7、票決
「母さんが帰ってくるぞ」
分校隣の役場でメールを確認させてもらい、帰宅して開口一番伝えると、歓声があがった。ここ数年のテレビ映画は宇宙進出を反映してか、映画もスターウォーズや宇宙戦争等、ジャンルがSFに偏っている。今晩はE.T.をやるらしい。五十年以上前の映画だが、映像はどんなことになっているのだろうか。分かっているのか分かっていないのか、コクマロが足元に尻尾をぶんぶん降りながらじゃれついてくる。可愛らしいが真夏は暑い。
瀬戸菜が鍋から顔をあげる。
「今年は帰ってこれるんだ?」
「正月は駄目だったからな、無理かと思ったが、電力制限の関係もあるらしい。一時的に減産体制なんだとさ」
「おかあさんは、いつ? いつなの?」
同じ場所を何度も台拭きしながら香奈が叫ぶ。勝手口から次朗が顔を見せた。この前のことがあってから、少し弟とは距離がある。林史は顎を撫ぜてから、決めた。
「次朗」
「ん?」
「後でちょっと話そう」
「……うん」
夕食を終え、瀬戸菜の片づけをある程度手伝ってから香奈を寝かしつけ、勝手口から裏に出る。流し台で明日の朝食を仕込んでいる瀬戸菜が、「よく分からないけど頑張って」という目で台所の網戸越しに手を振った。
鳥一匹いない鶏舎に踏み出せば、雲ひとつない空に星屑が広がっていた。
おかしな鳴き声で叫ぶ鳥の群れを撮った動画がブームになったのは、いつの頃だったからだったろうか。
少なくとも春先には、国営放送でも特集を組まれるほどにはなっていた。
瀬戸菜の俯く横顔を、思い出す。
(他の生き物のために、性格なんかも変わっちゃうけど、でもそれに気づかないんだって)
(雄と雌が分からなくなったり、ごはんを食べすぎたりもするみたい)
明け方に鳴かなくなった雄鶏は、正常だといえるだろうか。
病み上がりの「しずかな夜明け」から一週間、鶏の世話はすべて林史が行った。テスト時期だからと理由をつけて、次朗には勉強をさせていた。
毎朝夜明け前に起きて耳を澄ませたが、あゆちゃんは明け方も夜も鳴かず、時折雌鶏によく似た仕草を見せた。瞳を覗き込むと普段と僅かに色が違い、鶏舎の壁板を思い出したようにつついては崩していた。つついては、落ち着かなさそうに空を見てはばたき、聞いたことのない声で鳴き、苛立ってまた壁をつついていた。数日して、雌鶏たちもそれに加わりだした。次の日には、少し離れた田の中で鴨たちが羽ばたき、鶏たちの鳴き声に呼応して会話のようなタイミングで似た音節で鳴き始めた。
鴨などどこにでもいる、鳴いたのは偶然かもしれない。あゆちゃんの目の色は光の錯覚だったのかもしれない。どの鶏たちも餌は普段以上によく食べよく動き、羽もきれいで糞も正常、それ以外にぱっと見変なところはなかった。獣医師を呼ぶと金がかかる。処分すべきか相談すべきか迷っているうちに、たまたま、キツネの害にあったのだ。
瀬戸菜に聞いた話のように。
鶏たちが、寄生されていたとしたら、それは「何」に寄生されていたのだろうか。
今この時、鳥たちの中で、おかしな動きをしているのは鴨と鶏だけなのだろうか。
戦時中並に手薄な地球。
白い糞がキラキラしているのは、星のかけらを食べたから――
いくらなんでも、我ながらばかなことをと首を振る。映画の見すぎだ。気のせいだ。
「兄ちゃん、話って何。忙しいんだけど」
細い灯りが漏れて、勝手口から無愛想な弟が現れる。
「もしかして、姉ちゃんと結婚したいとかいうんじゃないよな」
どこかで皿の割れる音がした。林史は頭を抱えた。
「やかましい」
溜息を押し殺して、裏木戸から水路脇の畦道へ出る。夏の夜風は柔らかで、鈴のような虫がころころ鳴いている。
林史はタンポポの鮮やかに黄色くあるはなびらを食んでみようとは思わない。昆虫記も動物記もまともには読んでいないし、人前で歌うことも苦手にしている。使える片腕を否応なしに拘束される飼い犬の散歩も、もう帰らないだろう父の部屋の掃除も、電話越しに母をなだめるのも墓掃除も、一度ならず面倒だと感じたことがある。
然れど生きるにあたり林史にとっての守るべきものは、今ここにあるすべてだった。
「いろいろ、最近考えていることを話すよ。鶏の件も含めてだ。だいぶおかしな話になるが、たまには兄貴の話も聞いてくれ。……でもまあ、その前に。お前に聞いておきたいことがある」
「うん」
「次朗、お前、進学したくないか」
人の願いも祈りも、無数の生命が等しく抱く生存欲には何らの関係もない。その欲求は、きっと地球上の生物だけに限らないのだと林史は思う。不穏な予感が気のせいに過ぎなかったとしても、いつか生存権を賭けて争う日々はやってくる。林史にできることは、未来に進むべきものに、未来を見せることだけだ。
あとは祈るしかない。
気のせいでなかったとしたら、その時は。
羽ばたくものたちの票決が、我らにとって優しい意志であることを。
END
票決 竹村いすず @isuzutkm
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