12.

「失礼しまーす……」


 今まで一度も行ったことがない、二年三組の教室にやって来た。

 目的は一つ。桃田さんに話しかけるため。

 結局昨日は、透子と凛華りんかさんに言いくるめられる形で温泉を後にしたのだ。

 名前は教えてもらったけど顔は知らない。学校では陰キャで通っている私がどうやって探せと。

 浅く息を吐く。二人には会えなかったとでも言い訳しようかと思い始めた時に後ろから声が聞こえた。


「もしかして赤羽さん?」

「えっ、あ。そうだけど……」

「おねえから聞いてるよ。昨日銭湯で会ったんだってね」

「うん、そうなんだ。妹が同じ高校だから良かったら話しかけてみてって……」


 話しかけたのは私じゃなくて桃田さんのほうだったけど。


「もう名前、聞いてるかもだけど。桃田ももた 莉々りりです。よろしくね」

赤羽あかばね 春です。よ、よろしく……あの、この手は?」

「……お?」


 つい言われるがままに右手を桃田さんの手のひらに乗せた。


「おかわり」

「……なにこれ?」


 いや、おかわりもしちゃった私が言うことじゃないけどさ。桃田さん相当変わってるよ。


「ごめんごめん、握手のつもりで手出したのに気づかないんだもん。つい意地悪しちゃった、ごめんね?」

「はぁ……」

「赤羽さん面白いね。はい、改めて握手ね」

「……うん」


 面白いのは桃田さんでしょと思いながら素直に手を握る。


「お姉から聞いたんだけど赤羽さんって朱藤しゅとう先生の親戚だったんだね。しかも一緒に住んでるの?」

「あ、うん。そうなんだ……」


 しまった、昨日そういう事にしたっけ。透子との関係は隠し通さないと。


「……その、桃田さん。朱藤先生とのことは内緒にしてくれない? 先生と近い関係ってあまり知られたくなくて」

「分かってるよ、内緒にしとく。えこひいきって騒がれたらたまったもんじゃないしね」

「そう、だね。お願いね」


 えこひいきなんて私に言う奴がいるんだろうか。いや、私じゃなくて透子に言う奴が出てくるのか。

 それは……嫌だな。透子に迷惑がかかるのは本意じゃない。


「ね、春って呼んで良い? 私のことは莉々って呼んで良いからさ」

「うん、いいよ。莉々」

「やった、春って呼ぶね! 春は部活なにか入ってる?」

「入ってない。帰宅部だよ」

「そっか。私、文芸部なんだけど興味ない、よね……」

「ごめん、ない……」

「ううん、こちらこそごめん……」


 気まずい沈黙が場を支配する。こういう空気になるから学校じゃあまり話さないようにしてるんだけどな。

 自分の教室に帰ろうか、このまま莉々と一緒にいるか決めあぐねていたら莉々がスマホを取り出した。


「……あの、せっかくだし良かったら連絡先交換しない?」

「いいよ、ちょっと待ってね……」


 ごそごそとポケットからスマホを取り出す。電源を入れ、いつも使っているチャットアプリを開いた。


「はい、これでいい?」

「ありがとー!」


 さっそく追加したばかりの莉々からスタンプが送られてきた。クマのキャラクターの可愛らしいスタンプだ。


「……あっ」

「どうしたの?」


 私も何かスタンプを返そうとスマホを触っていると唐突に莉々の声が聞こえた。


「見て、お姉が学校に来てるって」

「えっ……ほんとだ」


 目の前に出された凛華さんとのチャットを見せてもらう。


『莉々の学校来てるよー! もうちょっとで仕事終わるから一緒に帰ろう!』


「そっかぁ、今日はここで仕事なんだお姉」

「ここって学校……凛華さんは何の仕事してるの?」

「今は工事現場で働いてるよ。今日は舗装ほそう工事で学校に来てるみたい」


 そういえば先生がホームルームで言ってたな、駐車場を工事するからしばらく立ち入り禁止だと。

 凛華さんが工事現場で働く。とても想像出来ない。だってものすごく美人だったから。

 すっと通った鼻筋にぱっちり開いた目。お風呂でつい見ちゃったけど、出るところは出て引っ込むところは引っ込んでいる、いわゆるナイスバディってやつだった。

 だから工事現場で働く姿は想像できない。


「……本当に工事現場で働いてるの?」

「ん、顔だけ見ると想像つかないよね。ちょうど今終わったみたいだし一緒に行く?」


 机の横にかかっていたリュックを背負い、莉々は私を誘う。


「……行く。せっかくだし」

「おっけ! お姉にもチャット送っとく!」


 別に予定もないし、透子も帰りが遅い。だったら私も少しくらい寄り道しても良いだろう。

 私もスマホをポケットにしまい、リュックを背負い直した。

 いつの間にか誰もいなくなった二年三組の教室を背に下駄箱へ向かった。

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