25.

 扉が閉まったのが合図だった。

 ピンクに向かって一気に駆ける。

 それを見越したピンクはハンマーを低く脇構えにし、私が間合いに入る瞬間を狙う。


「ハァッ!」


 鋭く私に向かって振り上げられたハンマーを籠手こてで受け流す。なるほど、確かに痛みを感じない。強度は十分らしい。

 普段の私なら左右のどちらかに避けてそのまま拳を突き上げるように放っていただろう。それを想定していたからかピンクは少し意外そうな顔をしていた。

 その意外さで今日は戦おうと思う。

 受け流したハンマーを掴み、力強く一気に引いた。




「……えっ」


 引いて態勢を崩したところに一撃。その目論見は崩れた。何を思ったのかピンクはハンマーを投げ捨てたのだ。

 急に軽くなったハンマーごと後ろによろめく。


「そこ!」


 ピンクはその隙を見逃さない。ハンマーを投げ捨て、素手で殴りかかる。


「ぐっ……」


 まさかハンマーを投げ捨てるとは思わなくてガードが出来なかった。ジンジンと頬が痛い。

 私が怯んでいるうちにピンクはハンマーを拾い上げる。まずい——!



「…………ちゃんと、本気だして」


 ハンマーを私に向かって振り下ろす時、少し怒気どきはらんだ声でピンクは言った。

 言われなくても……!


「ああああああああ!」


 力任せにヘッドに拳をぶつけた。籠手のおかげで痛みはない。

 私の反撃を受けてピンクは不敵に笑う。


「そうこなくっちゃ!」


 ピンクは遠慮なくハンマーを振り回す。その全てを籠手で受け流した。


「ふっ」


 今度はこちらから。ハンマーが振り下ろされた瞬間、真上に飛び上がる。空振りしたハンマーの柄に着地した。

 私を払いのけようと再びハンマーを振り上げるがもう遅い。その動きを利用し、もう一度高く飛び上がった。



 高く、高く飛ぶ。

 空中で一回転し、ピンクの背後を取った。


「……ッ!」


 振り向いたピンクの目の前に拳を突き出す。

 当てはしない。これが当たっていたらお前は倒れていたぞ、と伝わるように強く拳を握りしめた。




「…………続ける?」

「私の負け……だね」



 拳とハンマーを下げ、変身を解いた。そこには負けたけど満足そうな顔をした凛華さんがいた。






「二人ともお疲れ。はい、これ」


 模擬戦に区切りがつき、透子がトレーニング場に入ってきた。両手に抱えたスポーツドリンクを手渡してくれる。


「ありがとうございます!」

「……ありがと」


 そんなに長く戦っていたわけじゃないのに額には大粒の汗が流れていた。怪人ではない相手に緊張していたみたいだ。


「春、新しい武器どうだった?」


 トレーニング場の外で様子を見ていたらしい、透子が心配そうに聞く。


「使いやすかったよ。今と戦闘スタイル変わらないし。まだ呪いの封印解いてないから分かんない部分もあるけどさ」

「呪い……?」


 事情を知らない凛華さんが眉をひそめる。


「この武器、呪われてるんだって。今は封印してあるから何にも起きないけど」

「……これは透子さんが選んだの? それとも春ちゃん?」

「私が自分で選んだけど……」


 険しい顔をしていた凛華さんだったが、諦めたように深く息を吐いた。


「封印を解かなければ何も危害はないんですね?」

「もちろん。そこは支部が保証する」

「だったら……春ちゃん、その呪いは解かないで。ううん、解かなくて良いように私たちを頼って欲しい」

「え、それは……」


 そんなの約束できない。今までより遥かに強い敵が現れたら躊躇なく解放するつもりだった。


「……今だけもいいから約束して。その呪いは解かないって。どうしてもって時は……なるべく起こらないように私たちが頑張るから」

「はぁ……分かった。でもどうしようもない時は使うから」

「分かってる。私たちがそうさせない」


 強い目で凛華さんは宣言する。透子以上に私のことを心配するから無下に出来なかった。

 その透子と言えばバレないようにこっそりと凛華さんから遠ざかろうとしている。一体何してるんだ……?



「透子さん」

「はい」

「後で話があります。いいですね?」

「はい……」


 背中にもう一つ目でも付いているのか、凛華さんは振り向かずに透子を呼び止めた。

 呼び止められた透子はばつの悪そうな、まるで悪いことをした子供のような顔をしていた。





「凛華がしばらく離してくれなさそうにないから控室で休憩でもしてて……。あと出来れば凛華にあまり遅くならないように手短にって言って欲しいんだけど……」

「自分で言いなよ」


 凛華さんに引きずられていく透子を見送り、私もトレーニング場を後にした。



 控室と言われたけどいまいち場所が分からない。こんな広い施設なら各所にマップを設置してほしいものだ。

 心の中で文句を言いながら建物の中を歩いた。

 会議室、実験場、倉庫。見慣れない部屋が続いている。控室はどこだろう。

 ひたすら真っ直ぐ歩いていると大きな吹き抜けのあるエリアに着いた。一階から五階までを見上げることが出来る大きな吹き抜け。こんなの美術館くらいでしか見たことがない。

 中心に立ち、上を見上げていると奇妙な違和感に気づいた。

 三階の手すりに黒い影が見える。さっきから全然動かない。なにか、イスでも置いてあるんだろうか。

 気になって目を凝らしていると影が動いた。

 ゆらり。

 何かに引っ張られるように横に倒れたのだ。


「……ッ」


 あれはイスなんかじゃ、ない。人だ……!


 急いで階段で駆け上がった。誰なのか分からないけどおそらく支部の人間だろう。この建物には支部の関係者しか入れないから。

 息を切らせて三階にたどり着くともう影はなかった。さっきまで私が見上げていた奇妙な影はどこへ行ってしまったんだろう。


「…………」


 背後に気配を感じる。

 一人。怪人ではなく、たぶん人間。


「…………」


 一歩。その気配は私に近づいた。


「……は?」


 振り向くとそこには顔のない、まるで影のような人間が。


「アア……」

「新手の怪人……?」


 影は私に歩み寄る。ゆっくり。両手を突き出しながら歩み寄る。


「……ちっ」


 とっさに一歩下がったが私の背後は手すり。逃げ場は最初から無かった。


「へんし——」


 意を決して変身しようとすると急に影は大きく膨れ上がり、私を包み込んだ。

 暗い、暗い何もない空間。何も見えないし、何も聞こえない、正しく無の世界。


「——! ————!」


 私の叫び声すらも飲み込む無の空間。


 叫ぶのは諦めて目を凝らして周りを見る。暗くて何も見えないけどここはさっきまでいた場所。私の背後には手すりがあったはずだ。

 確かめようと後ろに手を回したがいくら腕を伸ばしても空を切るばかり。おかしい、さっき手すりにぶつかるくらいの位置にいたはずだ。


「……はぁ……はぁ……」


 酸素が薄いのか、意識が朦朧とする。

 浅く呼吸を繰り返すが頭は回らない。


「…………」


 消えゆく意識の中で一人の人間を見た。

 真っ暗な空間の奥、光が届かない場所で確かに見た。

 あれは、一体誰だったっけ……。

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