第63話
「赤西さん、本当にごめん!」
人気の少ない学校の中庭。
そこで僕は、赤西さんに向かって頭を下げていた。
「巻き込むつもりはなかったんだ。美織も、なんであんなことをしたのか分からないけど、あの子と僕はもう関係なくて、とにかく赤西さんが思っているような関係ではないっていうか…その、とにかく違うんだよ」
勢いそのままに、思いつくまま言葉を並べていたが、我ながら要領を得ない内容だった。
これで信じて貰えるのかは分からない。だけど、実際僕には美織がなんであんな行動を取ったか分からないし、関係だって絶ったつもりでいるのは確かなのだ。
さっきの休み時間の件もあるし、実はヨリを戻していたとか未だ付き合っている恋人同士みたいに思われても困る。
高校では美織と距離を取りたいという気持ちは変わっていない。これは間違いなく僕の本心だ。
だから、もし赤西さんが誤解しているようなら、その誤解を解きたいと思っただけど、
「それと、勝手に手を握っちゃってごめんなさい!さっきは焦ってたから、強引になっちゃって…」
「………………」
反応が、ない。
下げていた頭をふと上げる。
謝ることに夢中になってしまっていたが、さっきから赤西さんがなにも言葉を口にしていないことに気付いたからだ。
まだ知り合って間もないけど、彼女が人の謝罪になにも返答をしない人ではないことくらいは理解しているつもりだった。
人を無視するようなタイプでもないだろう。そうであるなら、あの時僕を助けてくれるはずがないのだから。
「…赤西さん?」
だから気になって、赤西さんの顔をつい見てしまったのだが、
「っ……ぁ……」
「赤西、さん?」
彼女は、震えていた。
顔を青ざめ、自分の小さな体を抱きしめるように、小刻みに体を震わせていた。
まるで、なにかに怯えているかのように。なにかから身を守るように、彼女は両手で自分の腕を抱いていた。
「え、あ…」
その姿を見て、僕は思わず一歩後ずさってしまう。
咄嗟に距離を取ろうと、体が動いてしまったのだ。いいやつだったり気の利く男だったら、あるいは体を震わせる彼女に対し、一歩踏み出し、彼女の肩に手でもかけ、「大丈夫?」と気を遣い、安心させるような行動のひとつも取れるのかもしれないが、ここにいるのは辻村紅夜という人間だ。
そんな器用なこと、出来るはずもない。
むしろ下がったことで、その機会は永遠に失われてしまった。
なんで下がったのか。
彼女が震えているのを見たからだ。
震えているのを見て、なんで下がる。
彼女が震えている原因は、間違いなく僕にあるからだ。
じゃあなんで謝らない。
さっき謝ったのに、なんの反応もなかったじゃないか。だから…
そんな言い訳じみた考えが、グルグルと頭に浮かんでは消えていく。
彼女がいつから震えていたのかは分からない。
無我夢中でここまできて、掴んでいた手を離して、そして頭を下げ、こうして今、彼女の顔を見上げるまで、僕は彼女の様子を気にかけなかった。
覚えているのは、彼女の手が美織より小さかったというくらいで、柔らかいとか震えているとか、そんなことすら頭に浮かんでこなかったのだ。
(僕は、本当になんで…)
いつも余裕がないんだろう。
自分のことだけでいつもいっぱいいっぱいで、周りを気にかける余裕がない。
さっき後ずさったのだってそう。僕が原因で赤西さんが震えていると思ったから、少しでも安心させようと距離を取ったと、そう自分に言い訳しようとした。
本当は、違う。
僕は、僕が赤西さんを傷付けるようなことをしたんじゃないかと、そのことだけを恐れて下がったんだ。
自分を守るために、後ずさった。彼女のためでなく、僕は僕を守るために、彼女を距離を取ろうとした。
「ごめん…僕が、強引に連れてきたから…」
この謝罪も、本当のところどんな気持ちで口にしているのか、自分だってわかっちゃいなかった。
謝るつもりでいるのか、自分は悪くないと言って欲しいのか、あるいは両方か。
咄嗟に取った些細な行動。だけど、体は嘘を付かない。
自分がどういう人間なのかを、嫌がおうにも教えてくれる。
―ほら、やっぱりお前は、自分が一番大事なんだよ、と
罪悪感と嫌悪感が、ジワジワと足元から迫ってくる。
美織の時もそうだった。あの時、僕は多くの生徒に囲まれている美織を見て逃げ出した。
あの時から、僕は結局なにも変わっちゃいないんだ。
逃げ出していないのは、目の前の彼女がなにも口にしないからだ。
僕の目を見つめて、なにかを言おうとしたなら、きっと僕は即座にこの場から逃げ出したことだろう。僕はそういう人間だ。
そんな自分が嫌だった。変えたいと思ってる。
これは嘘じゃない、間違いなく本心なのに、体はいつだって僕を裏切る。
心は強くなりたいのに、お前は結局こういうやつだと伝えてきて、僕の足を掴むんだ。
自分自身に囚われたら、逃げ出せるはずもない。
蟻地獄。逃げ出せない。底の底まで落ちていくような、そんな感覚に襲われる。
「…ちが、うんです」
か細い声が耳を叩いたのは、思考の蔓に絡め取られようとしていたときだった。
「辻村さんは、悪くないです。ただ、私、私は…」
赤西さんの声は震えていた。とても小さかった。今にも消えてしまいそうなほど、ひどく儚い声だった。
人によっては、庇護欲を掻き立てられるのかもしれない。
ただ、この時の僕が感じたのは、そんな上位の存在が自分の足でまともに歩けない弱者に向けるような欲求じゃあなかった。
もっとずっと近い、所謂シンパシーのようなものだ。
それは多分、僕がさっきまで考えていたことに近い。
―彼女は、今立ち上がろうとしている
傍から見ればただ震えているだけなのだろうけど、彼女は目には見えない、とても重いなにかに必死に耐えて、それでもなんとか立ち上がろうとしているように、僕には見えた。
「ふぅ、は、ぁ」
息を整えることもままならず、顔色は悪いまま。
目に見えてコンディションは悪化しており、保健室に連れて行ったほうがいいのは明白だ。
だけど、僕はそうしなかった。
それは彼女の邪魔になると思ったのだ。
これは間違いなく自分への言い訳ではないと断言できた。
だって、彼女を見る僕の手は、いつの間にかギュッと握り締められていたのだから。
「…頑張って」
気付けばそんな言葉が口に出ていた。
頑張ってなんて、無責任な言葉、あまり使うことはなかったのに。
何故かそう言わずにはいられなかった。
「は、い…は、ぁ…ふ、ぅ…」
傍から見れば、ひどく滑稽なやり取りだったんだろうけど、それでも僕は彼女の震えが止まるまで、そばにいようと決めた。
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