4、ななつのこ

 大沢分校からの帰り、梅雨の晴れ間が見えた畦道を、次朗と並び、香奈を肩車して歩く。香奈は学校が大好きだが、内弁慶の次朗は集団行動が苦痛らしく、下校中は不機嫌だ。可哀そうだが仕方がない。「先生」の家族が学校をさぼっていれば、「来なくていいのだ」ということになってしまう。

 香奈が肩の上で嬉しそうに歌っている。次朗はもくもくと歩いているが、いつもよりは幾分機嫌がよさそうだ。これまで雑事があるからと先に送り出していたが、たまに一緒に帰ってやるのもいいものだな、と加味壁の長男は空を仰いだ。


「かーらーすー、なぜなくのー♪ からすは、かってでしょー♪」


 中々上手だが、歌詞が違う。


「カラスは山に、だ」


 苦笑して、長くのびる影にふと、カラスの群れが連れ立ち西出山上空に飛び交っているのを見た。電線に群がっていた筈が、あっという間に黒い影を夕空に点々として舞い上がり、奇妙な声で鳴いている。春先だったか、弟の話を思い出して砂利を踏んだ。


「票決、だったか」

「んー?」


 次朗が鞄をつまらなそうに振る。


「カラスのこと? そうだよ。あいつら、全員一致で気分が盛り上がって、票決が出てから、ようやくああして帰るんだって」


 冷静なふりを装っているが、瞳が先よりも輝いている。話したことを覚えていてもらえたのは嬉しかったようだ。中学生は扱いが難しい。


「家に帰るだけで何十分も考えていたら疲れないか。帰るなら帰るでよかろうに……」

「しかも数十羽だしね。世界中の鳥でやったら、一個決めるだけでも一年くらいかかるよ」

「何決めるんだよ世界中で」


 突っ込むと、弟はわざと深刻な顔をしてから、ふっと遠い目をして笑った。


「………」


 格好良いつもりだろうが子どもっぽいんだ、その仕草は、弟よ。大人になったら分かるぞ。

 林史は居た堪れなくなって目を逸らした。過去の自分に顔が似ているため、恥ずかしさは倍率ドン更に倍だ。頭上からは可愛らしいメロディーがふんふんと夕焼け雲を追っている。


「からすは、やーまーにー、かーわいい、なーなーつの♪ こが、あるかーらーよー♪」

「コラ、あんまり動くな」


 首をふりふり、器用に歌う。片手で支えるアンバランスな肩車は、乗り手の協力がないと非常に危ない。が、何度注意されても夢中になるくらい、香奈は歌が好きだった。眼鏡がずれているがこの体勢では直せないので、林史は諦めがちに溜息をついた。

 自宅が見える。三軒手前の、里村の婆さん宅からは煮魚の匂いがした。台所の窓から目が合い、肩車のまま不器用に会釈をする。おちゃめな里村婆さんは両手をアイドルのようにひらひらと振った。


「かーらー…。お兄ちゃん、続き、なんだっけ」

「可愛い可愛いとからすはなくの」

「かわいー?」

「……そう、可愛…」


 蛙の鳴き声が折々重ねて田に満ちる。水路の先、稲荷神社の木陰は闇に沈んで蛍の光が瞬いていた。夏至を過ぎたばかりの日暮れ前に鈍い茜の光は沈み、ビニールハウスの白布から徐々に照り返しが薄れていく。夕風に吹かれて、犬を連れ。加味壁家の門の前に、瀬戸菜が出てきて手を振っていた。引きずる右足などないかのように、伸びあがって空をつかむように手を一番星の宇宙に向けて。


「兄さん、次朗、香奈ー! お疲れさま、おかえりなさーい!」

「かわいーとー?」

「可愛い、可愛いとなくんだよ」


 香奈の無邪気な問いにそっと呟き返してから、次朗の背を叩く。弟は無愛想な声で、「ただいま」と答えて口だけ笑った。



 鳥影が、茜に染まる中天に、数珠つなぎのまま西出山に吸い込まれていく。甲高い声で、なきながら。

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