第68話
「後悔、ですか」
僕の質問を受け、赤西さんは僅かに俯いた。
その表情から彼女の考えてることは察しがついたが、それでも僕は言葉を続けた。
「うん。テレビに出たことを、赤西さんは後悔してるのか、気になったんだ」
なにせいじめを受けるきっかけになった出来事だ。
していない、なんてことはないだろう。
ただ、彼女の口から直接聞いてみたかったのだ。
赤西さんはしばし視線を泳がせていたが、やがて覚悟を決めたのか、ゆっくりと口を開いた。
「していない、と言ったら、嘘になるんでしょうね」
「…断言はしないんだ」
少し意外だった。
赤西さんをいじめた人たちはここにはいない。
気を遣う必要なんてないと思うけど、彼女は言葉を濁していた。
まるで自分にも悪いところがあったとでも言うかのように。
それは事実だったようで、彼女は再びカップに口を付けると、小さく苦笑しながら話を続けた。
「決定的になったのはテレビへの出演でしたが、それはあくまで最後のひと押しですから」
「前から、目をつけられていたってこと?」
そう聞くと、赤西さんはコクリと頷く。
「私はこの通り、本の虫ですから。人と待ち合わせしているのに、続きが気になり本を読むことを優先してしまうような女です。元から人付き合いは上手ではなく、友人と呼べる人もほぼいなかったんです。他人とズレていると言ったほうがいいかもしれませんね。空気を読むのも苦手で、間が悪い人間でもありました。だから、材料が揃っていたところに火がついた。それだけなんです」
「それは…でも赤西さんは途中で読むのを辞めたじゃないか。気を遣わせてしまったなって思ったくらいなんだけど。学校でも話しかけられたらちゃんと会話してるし、空気を読めない人だとは思えないよ」
咄嗟にフォローするも、彼女は納得しなかったようだ。
否定するように首を横に振り、次の瞬間には、暗い表情を浮かべていた。
「前はもっとひどかったんですよ。休み時間のたびに、本の世界に閉じこもっている状態でした。私には本があるから、それでいいと思っていたんです。人に気を遣うことなんて、以前はほとんどなかったんです。今は表面上は取り繕っていますが、いつも怯えている。そういう弱い人間なんですよ」
「…意外だな。赤西さんって、最初に会ったときから優しい人だって印象があるから、そんな風には思えないんだけど」
「あの頃は、このままではいけないと学習した後だったので…それに私、逃げたんですよ。あの時は学校に行くのも怖くなって、外を歩くのもままならない状態でした。祖父母の家に預けられたことで、ほんの少しだけ余裕が出来た状態だったんです…たくさん泣いた後でした。もしかしたら貴方に、自分の姿を重ねていたのかもしれませんね」
身勝手な話ですけどと、彼女は続けた。
だけど、それは違う。気付けば、僕は赤西さんの目を真っ直ぐに見つめていた。
「そんなことはないよ」
そして彼女の言葉を否定する。
だって、僕は救われたんだ。
目の前の小さな女の子に話を聞いてもらい、僕は覚悟を決めることができた。
それが僕を慰めるつもりじゃなく、自分自身を慰めたかったのだとしても、赤西さんに助けてもらったのは事実だから。
「赤西さんに、僕は助けられた。身勝手なんかじゃない。僕はあの時のことを、本当に感謝しているんだ。だから、また会えたのは嬉しかった。お礼をずっと言いたかったんだ」
逃げたことが間違いだったなんて、言って欲しくない。
いいじゃないか、逃げたって。いじめなんて一方的な暴力だ。
立ち向かわず逃げたからって、誰がそれを責められるっていうんだ。
それらを全て口に出して、僕は赤西さんを擁護していた。
頭ではこんなことをここで言っても意味がないと、さっき考えていたばかりだというのに、言わずにはいられなかったのだ。
これはきっと、理屈じゃないんだろう。頭での考えではなく、感情が、彼女にそんな顔をして欲しくないと叫んでいたんだ。
「…だから、逃げたことは間違いなんかじゃないよ。少なくとも、僕はそう思ってる」
最後にそう締め、僕は彼女の言葉をじっと待った。
納得して貰えるかは分からない。だけど、僕を救ってくれた彼女のことを、僕も救いたいと、そう思ってしまった。
「…ありがとうございます、辻村さん」
たっぷり一分は待っただろうか。
赤西さんはようやく声に出し、僕にお礼の言葉を述べてくる。
「赤西さん、あの…」
「お客様、お待たせしました。ご注文の品をお持ちしました」
声をかけようとしたタイミングに被さるように、店員さんがやってきた。
間が悪いなと思いつつ、それを受け取ると、去っていく店員さんの背中をしばし見つめ、再び赤西さんへと視線を戻す。
彼女も僕と同じことを思ったのか、苦笑いしていた。
「…タイミング悪かったね」
「そうかもしれませんね。でも、ある意味ではちょうど良かったかもしれません」
「え?」
どういうことだろう。
僕が聞き返す前に、彼女は続けた。
「それを飲んだら、一度外に出ませんか?少し、外を歩きたくなりました」
そう呟き、窓の外に目を向ける赤西さん。
そこでは、街に遅れてやってきた春の風物詩が、ふわりと風に舞っていた。
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