第54話
高校の入学式から二週間が過ぎた。
赤西さんとの予期せぬ再会から始まり、変わってしまった美織との最悪の邂逅で終わった入学初日は、あまりにも起伏が激しすぎて、まさに波乱万丈という言葉が相応しかったと思う。
全てを忘れたくて布団にくるまってみるも、まどろみに落ちた先で見るのはかつての悪夢。
僕を見る美織の冷たい眼差しから逃れるように飛び起きて、額に浮かんだ冷や汗を拭った時の嫌な感触は、当分忘れることができそうにない。
そんなことを何度も繰り返した結果、ろくに眠ることが出来ないまま翌日の朝を迎えたけど、気分も体調も最悪の一言。
だけど入学早々休むわけにもいかず、疲れた体を引きずるように学校に登校したのわけだけど、その時の僕の顔はさぞかしひどいものだったんだろう。
あからさまに不機嫌そうな男子に、話しかけてくる人はいなかった。
前日のことがあったせいか、三原は気まずそうにチラチラこっちを見てくるだけに留まってたし、赤西さんは赤西さんで休み時間のたびに他の女子に話しかけられて、対応に戸惑っているようだった。
当然ながら、自分から話しかけるなんて出来るはずもないし、そもそも立ち上がる気力すらない。
そんなわけで周りの喧騒を他人事のように感じながら、その日は一日中机に突っ伏してしまい、気付いたら放課後を迎えていたというわけだ。
……さて、長々と語ってきたわけだけど、ここまできたら多分薄々察してくれていると思う。
入学したての時期は、皆が浮き足立ちながらも友人を作ろうと躍起になる、とても貴重で重要なタイミングだ。
普段話すのが得意でなくても、最初はなんとかグループに入ろうと頑張る人が多いんじゃないだろうか。
まぁ当然といえば当然だ。好き好んで孤立を選ぶ人は少数だろう。
三年間ずっとひとりでいいと考えるには、学校行事の存在が邪魔をする。
ひとりだとなにかと厄介なことを押し付けられることもあるし、友達を作ることは、自己防衛にも繋がるわけだ。
学校は社会の縮図と言われることもあるけれど、それだけコミュニティを形成することは大事なことなんだと僕は思う。
真っ当な人は、皆そうしているのだから。
そう、真っ当なら。
つまりそれすらできない人間は、爪弾き者というわけだ。
なら、僕がどちらに属する人間かというと…これこそ、語るまでもないことだろうな。
結論から語ると、僕はミスった。
スタートダッシュで、盛大にずっこけてしまったのである。
貴重な期間に動けず動かず。無為に過ごしてしまったわけだ。
要は自業自得。自分で蒔いた種だ。誰を責めることもできるはずがない。
誰だってひとりだけ取り残されたくないに決まってる。
失敗というものは理不尽で、遅れを取り戻すのは、ひどく難しい。
入学して二週間ともなれば、クラス内で気の合う人間が自然とわかるようになり、ある程度グループがまとまりつつあった。
男子だけのグループ。女子だけのグループ。
男女混合のリア充グループなど、特色こそあれ共通しているのは普段彼らだけで休み時間を一緒に過ごす姿をよく見かけるということだろう。
一度できたグループは、コミュニティをより深めようと、内輪で固まる傾向があるのだと、どこかで聞いたことがある。
それは言い方を変えれば、他の人間に対して排他的になるということ。
踏み込むには、よほどのコミュ力か話しかける勇気と度胸が必要だろう。
そのどちらも持ち合わせていない僕にとって、友人作りは極めてハードルが高いものだった…のだけれど。
「おい辻村、なにボーッとしてんだよ」
思考の渦に囚われかけていた時、呼びかけてくる声があることに気付き、ふと顔を上げると、目の前に座るひとりの男子の姿が飛び込んでくる。
「あ、ごめん。えと、何の話だっけ?」
「はぁ…お前、人の話はちゃんと聞けよ。とりま、箸止まってんぞ」
「あ、ああ。そうだね。ありがと」
指摘されて慌てて箸を動かし、口の中におかずを放り込んでいく。
そんな僕に、友人―少なくともこっちはそう思ってる―
「辻村ってよく考え事してるよな。なんか悩みでもあるわけ?」
「え、と…」
ない、なんて言えない。むしろありすぎる。
だけど、口にするには自分にとっては重すぎる内容で、まだ知り合って間もない間柄の相手に簡単に相談できるものでもない。
話したところで、気が軽くなるとも思えないし、解決するわけでもないだろう。
「…ま、言いたくないならいいけどさ。変に湿っぽくなるのは勘弁だし。それよりちょっと聞いてくれよ。俺、最近新しいゲーム買ったんだけどさぁ。そしたら面倒くさいことになったんだよ」
戸惑う僕の気持ちを察してくれたのか、戸塚は話題を変えてくれる。
「へぇ、どんな?」
「いやな?ゲーム自体は楽しみにしてたからいいんだけど、姉ちゃんと妹がうっさくてさぁ。そんなのに熱中してんなってうるさいんだよ。やんなっちまうぜ」
僕と同じく、どこにでもいそうな平凡な容姿。
だけどどこか軽そうな雰囲気をした彼は、うんざりしたようにため息をつく。
「ふぅん。なんか大変なんだね」
「なんか他人事だな…辻村は兄弟いないのかよ」
「そうだね。僕は一人っ子だから、戸塚の話はちょっとピンとこないかな。そんなふうにうるさく言ってくる人は…うん、いなかった」
少し言葉に詰まりながらも、一応頷く。
「羨ましい…俺もひとりが良かったわ。男兄弟ならともかく、姉妹なんてろくなもんじゃないぜ。骨折中は風呂入る時までついてきて、ほんとしんどかったんだからな…」
そう言って遠くを見る戸塚。
こちらとしては、その骨折で助かった部分もあるから、一概になんとも言えないところがあるため、苦笑いするしかない。
「あはは…大変だったんだね…」
「勉強遅れたらいけないとかで、結局ゲームも取り上げられてさ。姉ちゃんと妹合わせて、こないだまで勉強会してたしな。たかが一週間入学遅れただけで、なんであんなことしなきゃいけなかったのか、今でも謎だぜ…」
再度大きなため息をつく戸塚。
普通に他人に話しかけられるこの友人が、今こうして昼休みの教室で僕とふたり顔を突き合わせて食事を取ってるのは、先ほど彼自身が述べた通り、入学の遅れ―すなわち、スタートダッシュが遅れたからだった。
なんでも入学前に事故にあったそうで、足を折る怪我をしてしまい、治るのが遅れたのが原因だそうだ。
ちょうど後ろの席がポッカリ空いてたことが不思議ではあったのだが、そういう事情があったのなら仕方ないと思う。
だけど、入学したばかりの新入生にとって、その一週間は致命的なタイムロスだ。
彼が学校に来た頃にはある程度グループが出来始めたタイミングだったこともあり、輪に入りにくい雰囲気もあったのだろう。
たまたま誰とも話すことなく一人でいた僕に、これまたたまたま後ろの席だった戸塚が話しかけてきたのは、必然だったのかもしれない。
あとは流れでなんとなく休み時間は一緒に過ごすようになり、今に至るというわけだ。
「でもそのおかげで、スムーズに授業についてこれるようになったんじゃない?」
「まぁそうだけどよ…素直に感謝はしたくないんだよな。今でも帰ったら一緒にいること強要されるし、なんなら迎えにまでくるんだぜ…どんだけ過保護なんだって話だろ」
「…確かにそれは嫌かもなぁ」
戸塚の愚痴に苦笑いしながらも、僕は相槌を打った。
それは以前の自分からすれば、想像できない姿かもしれない。
閉じた世界を好んでいたのに、知り合ったばかりの相手の話し相手になる―それは僕が最も嫌っていた、他人と関わりを持つことにほかならないのだから。
「だろ!?そうだよな!?高校生になったんだから、もっと自由にさせてもらっていいはずなんだよ!!」
そんな僕の心情を知らず、お調子者の気のある友人は気をよくして身を乗り出してくる。
急に顔が迫ってくるものだから、思わずのけぞり回避した。
「うわ、顔近いって!あと声も大きいし!」
「彼女も作りたいんだよ俺!そうすれば、姉ちゃん達も距離を置いてくれると思うんだ。あと単純に、デートとか超してみたい!」
戸塚はなにやら興奮しているらしく、鼻息が荒かった。
そんながっついているんじゃ、モテはしないんじゃないかなぁと思うものの、下手に指摘するのもなんか怖い。
「えと、どうだろう。お姉さん達のことよく知らないからあれだけど、引いてくれるのかなぁ」
「大丈夫だって。身内の幸せ願わないやつがどこにいるよ。さすがに空気は読んでくれるはずだ!」
そう力説する戸塚。
根拠はどこにもないはずなのに、妙に自信たっぷりである。
それがなんだか、ひどく羨ましく思えた。
(幸せ、ね…)
願わない人がいることを、僕は知っている。
そういう存在がいることを知らないこと自体、きっと幸せなことなんだろう。
いや、そもそもの話、自分が願われない人間であることを知ってしまっているほうがおかしいのか。
「そうだね、きっとそうだと思うよ」
「だろ!?」
こうして話し相手ができたことで、僕という人間の歪さがつくづくわかる。
戸塚は真っ直ぐ生きてきた人で、自分は間違った道に迷い込んでしまった愚か者であることを突きつけられているような気分だ。
(それでも…)
幸せにはなれなくても。なれるはずがなくても。
(全部が全部、美織の願い通りになるのは……僕は……)
「だからさ、辻村!俺と一緒に彼女作ろうぜ!」
芽生え始めた微かな感情。
それをかき消すかのように威勢良く両肩にかけられた手に、僕の体は硬直した。
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