第61話

 美織の言葉に、僕は戸惑いを隠せなかった。


「復讐って、なにを…」


 復讐なんて、日常ではまず聞かない単語だ。

 小説やドラマ、漫画などのフィクションの世界では見かけはするけど、現実で使われることはまずないだろう。

 それだけ強い意味を秘めてるし、そこまで強い恨みを人に持つことが、実際にあるんだろうか。

 ましてや、あの美織が…いや、今ここにいるのは、僕の知っている美織じゃないんだけど…それでも、どうにも信じがたかった。

 そんな僕の気持ちを見透かしたのか、美織は一度目を閉じ、ため息を吐いた。


「まぁ、復讐なんていうと大げさかもね。個人的なケジメみたいなものだし。でも、これくらい大仰な言い方したほうが、必ずやり遂げるって気持ちになるかなーって、ね…許せないのは、本当だから」


 最後の呟きは、ひどく小さいものだったけど、それでも確かに響いてくるなにかがあった。

 多分、美織の本心なんだろう。木嶋に復讐したいという彼女の気持ちは本当で、だとすれば、僕はどう答えるべきなんだろう。


「言っておくけど、紅夜くんはなにもしなくていいよ。これは私の問題で、私だけでやり遂げるって決めてるから。そうじゃないといけないんだよ、これだけはね」


「美織…」


「それにどうせなにも出来ないし。初めから手助けとか期待してないし。言ったところで君はどうにもしないって知ってるから、こうして話してるわけだしね。そういうとこ、君ほんと使えないんだもん。参っちゃうよね」


「…………」


 その言い方は、傷付く…。

 事実だけど。なにもするつもりもないし、きっとしないけど。

 だけど、面と向かってハッキリと使えないやつだと言われるのは、それはそれとして傷付く…。

 あまりにもストレートな物言いに、ちょっと涙目になる僕だった。


「ぷっ…あはは!なんて顔してるの紅夜くん!今すっごいしょぼくれた顔してたよ!捨てられた子犬みたいな感じ!なっさけなーい!」


 そんな僕の顔を見て、美織は腹を抱えて笑っていた。

 ほんとにこの子は、僕のことを好きなんだろうか。

 やたら辛辣というか、遠慮というものがまるでない。

 性格と意地の悪さを思い切り浮き彫りにしている。

 前の美織とは大違いだ。彼女はもっと、僕に対して遠慮があったというのに。


「ふぅ、はぁ…あー、笑った笑った!いやぁ、ありがとう紅夜くん!なんか溜まってたものが色々スッキリしたよ。やっぱり君って最高だね!」


「…………そりゃどうも」


 こんなお礼のされ方、これっぽちも嬉しくない。

 完全に馬鹿にされてる気がして、思わずため息をつきたくなった。

 一方美織は完全に光を取り戻した目でこちらを見ながら、なにやらうんうん頷いている。


「話しかけにきて良かったよ。うん、やっぱり君のことが欲しいって、改めてよくわかった。それを再確認出来ただけでも収穫だね。色々やる気が出てきたよ、頑張るぞ、おー!」


「もう勝手にやってくれ…」


 ひとりで盛り上がってる美織にうんざりしながら、廊下を歩き出そうとした、その時だった。


 カツン


「ん?」


 カツン、カツンと、リノリウムを叩く硬質な音が聞こえてくる。

 どうやら誰かがこっちに下りてくるようだ。

 僕と美織以外の人気がない場所ではあったが、それなりの時間を僕らは話し合っている。

 なら、誰かがここを通ろうとしてもおかしな話じゃないだろう。

 なんせここは学校だから、利用している生徒たちが大勢いるわけだし。

 よく考えなくても、当たり前の話だ。それなら、急いでこの場を離れるべきだろう。

 入学以来話題になりつつある美織と一緒にいる姿を見られて、噂になんてなったらたまったもんじゃない。

 変な誤解を生みかねない行為は、可能な限り避けるべきだ。


「美織、僕はもう行くから」


 そう告げて、僕は美織と距離を取るべく、さっさと歩き出そうとしたのだが―――


「…………」


「あ、うわっ!」


 何故か無言で僕の制服の袖を掴んだ美織に、すぐ近くまで引っ張られた。

 それにより、僅かな香りが僕の鼻をくすぐった。その匂いには覚えがあった。

 中学の頃、付き合ってた当時、肩を寄せ合って一緒に小説を読んでいた時に嗅いだことのある、あの匂いだ。


(シャンプー、変えてないんだな)


 そんな、もう遠い昔の記憶が引きずり出されて、僕は一瞬泣きそうになってしまう。


「ちょっと美織、なにを―――」


 それを誤魔化すように、僕は声を張り上げていた。

 直後に、しまったと思った。

 上から見たら、下手すれば抱き合っているなんて思われるほどの至近距離。

 その状態で、美織の名前を呼んでしまった。あまりにも迂闊で、明らかなミス。


 カツン


 その音は一際大きく鳴り響き、その音の主が、もうすぐ近くまできてることを示していて―――





「―――――あ」


 そうして、僕ら三人は、初めて顔を見合わせた。

 階段の上から、僕らを見るのは、少し小柄な黒髪の女の子。


 クラスメイトで、恩人で、少しだけ話すようになってきた、同じ趣味を持った、かつてのあの子に似た女の子。


 赤西、憂歌。


「赤西、さん…」


 彼女の名前を呼ぶ声が、なんで震えていたのか、自分でもよくわからない。


「――――」


 そして、そんな僕を見る美織が、どんな目をしていたのか、僕は気付かなかった。


「あ……」


 僅かに目を見開いて僕らを見る彼女は、いったいなにを思うのだろうか。



 僕と美織と、赤西憂歌。


 僕ら三人が出会ったことで、なにかが確かに、動き出そうとしていた。

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