第67話
赤西さんの話を聞き終わり、僕はつい押し黙ってしまった。
なんとか口を開こうとしても、うまく言葉が出てこない。
「それ、は…」
なにか言うべきだったのは間違いなかった。
黙っていてはいけないのは分かってる。
赤西さんだって、僕の言葉を待っているに違いない。
だけど、僕は二の句を継ぐことができずにいた。
僕はいじめの経験自体はないけど、慰めとか同情とか。そういう類の発言は、してはいけないと思ったのだ。
なんとなくだけど、彼女はそれを望んでいない気がした。
僕が同じ立場だったとしたら、されても嬉しくないからというのもある。
じゃあなんと話しかければいいのか。それが問題だった。
敢えて冗談を言って場を明るくする?それは無理だ。空気が読めて無さ過ぎる。幻滅される可能性のほうが遥かに高いだろう。
同級生の連中をひどいと罵る?それもダメだ。分かったフウな口を聞いても、それは僕が気持ちよくなるだけで、赤西さんの気持ちが晴れることはないだろう。
彼女が望んでるのは、きっと共感じゃあない。でも、ならどう言えば…頭の中がグルグルとうずまき、思考の迷宮にハマりかけた、その時だった。
唐突に、赤西さんが頭を下げてこう言った。
「…すみません、話が逸れてしまいましたね。答えにくいことを言ってしまい、申し訳ないです」
違うと、そう言いたかった。
赤西さんは悪くないと、そう言えばいい。
だけど、言えなかった。
むしろ先に彼女が話を切り上げる形を取ってくれたことに、安堵する気持ちさえ湧いてた。
そんな自分が、とても情けなかった。
ここで踏み込まないと、きっと二度と赤西さんはこの話をしてくれないというのに。
彼女はきっと、このことを僕に話すか迷ったはずだ。
昨日は一晩の間、きっと悩んだはずなんだ。
自分からいじめを受けていたなんてこと、口に出すのはすごく勇気のいることだってくらい、僕にだって分かる。
新しい土地に来て、やり直したいと、そう思ってるに違いない。
僕だって、ほんとは美織と離れてやり直したかったんだ。
でも出来なかった。過去は追いかけてきて、美織は僕から離れようとしない。
だから忘れることができない。頭の中にはいつだって、美織のことを考えてしまうい自分がいる。近くにいるから意識して、忘れたくても忘れられない。
でも、赤西さんは違う。
赤西さんは過去を振り切り、ここにいる。
東京から離れ、自分の過去を知る人間がいない場所にいる。
だから話す必要なんてなかった。後は記憶に蓋をして、時間が癒してくれるのを待つだけで良かったはずだ。
だっていうのに、彼女は自分の過去を自ら告げてきた。
それは多分、
(僕のためでも、あるんだよな…)
あの日、僕が泣いている姿を見て、彼女は慰めてくれた。
一度会ったとはいえ、会話もしていない美織のことを覚えていたくらいだ。
彼女はあの時僕がなんで泣いてしまったのか、既に察しているのかもしれない。
そうだ、赤西さんは僕のために、きっと踏み込んできてくれたのだ。
それを、僕は裏切ろうとしている。かける言葉が見つからないと言い訳して、自分は踏むこもうとせず、関わり合うことを避けようとしているのだ。
そう、言い訳だった。
僕は人と繋がりを持とうと考えていると言いながら、深く付き合うようなことになる事態を避けようとしている。
それは美織の時に生まれたトラウマが、無意識にそうさせているのかもしれない。
深く相手のことを知ってしまえば、すれ違いが起きた時取り返しがつかなくなることを、僕は身を持って知ってしまった。
あれを繰り返すのが、僕は怖かった。
相手を傷つけ、自分も傷付くのが、僕は怖いのだ。
踏み込まなければ傷つかずに済むと、心のどこかでそう思っている自分がいた。
美織との別れで傷ついた自分を守るために、そんな言い訳を考えてしまう自分が生まれていたんだろう。
それは結局のところ、僕という人間の弱さにほかならなかった。
―じゃあ、そのことに気付いたなら、僕はそんな弱さを抱えたまま、ずっと内に篭もり続けるんだろうか。
それは、嫌だ。
僕は自分を変えたい。
弱くたって、変えようと思ったって、いいはずだ。
ただほんの少しだけ、足を前に踏み出せばいい。
それくらいのちっぽけな勇気は、僕だって持っているはずだ。
目をそらすことはいつだって出来る。
でもこうして踏み込んできてくれた人に歩み寄る機会は、もう二度とないかもしれないんだ。
その気持ちを裏切るのは、駄目だ。
こういう時に逃げるのは、弱いとか以前に間違っている。
「…赤西さんは」
僅かに開いた口から、声が漏れる。
自分の意思で出したはずの声は、なんとも頼りないもので、
「後悔、してるの?」
とても弱々しい、だけど確かな一歩を、僕は彼女に向かって踏み出した。
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