第39話
四月上旬。
中学校を卒業し、新たに迎える高校入学式の朝。
学校へと向かう道のりは、桜並木の中とはいかなかった。
「まだ三分咲きってあたりかな」
歩きながら頭上を見上げてみるのだが、ほとんどの桜はかろうじて蕾が開き始めたくらいで、満開には程遠い有様だ。
テレビでは東京の桜は今が見所なんて言ってたけど、東北は寒いせいか、関東より咲くのが遅く、岩手の春先は毎年こんなものである。
入学式には間に合わず、ゴールデンウィーク前には散ってしまう。
その中途半端さが風情がないとも言えるけど、見慣れた光景に文句を言っても仕方ない。
「見慣れた、か」
ふと視線を落とすと、真新しい黒のブレザーが視界に映る。
これから三年間僕が通うことになる、私立翔成高校の制服だ。
袖が余り気味なのは、これからまだ背が伸びるだろうからと、大きめのサイズを注文した両親の、あまり有難いとも思えない心遣いによるものだが、制服に着られているようでなんだか少し気恥ずかしい。
誰も僕に注目なんてしないだろうけど、他人の目が気になってしまうのはやはり性分なんだろう。
「これはきっと、ずっと変わらないんだろうな」
昔から僕は、目立つのが好きじゃなかった。
きっとこれからもそうなんだと思う。
注目を浴びることは苦痛だし、話しかけられたところで話題の引き出しなんてない。
どうせすぐにつまらないやつだと思われて、やがて僕から離れてく。
それは嫌だった。自分をますます嫌いになって、自己嫌悪で死にたくなる。
失望されるくらいなら、最初から期待されないほうがずっとマシだ。
「こんな考え、きっと少数派なんだろうけどさ」
高校に着いたら同い年の新入生の生徒が掲示板の前でひしめいていることだろう。
その中には高校デビューを目論んで、中学の頃とは違う自分を演出しようとする人もいるはずだ。
彼らは必死に新たな自分を作り出し、人から好かれようと努力する。
自分を変えようとするその姿勢は素直に尊敬するし、凄いと思う。
だけど、それは辛くないんだろうか。
本来の自分ではない己を作り出し、偽りの性格と以前の自分とのギャップを感じて、疲れたりはしないんだろうか。
そこまでして、彼らはなにを得たいんだろう。
僕にはきっと、理解できる日は来ないと思う。
相容れないとまではいかなくても、目には見えない意識の差というやつが、理解するのを拒んでいた。
「それに…」
どれだけ努力しようとも、きっと彼らは上にいけない。
少なくとも、高校デビューで目立つことは難しいだろうという確信が、僕の中にはある。
なにせあの高校に入学する生徒の中に、別格とも言える輝きを放つ女の子がいることを、僕は知っているのだから。
「…………」
彼女のことを思い出し、身体がブルリと震えた。
同時に、恐怖ともいえる感情が、腹の底から湧き上がる。
あの時のことが、僕のなかでトラウマになっているのかもしれない。
……いや、事実そうなんだろう。
僕が振った元彼女―――美坂美織との別れは、あれから三ヶ月以上経っているのに僕の脳裏にしっかりと焼きついていた。
(美織、か…)
彼女も僕同様、翔成高校への進学を決めていた。
つまり、これからも同じ学校に通う同級生というわけだ。
元々一緒に入学しようと約束していたから、不思議じゃないといえばそれまでだけど、美織の学力ならもう少し上のランクも目指せたはず。
だというのに、当然のように翔成一本に絞り合格したのだと、わざわざ家にきてまで美織のおばさんが話していたが、それが僕には当てつけのようにしか思えなかった。
当然ながら、美織と別れたことは互いの両親も既に知っているけれど、それが彼らにはえらく不満らしい。
特に美織の母親は僕らに仲直りして欲しいらしく、顔を合わせるたびに美織の話題を振られるのだが、そのたびに僕は笑ってごまかしていた。
あの日以来、僕らはまともに話していない。
同じ教室にいても、目を合わせることも避けていた。
彼女の話題に関しても意図的に避けるようにしてたから、あの後士道とどうなったかもわからない。
彼から何度か話しかけられもしたけれど、それも避けた。
僕は最後の中学生生活を、逃げ続けて終わらせたのだ。
いい思い出なんてひとつもない、最悪の終わり方だった。
美織がどういう行動を取っているのかは僕は知らないし、知りたいとも思わない。
僕はもう、美織に関わりたいとも思わなかった。
今はあの子は美織であって美織ではない、全く別の誰かなのだから。
だというのに―――
「なんでああなっちゃったんだろうな…」
あれで最後だと思っていたから、なにもかも吐き出したというのに、その結果はどうだ。
逃げ出すことも叶わず、これからも僕は美織に怯え続けないといけない。
逃がさないと、美織は言った。
その言葉通り、僕は逃げることが出来なかった。
少なくともこれからの高校三年間、美織と全く関わらないで過ごすことか、きっとできないんだと思う。
いつまで続くんだろう。
振りほどくことはできるんだろうか。
僕はいつか、幸せになることが許されるんだろうか―――
「許さない」
―――私を捨てて、幸せになろうだなんて、そんなの絶対許さない
あの言葉が、まだ頭から離れない。
「僕は…」
その時、ザァッと風が強く吹いた。
桜の木も風に煽られ強く揺れ、僅かに咲いていた桜の花弁がこぼれ落ちる。
ひらひらと舞い散るそれに思わず目を奪われていると、僕はふとあることに気付く。
「…………あ」
道の先に、ひとりの女の子が立っている。
黒のブレザーを纏った、少し背の低いその子は、揺らぐ桜の木をただじっと見つめていた。
既視感。
そういえばいいんだろうか。
僕には見覚えが有る。
どこかで、僕は彼女のことを―――
「…………?」
立ち尽くす僕に気付いたのか、視線の先にいる女の子がこちらを向いた。
「あ、その……」
「こちらの桜は、まだ咲いていないんですね」
言いよどむ僕に、その子は話しかけてくる。
「あ、うん。咲くの遅いんだ」
「そうですか。なら、少し楽しみができました」
戸惑う僕をよそに、その子は少し嬉しそうに微笑む。
「楽しみ?」
「二回、桜が咲くのを見れますから。そんな人、なかなかいないんじゃないでしょうか」
「それは…そうかも」
なんで僕はこんな会話をさも普通にしているんだろう。
人と関わり合いたくないと、そう思っていたはずなのに。
そんな疑問が湧き上がるより先に、
「―――もう、大丈夫ですか?」
「え…」
「もう泣かなくても、大丈夫になりましたか?」
その子は僕に問いかけてくる。
そして僕は思い出した。
「君、は…」
「いつぞやは、どうも。新幹線、間に合いました」
ニッコリと、彼女は小さく微笑む。
「その制服、同じ学校のようですね。知り合い、といえるかは分かりませんが。知っている方と出会えたことを、素直に嬉しく思います」
「あの時の…」
「はい…そういえば、あの時は名前を伝えていませんでしたね」
ぺこりと小さく頭を下げ、彼女は言う。
「改めて自己紹介を。私は
これが僕、
「なんというお名前なのですか?」
いや、再会だった。
「…………………………………」
「ふぅん」
誰、その子。
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