第70話
四月も中旬が過ぎ、ニュースで桜の話題も見なくなりつつある頃。
全国的に見れば、もう終わった話だということなんだろうけど、この街ではちょうど今が桜が咲き誇る時期だ。
そのズレは時間の流れにおいていかれつつあるこの街にとっては、ある意味合っているのかもしれない。
誰もいない遊歩道。冷たい風に乗せられて、桜の花弁がひらひらと舞い落ちる光景を、僕と赤西さんはふたり並んで見上げていた。
「わぁ…」
隣から小さく漏れた感嘆の声。
都会育ちの彼女でも、この光景にはやはり魅入られるものがあるようだ。
それは僕も同意見。綺麗なものは、やはり綺麗なのだと素直に思う。
まるで映画のワンシーンのようでもあるし、この光景を切り取り、永遠のものにしたいと、桜の写真を撮る写真家が多くいるのも頷ける話だった。
すぐに散るから桜はいいのだという人もいるけど、この儚さはどこか胸を締め付けるものがある。
ずっと見ていたい。目をそらしたらもう二度とこの光景は見ることができないんじゃないか。そんななんともいえない気持ちにさせるのが、桜という花なのではないかと、密かに僕は思っていた。
「綺麗、ですね」
「うん。やっぱり、春になると一度は見ておかないとって思うよ」
赤西さんの言葉に頷くも、心に僅かな影が差す。
こんな会話を、僕は去年もした覚えがある。
その時隣にいたのは別の女の子で、その子とはこんな約束を交わしたはずだった。
―高校生になっても、また一緒に桜を見に来ようね
長い黒髪をおさげにして、オシャレでもないメガメをかけて、どこか地味で。
でも僕は、そんな美織が好きだった。
目立たない子だったけど、だからこそ一緒にいれると思っていた。
だからこそ、僕はその言葉に頷いたのだ。
一年後どころか、半年先になにが起こるかも知らないで。
いや、知らなかったからこそ頷けたんだろう。そうでなければ、僕の性格上返事を曖昧にしていたはずだ。それくらい僕は、変わることを恐れていたのだから。
「また、か」
その約束は、きっと果たされることはないだろう。
多分もう、美織と一緒に桜を見に来ることはないはずだ。
僕が美織を受け入れない限り、永遠にその機会はないのだと、それだけは分かっているのだから。
「辻村さん?」
「…ううん、なんでもないよ。そういえば東京と比べたらこっちはどうかな?向こうは人が多いイメージあるし、人が少ない穴場を選んだつもりなんだけど」
考えていたことを誤魔化すように、僕は赤西さんに聞いていた。
人が少ないスポットは東京でもたくさんあるのだろうけど、僕の中では東京の花見といえば、上野公園あたりがパッと思い浮かぶくらい、人が多いというイメージが固定化されている。
だから参考がてらに実際住んでいた人の意見をちょっと聞きたくなったのだけど…赤西さんの反応は、少し予想外なものだった。
「…すみません。分からないです」
「え?」
「私、こういう風に誰かと桜を見ることはしたことがなくて」
どこか申し訳なさそうに話す赤西さん。
なんとなく引っかかるものを感じてしまい、僕は思わず聞いてしまった。
「家族の人と、見に行ったりはしなかったの?」
「父も母も、仕事人間でしたから。そういった行事には疎く、予定もかみ合いませんでした。休日もよく仕事に出ていたので、家族揃うことはほぼなかったんです」
それはよく聞く話しだった。
両親が共働きで家にいないことが多いのはうちも同じだけど、そこまで仕事に偏ってるわけじゃない。詮索するようなことを聞いたのは野暮だったなと、思わず自分を戒める。
「それは…ごめん。聞いちゃいけないことだったかな」
「いえ。いいんです。私にとって、むしろ有難い両親でしたから」
「え…?」
有難いとはどういうことだろう。
出てくると思っていた言葉とは真逆だ。
「私の両親は、成績だけ残していれば、後はなにも言ってこない人たちでした。塾にちゃんと通ってテストでいい成績を残せば、それで満足してくれました。干渉もされません。だから私は成績を維持することに努めたんです。そうすればなにも言われず、本の世界に浸ることが出来ましたから」
「それは…」
確かに理想的だと、思わず頷きそうになってしまう。
普通の人なら親に構ってもらえず寂しいとか悲しいという感情を抱くのかもしれないけど、僕や赤西さんのように本の世界に居場所を見出す人間にとって、不干渉とは決して悪いことじゃない。
「私は中学生の時は、ずっと学年でトップの成績でした。自慢に聞こえるかもしれませんが、抜かれたら抜かれたで別に構いませんでした。親からは一番を取れと言われたことはありませんでしたし、私としては読書に差し支えのない範囲で勉強した結果だったんです。自分の順位を確認したらそれでおしまい。下の人の名前を気にかけたことも、一度もありませんでした…私のすぐ下にいつも同じ名前があって、その人が私のことをどう思っていたのかも、気にかけたことがなかったんです」
「…………」
なんとなく、察しがついてしまった。
多分、赤西さんをいじめていた人は、いつも成績が二番の人だったのだろう。
赤西さんに勝てないことが嫉妬に繋がり、そしていじめにまで発展した。
「あの日も突然でした。いつものように席に座り、本を読んでいたところに、あの人は取り巻きをつれてやってきたんです」
桜の木を見上げたまま、彼女は続ける。
「この番組に出場できる権利を譲るから出ろと言われました。断ることは、できませんでした。あの頃の私には友達と呼べる人がほぼおらず、本が世界の全てでした。私は私の世界に閉じこもっていた結果、気付けば孤立していたんです」
「赤西さん…」
「まぁ、馬鹿だったんです、私。自分は誰も傷つけていないと思っていました。私のことなんて、誰も気にもとめていないと思っていたんです。でも、そうじゃなかった。私のことを見ている人はちゃんといて、その人が私のことをどう思っているのか、そのことに気付くことがなかった。言ってみればこれは、それだけの話しだったんですよ」
ひらひらと舞い降りる花びらを、彼女は小さな手のひらで受け止めようとして―だけど花弁は、風に揺られて逃げていく。
「辻村さん。いじめはよく、いじめるほうが一方的に悪いと言われていますよね。または、両方に悪いところがあったとも。被害者にはなるべく悪い点がなかったことにしたがるところが、ああいった報道にはよくあることだと思います」
「…うん。そうだね」
「私は、私にも悪い点があったことは間違いと思ってます。そのうえで、どちらの意見も嫌いです。正確には、他人の事情に訳知り顔で首を突っ込んでくる意見が、私は好きじゃないんです。答えは自分がどう受け止めたのか。その中にしかないと思っています」
それは、とても難しい話だった。
いじめの問題はよくニュースでとりただされるけど、いつも答えは出てこない。
スタジオに座るコメンテーターが、実際の現場にもいかず、大人の意見だけを耳にしてその場で結論付けるのが恒例だ。
悪いことじゃないんだろう。それで溜飲が下がる人もいる。
でも、当事者にとっては…他人に好き勝手言われて、勝手に結論を押し付けられるのは、気分がよくないのは間違いない。
「私の出した答えは、逃げることでした。周囲の視線、誹謗中傷。そういったものに耐えることができず、外を歩くのもままならなくなった私は、中学の三学期にはこちらにある祖父母の家に預けられることになったんです」
「…………」
「こちらでの生活は、向こうよりずっと気が楽でした。知り合いがいないというのが良かったのでしょう。多少回復できた頃、そのまま祖父母の勧めもあって、私はこちらの高校を受験することに決めたんです。両親は残念がってはいましたが、私のワガママを認めてくれました…そういう意味でも、私にとってはいい両親だったんですよ」
言葉が上手く出なかった。
赤西さんは淡々と語っているが、きっとたくさん苦しんだはずだ。
逃げることを選んだのだって、間違いなんかじゃないけど、それでも傷ついた結果なのは確かなんだ。
「そして一度両親と話し合うために、東京に戻ろうと駅に向かっている時―辻村さん、私は貴方と出会ったんです」
だって、赤西さんの目は、とても寂しそうに見えたから。
―――――――
「まだイチャイチャしてんのかアイツら…」
今回の話終わったら閑話で裏美織の休日挟もうと思います。
多分毒舌全開です。
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