第71話

「あの時の貴方は、とても悲しそうに見えました。大切なものをなくしてしまったような、そんな顔をしていたように、私には思えたんです」


 確かに僕は、美織のことが大切だった。

 地味で人見知りで、話すことが得意じゃない幼馴染のことが、僕は好きだった。

 それだけに、変わっていく美織に耐えられなかった。

 僕だけの美織でなくなること。僕の知らない女の子になっていく美織が、僕は受け入れることが出来なかった。


「そんな貴方に、私は自分を重ねてしまいました。この人は、私なんだって。ひとりで泣くことしか出来なかった自分が目の前にいたから、私は辻村さんに声をかけたんです」


 自分と重ね合わせて、彼女は僕に同情した。

 それは、自分を慰める行為だったと彼女は言う。

 だけどその慰めに、僕は確かに救われた。


「一度きりの出会いでも、貴方のことは、頭の片隅にずっとありました。だから、こうしてまた出会い、同じ学校に通うことになったのは…月並みではありますが、運命なのかもしれないと、そう思ったんです」


 話す赤西さんの頬は、僅かに赤くなっていた。

 それを見て、心臓から送られる血液の量が、僅かに増えたような気がした。


「赤西さん…」


「でも、それは私の勘違いだったようです」


 だけどすぐにそんなことを、彼女はピシャリと言い切った。


「え…?」


「美坂美織さん。あの人も同じ学校にいたことに、私は気付けませんでした。名前を教えてもらっていたのに、あの時の彼女だと結び付けることが出来なかったのは…」


 一度言葉を区切る赤西さんだったが、それは彼女が悪いわけじゃない。

 むしろ、結び付けるなんて至難の業だろう。再会するだなんて思わないのは普通のことだ。


「クラスだって違うし、美織に気付かないのはしょうがないよ。こんな偶然まずないんだから」


 フォローしたつもりだったけど、赤西さんは納得しなかったようだ。緩慢な動きで、ゆっくりと頭を振ると、


「とにかく、あの人は先に貴方と出会っていました。元カノとのことですが…美坂さんは間違いなく、辻村さんのことを引きずっています」


「…………それは」


 わかってしまうのか。他の人にも。

 知られたくないことだし、認めたくないことだったけど、やはり美織の僕に対する執着は、あの僅かな邂逅だけでも理解出来てしまうものらしい。


「美坂さんのことは、綺麗な人だという印象が強かったです。昨日再会した美坂さんは、あの時よりさらに綺麗になっていて、背も伸びて大人っぽくなっているように見えました。自分に自信を持っているようにも…私とは、真逆ですね」


 そう自嘲する赤西さんの言葉には、色々な意味が込められていたように思う。

 美織との違い。それを正面から見据えるかのように、彼女の口元は薄く歪んでいた。そんなことはないと言っても、今の赤西さんの心にはきっと響かない。

 僕はただ押し黙り、話を聞くことしか出来なかった。


「あの人が光であるなら、私は間違いなく影でしょう。物語でもヒロインになるのは、間違いなく美坂さんです。小説ではこういう時、私はふたりの仲をかき回す、所謂引き立て役に過ぎない…それが、よく分かるんです」


 噛み締めるように呟くと、赤西さんは小柄な身体を震わせた。


「私は、逃げた人間です。他人にも興味なんてなかった。私は、私だけの世界で生きていければそれで良かった。でも、それじゃ駄目だと。変わらなければいけないと分かって、高校に向かう途中で辻村さんと再会して。そのきっかけを、私でも掴めるんじゃないかと、そう思ってしまって…!」


 彼女の声には、ところどころ嗚咽が混じっていた。

 悲痛さを感じるその声に、心が抉られそうになる。

 赤西さんは今、本音を吐露しているのだと、僕にはハッキリ伝わっていた。

 だってその心の内は、僕がずっと抱えていた悩みと全く同じで、


「三原さんみたいに、私にも話しかけてくれる人もいて、少しでも変わることが出来るんじゃないかと思ったんです。でも昨日の美坂さんの目を見て、思い出してしまって…分かってしまったんです」


 変わりたい。だけど変われない。

 そのもどかしさが、痛いほどよく分かる。

 過去が追いかけてきて、逃げられないんだって分からせられて。

 自分なんかじゃ、変わることなんて出来ないんじゃないかって、心が追い詰めれていくのだ。


「そんな簡単に、人は変われるはずがないんだって…!全部忘れて、生まれ変わってやり直して!…幸せになるなんて、無理なんだって!」


 そう分かってしまったと。彼女は最後に締めくくった。


(分かるよ、その気持ち)


 目の前に広がる景色がいくら綺麗でも、それは永遠に続くものじゃない。

 やがて離れて、元いた場所に帰らなくちゃいけないんだ。

 その先には、目をそらしていた現実が待っている。


 逃げることは、出来ない。


 彼女の叫びは、僕の叫びでもあった。

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