第51話

「なんでそんなに、僕に…」


 執着なんてするんだよ。

 そう言えたなら、あるいは答えが聞けたのかもしれない。

 だけど、問いかける間もなく、美織は次の行動に移る。


「それとね、まだあるんだ。というより、本命はこっちかな。君に見てもらいたかったものがあるの」


 僕から離れて距離を取ると、道の真ん中に立つ美織。

 突飛な行動の連続に思考が追いつかず、なにがしたいのか、見当がつかない。


「ほら、私を見ていて。目を逸らさないでね」


 そういうと、美織はくるりと身を翻した。

 正面から背中越しへの半回転。

 ふわりとスカートが風に浮き、それに合わせて髪も靡く。

 烏の濡羽を思わせる黒髪が、春の宙へと弧線を描いた。


「あ…」


 それは不意打ちだった。

 傍から見れば、その場でただ一回転しているだけ。

 ほんの一瞬の悪ふざけのようなもので、多くの人は気にも止めない行為だろう。

 ただ、その踊り手は違う。

 学園のアイドルとも言われた、特別な存在。

 彼女の舞は、僕の目を捉えて離さない。

 同時に、ふと頭の中に、いつか交わした会話が思い浮かんだ。


 ―――あそこの制服、可愛いから着てみたかったんだ


 そうだ、どこに進学するかの話し合いをしたとき、美織はそんなことを言ってたっけ。

 似合わないかもしれないけど、なんて、恥ずかしそうにはにかんでたことも思い出す。

 それは忘れかけていた思い出話。

 幼馴染であり、恋人でもあった女の子との些細な会話のひとつ。

 今となっては、遠い過去になってしまった記憶だ。


「く、ぅ…」


 だけど、思い出した途端、重なってしまう。

 乖離しかけていたイメージが、今の美織に塗りつぶされる。

 高校生になった美織は、少し大人びて見えて―彼女の着たがっていた制服が、とても似合っているように僕は見えた。


(ちく、しょう…)


 でも、なんでだろう。

 似合っているはずなのに、それがなんだかとても悔しくて。悲しくて。

 美織はそこにいるというのに、何もかも忘れて泣きたくなった。




「どうかな、紅夜くん。私の制服姿は?なかなか様になっていると思わない?…って、ふふっ。その顔を見たら、感想は聞くまでもないか。喜んでくれたみたいでなによりだよ」


 美織はそんな僕の隙を見逃さなかった。

 目ざとく僕の変化を読み取ると、楽しそうに笑みを作る。

 してやったりといった表情で、思い通りに事が運んだことが心底嬉しいとでも言いたげだ。


「待っていた甲斐があったよ。でも、ほんとは朝に見せるつもりだったんだよ。一番最初に見て欲しかったのは君なんだもの。だから一緒に登校しようと思って家に行ったんだけど、もう先に行っちゃったって言われて困っちゃった。おばさんも、なんだか申し訳なさそうにしてたしね」


 それが悔しかった。

 弄ばれてるんだと、わかってしまうから。

 だから、もう。


「紅夜くんが私達に別れたこと、おばさんになんて説明したのかは知らないけど、またあの子と良くして欲しいなんて言われたよ。お互い両親のほうが未練たっぷりなんて、皮肉な話しだよねぇ。子供のこと、なんにもわかってないくせに。私の変化にも、見て見ぬふりしてるんだよ。明るくなったのはいいことなんて言ってね。やっぱり、私のことをちゃんと見てくれるのは君だけだって、改めてわかっちゃう瞬間だったなぁ。それでね、これからは毎朝…」



「なんでだよ…」


 限界だった。


「ん?」


「なんで、こんな!僕を困らせるようなことをするんだよ!僕はちゃんと、嫌だって言ったじゃないか!関わらないで欲しいって!それで、今まで距離だってお互いに置いてた!三学期の時は関わりも、見向きもしてこなかったのに!それで良かったに!なのに、なんで今さら、こんな!」


 心を手玉に取られてるが、嫌がおうにもわかる。

 かき乱される。あの時みたいに、ぐっちゃぐちゃになっていく。

 そんな僕を見て、美織もあの時みたいに、クスリと笑った。


「そんなの、決まってるじゃない。好きだからだよ」


「は…?」


 なに、言って…


「紅夜くんが好きだから、してるの。だって、こうすれば君は苦しむでしょ。困るでしょ?」


 カツンという音が聞こえる。

 ローファーとアスファルトがぶつかる音だ。

 僕は動いていない。


「私を、忘れることなんてできないでしょ」


 カツカツと音が聞こえる。

 歩いている音だ。

 僕は動けない。蛇に睨まれた蛙みたいに止まってる。


「私は君のことを誰よりもよく知ってる。すぐ卑屈になること。すぐ悪い方向に考えてしまうこと。すぐネガティブになること。楽しいことより、苦しいことで頭が一杯になってしまうこと」


 目が離せない。

 なら、と。短い一言と同時に、音が止まった。

 

「こうすれば、君は私のことしか考えられない。苦しめば苦しむほど、私で紅夜くんは一杯になる。もがくほど沈んでく。傷付けば傷付くだけ、私は傷跡として君の心に刻まれていく」


目の前に、彼女は立つ。

顔が近づき、通り過ぎる。


「それがわかってるからこうするの。忘れることなんてできない。忘れさせてなんてあげない。忘れることは許さない。ずぅっとずぅっと。君の中に、美坂美織はいてあげる」


 耳に、生温い息が吹き掛かる。

ぞわりと、肌が泡立った。


「それを繰り返せばーまた私が、私だけが。君の特別になれるってことだよね―コウくん」


 顔は見えない。

 だけど、その声のトーンは―何故かズレて聞こえなかった。

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