第64話
「ふぅ…」
2分か3分か、そこまで時間は経たなかったと思う。
赤西さんの荒れていた呼吸が徐々に落ち着き始め、彼女は一度大きく息を吐いた。
体の震えもほぼ収まりかけているように見える。
「…落ち着いた?」
「はい…すみません、急に変なところをお見せてしまって…」
タイミングを見計らい、赤西さんに声をかけると、今度こそ返事が返ってきたが、何故か謝られてしまった。
「いや、全然いいよ。というか、僕のほうが謝らないといけないんだし。本当にごめん。僕が強引に手を掴んだりしたから…」
「いえ、そのことは気にしてるわけではないんです。ただ、その…」
だから僕はすぐに否定し、頭を下げたのだが、赤西さんの表情は未だ暗い。
お世辞というよりは、本当に気にしているところは別にあると言いたげに、彼女は言葉を濁している。聞くべきか迷ったけど、僕は彼女に尋ねてみることにした。
「えっと、それじゃあなにが…」
さっきまでの赤西さんの反応は、明らかに異常だった。
目に見えて様子がおかしかったし、地雷を踏んでしまったのは間違いない。
手を掴んでしまったことがそれに当たらないというのなら、他の心当たりは美織と抱き合っていたところを見られたことくらいだけど、あの時の彼女は僕らに声をかけようとしていた。
だから違うのかもしれないし、判断材料には欠ける。
なんなのか察することが出来るほど、僕は鋭い人間でもないため、こうして口に出して聞いてみないことにはハッキリしないのは事実なのだ。
僕の質問に赤西さんは少しだけ目を伏せた後、おずおずと口を開くと、小さく呟くようにこう言った。
「…目が、怖かったんです」
「え?」
僕は一瞬キョトンとしてしまった。
質問に答えてくれた赤西さんだったが、彼女が言った言葉の意味が、イマイチ飲み込めなかった。
そんな僕の戸惑いを察したのか、赤西さんは言葉を続けた。
「あの人、美坂美織さん…なんですよね?あの人の私を見る目が、すごく怖かったんです。私のことをハッキリと、『敵』だと思っている…そういう目を、していました」
「美織が…?」
言われて思い出す。美織は何故か、赤西さんに見せつけるように、僕の腕を取ろうとした。
僕はそれを振り払い、赤西さんのところに向かったけど、その時美織に背を向けていたから、どんな表情をしていたのか分からない。
でも、赤西さんは確かに怯えた様子を見せていたように思う。
つまり、そういうことなんだろうか。美織に睨まれたことで、赤西さんは怯えてしまったと。
確かに赤西さんは体格も小柄だし、性格的にも争いごとには無縁のタイプに見えるから、威圧され、敵意を向けられたことで青ざめてしまったのも、無理はないのかもしれない。
「はい…あの目を向けられるのは、久しぶりでした。ですから、思い出してしまって…体が、震えてしまったんです。情けない話ですけど…」
自分の中で納得しかけていたのだが、そう自嘲するように話す赤西さんに、僕は違和感を覚えた。
(久しぶり…?)
どういうことだろう。
思い出したとも言っているけど、これまで敵意を向けられた経験が、彼女にはあるということなのか?
聞いていいことなのか迷う僕に、彼女は続けた。
「…もう一度聞かせてもらいたいのですが、あの人は美坂美織さん、なんですよね?辻村さんと付き合っていたという、元カノの…」
元カノと言われてドキリとするも、僕は頷いた。
これまでにも話題に出てたし、彼女は僕が美織と付き合っていたことをとっくに知っている。
実際に美織の顔を見たのは、おそらく初めてだろうけど、否定したところで意味もないことだ。
ましてあんな光景を目撃された以上、下手に誤魔化したところで無意味だろうし。
そう自分を納得させて、僕は美織とのことを、彼女に話すことにした。
「……うん、そうだよ。僕と美織は、中学の頃付き合っていたことがあるんだ。もう別れているのは確かだけど、今日はたまたま絡まれちゃって。僕はもう、付き合い直すとかそういう気持ちはないんだけどさ」
「そう、ですか。あの人が…」
赤西さんは少し考え込んでいるようだった。
顔は未だ青くて、頬も白いままだ。まだ体調が戻りきっていないのだろう。
保健室で休んだほうがいいんじゃないだろうか。そう思い、口を開きかけるも、その前に彼女は声に出してこう言った。
「私、あの人と以前会ったことがあるかもしれません」
「え…?」
言われて、一瞬頭の中が真っ白になる。
赤西さんと美織に接点があったなんて、思わなかったからだ。
「会ったと言っても、話したことはないんです。ただ、確かに見覚えはあります。雰囲気は少し、違っていたような気がしますが」
「え、でも赤西さんは東京から来たんだよね。美織はずっとこっちに住んでるし、東京に行くことなんてあまりなかったはずなんだけど」
反論するみたいな形になってしまったが、美織は僕同様、ずっと岩手に住んでいる。
新幹線でも三時間近くかかるし、お金だってかかるから、あまり行く機会はないはずだ。
「それは…」
言いかけた赤西さんの体が、ふらりとぐらついた。
危ないと思って咄嗟に体を支えようと動くも、その前に彼女が踏みとどまる。
やっぱりまだ、体調は良くないらしい。外の風はまだ冷たく、ここに連れてきたのは失敗だった。
「ごめん。中庭まで連れてきたのは良くなかった。保健室に行こう?先生には言っておくから、午後の授業は休んだほうがいいよ」
「…すみません。そうさせて頂こうと思います。まだちょっと、駄目みたいです」
僕は吹き抜ける冷風から彼女を守るように横に並び、足並みを合わせて歩き出す。
横に立つと、赤西さんは頭半個分は背丈に差があり、やはり彼女が小柄であることをいやがおうにも認識する。
「本当に、今日はごめんね」
「何度も謝らなくてもいいですよ。それより辻村さん。明日はお暇ですか?」
「え、暇だけど」
明日は土曜日で、学校は休みになる。
特に予定もなく、そう返す僕を赤西さんは横目で見て、こう続けた。
なら、明日会いませんか?と。今日の続きを話しましょうと、そう言った。
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