……」

「なんでそんなに飲んだの? 私がいない間に……何かあった?」


 例えば、くだんの元カレとか。学校の、以前から透子に対するセクハラがひどかった教頭とか。

 コウセイジャー関係で透子が落ち込むようなことは今まで見たことない。だからきっと、私生活で何かあったんだ……。



「…………だって、春がいないから」

「私?」

「毎日ここに帰ってきても春がいない。……寂しかったよ。毎日玄関を開けたらおかえりって言ってくれるのに、五日間はそれがなくて。一人でご飯食べるのも味気なくてついつい飲んじゃった。約束破ってごめんね」

「…………」


 寂しい。それを透子が口にするとは思わなかった。大人だし、結社と戦う時は冷酷だし。そんなことを言うイメージなんて全く持ち合わせていなかった。

 ……下手したら私のことを見捨てるんじゃないかって。疑心暗鬼におちいっていたくらいだ。少しだけ、透子に申し訳なく思う。


「ご飯もさ、作れないから惣菜だったし。掃除も洗濯もしないから溜まっていくし。だんだん着る服がなくなっていくのが恐ろしかったよ」

「せめて洗濯くらいはしなよ……」


 神妙な顔でそんなことを言われても。

 透子は私と違ってたくさん服を持っているから何とかなっただろうけど、もし一週間以上、私があのアジトに囚われていたら危なかったかもしれない。主に透子の清潔感が。


「だから私は、春がいないと駄目だなーって思ったよ。たぶん、いないと生きていけない」

「それは大袈裟に言いすぎでしょ」

「そんなことないよ。……だからずっと一緒にいてよね」

「…………え?」


 ずっと、って……。私たちは……。


「ずっと。ずっと一緒にいて、ご飯作って欲しい。…………ところで、今日のご飯はなに?」

「カレーだけど……」

「やったぁー! 久々! 食べたかった!」


 子供みたいにはしゃぐ透子を見て、難しいことを考えるのは止めた。もうすぐ結月も来るし、夜ご飯の準備をしよう。


「手伝ってくれる?」

「え”。にんじんの皮むきくらいなら……」

「じゃがいもの皮むきはやってくれないの?」

「じゃがいもはちょっと難しいから結月に任せる」

「……え、私⁉」


 ちょうど扉が開き、結月がやって来た。透子から手渡された皮むきを片手に私の隣に立っている。


「透子?」

「私はここでみんなの座席を温めとくよ」

「皿洗いは透子が手伝うんだよ?」

「えっ……はい……」


 ソファーに座ってしまった透子は梃子でも動かない。これ以上、声をかけても無駄だ。


「皮むきだけで良いの?」

「じゃあ私が玉ねぎと豚肉を炒めてる間に、にんじんとじゃがいもを切っといてくれる?」

「わかったー」



 ……ああ、なんかこれ、良いな。透子がいて、結月がいて……今は眠っているけど結陽もいる。

 平和ボケ、とは言わないけど、こうやってみんなでご飯を作って、食べて。なんでもないありきたりな光景のはずなのに涙が出そうになる。

 そうか、私はこのためにずっと戦ってきたんだ……。

 結月を取り戻して、失ってしまった日常を取り戻して。なんでもない、ただ幸福な毎日を送りたかったんだ。

 もう家族は戻らない。結月の家族も戻らない。帰らぬ人となってしまったから。

 それでも私たちは生きている。私も結月も生きている。一緒の部屋でこれからも生きていく。


「春? どうしたの? ……泣いてる?」

「……なんでもないよ。さっき玉ねぎ切った時に染みたみたい。顔、洗ってくるね」


 じわりと目元を濡らす涙を隠すように、結月に背を向ける。

 でも一言だけ、どうしても言いたくて立ち止まった。


「ねえ、結月」

「なに?」

「……幸せにするからね」


 私と透子、そして結月と結陽。一緒にいればきっと楽しい。私はこの場所を守りたい。

 透子の言っていた”ずっと”はどれくらいなのか分からないけど、私も”ずっと”この場所を守りたいと思う。

 ……家族を失った時の私とは違う。今の私には力がある。結月に二度とあんな思いはさせないし、他の人にだってしてほしくない。もちろん怪人になってしまった人だって救いたい。そのために私は戦いたい……!


「馬鹿だなぁ、春は」

「え、何で……?」

「幸せってのは相手にしてもらうんじゃなくて、一緒になっていくものだよ。決してそれは、春一人が背負う責任じゃないよ。それに私……さっき夢で見たの。私も戦えるんだよね? コウセイジャーの一員なんだよね?」

「……ッ、そうだね」


 ハッとして振り向くと、結月は穏やかな表情かおをしていた。


「だから一緒に戦おう? もう誰にも、私や春のような悲しい思いをしてほしくない。私はそのために戦いたいな」

「分かったよ。これからよろしくね」


 今さら握手するのも照れくさいが、こういうのは多分、カタチが大事なんだと思う。がっしりと、強く結月の右手を握る。決してこの先、離すことがないように。

 

「なーに、私だけ除け者?」


 すっかり不貞腐れた透子がやって来た。私たちの手を不思議そうに見つめると、何かに気づいたように自分の手を重ねた。


「私も守るからね、二人のこと」

「透子のことも守るよ。私が……いや、私たちが。だから安心して隠居してなよ」

「そんなに歳とってないけど⁉」

「……ふ、ふふふ!」


 とうとう結月が笑い出した。ずっと透子に対して一歩引いていたけど、今のやり取りを見て吹っ切れたようだ。

 それを見て私も透子も、自然と頬が緩む。



 私は、この幸せを守り続けたい。四人で一緒にいられるこの幸せな時間を守りたい。

 だからもっと強くなる。今のままでは駄目だ。透子たち、それにコウセイジャーのみんなを助けられるようになりたい……!

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