第73話 裏美織の休日①
「美織、今までごめん!僕が間違っていたよ!ようやく自分の本当の気持ちに気付いたんだ!僕達もう一度付き合って、ふたりでやり直そう!」
「紅夜くん…!ようやくわかってくれたんだね!うん!私達やり直そうね!美織のぶんまで、私達幸せにならないといけないもの!」
「ああ、これから僕達は幸せになるんだ!だとすると、付き合うじゃ足りないよね…そうだ、結婚しよう!僕と一生一緒にいてよ美織!僕はもう、君のことを離したくない!」
「こ、紅夜くん…!」
紅夜くんからの熱烈なプロポーズを受けて、私は思わず感極まって、つい泣きそうになってしまった。
まさか、彼の口からこんな言葉を聞ける日が来るだなんて。
自分にとって、今日が人生最良の日だと確信した。
(ああ、本当に私、幸せだよ…)
あまりの嬉しさに、天にも昇る心地になってしまう。
そうして私達は結婚を前提に、再び付き合うことになった。
「可愛いよ美織。君がこんなに可愛くなったのに捨てるなんて、あの時の僕は本当に馬鹿だった…!殴り飛ばせるなら、ぶん殴ってやりたいよ!」
「うん、私もそれには大いに同意するけど…いいよ、気付いてくれたんだから!これからは私達、ずっと一緒にいようね!」
「ああ、勿論!愛してるよ、美織」
「私もだよ、紅夜くん!」
ああ、私はなんて幸せなんだろう。
これまで散々苦労したし、ムカつくだけの周りに囲まれた最悪の日々だったけど、それも全部報われた気がした。
これからは今までの分も全部取り返して、ふたりで幸せになるんだと、そう心から思えた。
…だけど、そんな幸せな日々も長くは続かなかった。
「こんにちは、辻村さん」
「あ、赤西さん…!」
「え、紅夜くん…?誰なの、その子…?」
幸せだった私達の前に、ひとりの女が現れた。
ちんちくりんで色気も可愛さもない、いかにも根暗そうな冴えない子。
顔もスタイルも何もかも、私の足元にも及ばないその女に、何故か紅夜くんは釘付けになっている。
当然私からすればひどく解せない光景だったが、悪夢はこれで終わらなかった。
「ごめん、美織。僕たち別れよう」
「こ、紅夜くん!?なにを言ってるの!?」
やがて紅夜くんが、私に別れを告げてきたのだ。
「君のことが好きだと思っていたけど、あれが僕の勘違いだったみたいなんだ。僕は本当の運命の人に出会ってしまったから、もう美織とは付き合えない。だから別れて欲しい。結婚の約束も、なかったことにして欲しい」
「なに言ってるのか、まるで分からないよ!?どうしてそんなこと言うの!?私達、あんなに愛し合っていたじゃない!ふたりで幸せになろうって、そういったよね!?どうしてそんなこというのか、私には分からないよ!!!」
「ごめん、本当にごめん、美織…!」
「紅夜さん、そんなにこの人に謝る必要なんてないですよ。これから捨てる女に頭を下げるなんて勿体ないです」
申し訳なさそうに頭を下げる紅夜くんだったが、彼の隣にはあの女がいた。
そいつはちっこい手で紅夜くんの手を恋人繋ぎに絡ませながら、私に薄い笑みを向けてくる。
「アンタ、アンタが私の紅夜くんを…!」
「ごめんなさい、美坂さん。彼は私を選んでくれたんです。貴方はもういらないし、捨てられたんですよ」
「なに言って…!?」
「分からないんですか?美坂さんって本当に馬鹿ですね。まぁだから別れたんでしょうけど。私は貴女のようにはなりませんよ、この人と幸せになるのは私ですから」
そう言ってクスクスと、女が嘲笑う。
訳のわからないことを語る女の目は、こちらを明らかに見下しており、私に対する優越感が滲んでいた。
(殺してやる…!)
思わず頭がカッとなり、その子供みたいな頬を引っぱたいてやろうと思ったのに、何故か身体が動かない。
「ど、どうして…!?」
「それじゃ美織、僕らはもう行くから」
「貴女はひとりでそこにいつまでもいればいいんですよ。どうせ他の人が構ってくれるでしょうし。人気者で羨ましいです」
足も動かすことができず、必死に藻掻く私を尻目に、ふたりはこちらに背を向ける。
勿論その手は繋がれたまま。いや、さっきより深く強く握り合っているような気すらする。
「ま、待って紅夜くん!」
「ごめんよ、美織。僕は君を捨ててでも、幸せになりたいんだ」
「そ、そんなの絶対許さない!私を、美織を捨てるなんて!行くっていうなら、ふたりとも殺してやる!!!」
「どうぞご自由に。どうせ動くことも出来ない貴女じゃ、無理でしょうけどね」
「お前…!」
憎かった。
私を捨てようとする紅夜くん。彼の隣に立ち、私を嘲笑う小さい女。
ふたりのどちらも憎すぎて、本気で殺してやりたかった。
「クソッ、クソッ!動け!動いてよ、なんで動かないのよぉっ!」
だけど、身体は動かない。
せめて呪おうとしても、彼らの足は止まることなく前へ前へと進んでいく。
「待ってよ、紅夜くん!私を置いていかないでよぉっ!」
手を伸ばしても届かない。
いくら叫んでも止まってくれない。
「私は、私は本当に君のことが好きなのに!なんで私を捨てようとするの!」
私はこんなに好きなのに。
こんなに貴方を愛しているのに。
こんなにも、貴方だけを求めているのに。
どうして君は、私のことを求めてくれないんだろう。
「私を好きだって言ってよ、コウくん!!!」
こんなにも私は、君のことが大好きなのに。
ひどい夢を見た。
白い天井が目に入った瞬間、全てを理解し、出てきた感想がこれである。
まだ春先だというのに、全然爽やかじゃないし、なんなら背中に汗が伝っているような気もする。
「さいっあく…」
目覚めて最初の第一声も、どこかかすれていた。
喉もカラカラで、本当になにからなにまで最悪の一言だ。
最低な気分のまま身を起こし、部屋の姿見に目を向けると、ひどく不機嫌な表情をした自分の姿が目に入った。
可愛いなんて到底言えず、むしろ御近付きになりたくない部類の今の自分を見て、思わず額に手を当ててしまう。
「あー…ほんっと…」
憂鬱な気分のまま私は、自分の髪を掻き毟った。
ガシガシと音が出そうなほどの勢い。機嫌が悪い時、たまにやってしまう癖だ。
髪に良くないと分かってはいるが、私は時たま自分の感情を自分で制御出来ない時がある。
これは私の本質に由来することなんだろうけど、こういう時下手に自分を押さえつけないようにしていた。
ストレスは溜め込まないほうがいいことは、美織で学習済だ。
むしろその結果生まれたのが私なわけだし。
そんなわけで、私は一度髪を毟るのを辞め、文字通り枕元から枕を手元まで引っ張ってくる。
「ムカつく」
そしてボスンと、枕に向けてパンチ一発。
ここ最近の、私のストレス解消法がこれである。
大いに役立ってくれているマイ枕のマクちゃん(私命名)に、今日も付き合ってもらうとしよう。
「ムカつくムカつくムカつく」
ボスン、ボスン、ボスン。
言葉を発するたびにパンチを打ち込む。
そのたびに、夢の記憶が少しづつ蘇ってくる。
「ムカつくムカつくムカつくムカつくムカつくムカつく」
ボスン、ボスン、ボスン、ボスン、ボスン、ボスン。
最初は幸せな夢だった。昨日は現実が最悪だったから、気分を変えようとアロマを炊いて眠りについた。
いい香りが部屋に満ちて、これからいい夢を見れそうだと安心して、事実その通りになった。
「最悪最悪最悪最悪最悪最悪最悪最悪最悪最悪最悪最悪最悪最悪最悪最悪最悪最悪最悪最悪」
ボスン、ボスン、ボスン、ボスン、ボスン、ボスン、ボスン、ボスン、ボスン、ボスン、ボスン、ボスン、ボスン、ボスン、ボスン、ボスン、ボスン、ボスン。
彼から結婚しようと言われて、幸せだった。
これが永遠に続けばいいと思った。
だけど、あの女が現れて、私達の幸せをぶち壊しやがった。本当に最悪で糞だった。
幸せが一気に塗り潰された。
紅夜くんもあの女の隣で、嬉しそうに笑っていた。
「ムカつくムカつくムカつくムカつくムカつくムカつくムカつくムカつくムカつくムカつくムカつくムカつく」
私がいるのに、他の女を選ぶ彼が許せなかった。
紅夜くんが大好きで、彼のことは心から愛しているけど、それでも許せない。
それは私の幸せじゃない。私以外の女が彼の隣に立つことなんて許さないし、許せない。
「許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない殺す殺す殺す殺す許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない」
あー、本当に、なんであんな夢を見ちゃったかなぁ。
夢見最悪だよもう。あー、でも、ちょっと落ち着いてきたかもしれない。
やっぱりこのストレス解消法は効果あるなぁ。これからも実践していこうそうしよう。
「あの子、絶対許さない」
そう思いながらマクちゃんを殴り続けていたのだけど、不意にボフッと空気の抜けたような音が耳に届く。
それを聞いて、私は反射的に顔をしかめた。
「あっちゃー、またやっちゃった」
どうやらまたダメにしてしまったらしい。
破けた生地の中からビーズがポロポロ顔を覗かせ、こぼれ落ちる。
これにて7代目マクちゃんはご臨終と相成った。
「このストレス解消法、効果的なんだけど、すぐにダメになるのが欠点なんだよねぇ」
殴りやすいからと、ちょっと固めのやつを選んでるのも良くないのかも。
結構破れやすいから、柔らかい素材のほうがいいのかな。
でも、やっぱり殴り心地のいいほうがいいんだよね。息抜きになるし。
「今日が休日で良かったなぁ。新しいマクちゃん買いに行こっと」
今日にでも新しいマクちゃんをお迎えしなければ。
枕を買い直すことを決め、着替えをするべく立ち上がると、既にいらなくなった役立たずのゴミをゴミ箱へと押し込む。
パジャマは汗を吸ってて気持ち悪いし、これは洗濯だなぁと思いながら、姿見の前に立つ。
今の私の顔はもうさっきみたいにひどい有様でなく、いつも通りのアイドル然としたそれになっていた。
「…ん。悪くない」
それに満足しつつ、ふと思いついたことがあって、私は勉強机へと向かう。
そして一番上の引き出しをぐいと開けると、中からあるものを取り出した。
「これも久しぶりだなぁ」
手に持った赤色のメガネケースをしばし眺めると、蓋を開けて中のメガネを取り出した。
顔の半分ほどもある大きなフレームをしたそれを手に取るのは、それこそ中学時代以来になる。
「うわ、ダサ…美織、よくこんなの付けてたなぁ。恥ずかしくなかったのかな…」
しげしげと眺めながら、素直な感想を口にする。
正直いってとてもダサいし、今の私がこれを付けて歩けるかと聞かれたら断固ノーだ。
恥ずかしくてその場に放り投げてしまうだろう。そんなレベルの代物である。
まぁ今の私はひとりなので、人目を気にする必要はない。
クソダサメガネを手に持ちながら、もう一度姿見の前に立ち、私はメガネをつけてみた。
「っ…」
そこにはかつての美織がいた―なんてことはない。
途端視界がグニャンと歪み、強烈な違和感が襲ってくる。
脳にダイレクトにダメージがきそうで、私はすぐにメガネを外した。
「もう、度が強すぎ!こんなの付けれるはずないじゃん!」
思わずプンスカ怒ってしまう。あまりにも度数が強くて、今の私にまるで合っていなかったからだ。
人格の入れ替わりが人体に及ぼす影響なんてものは知らないけど、今の私は視力が美織とは比べ物にならないほど回復しており、現在は常に裸眼で過ごしている。
それこそコンタクトレンズどころか、メガネだって必要ない。
だからずっと閉まっていたのだけど、どうやらそれはこれからも続くようだ。
「ごめんね美織。これはやっぱり、必要ないみたい」
持っていたメガネをメガネケースにしまい直すと、再び引き出しに入れ、ゆっくりと閉じていく。
「貴女のことは大切だけど、私は私のやり方でやっていくから」
だから、もう一度眠っていてね。
そう心の中で呟いて、私は完全に引き出しを押し込み、そして閉じた。
―――――――
ちょっと分けます
裏みおりんは精神的に不安定なところあって素直に地雷なやべー女です
面白いと感じてもらえましたら、星ちょっと入れてもらえたら嬉しいなーと思ったり
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