第31話

 なんでとかどうしてとか。


 そんな疑問が湧いてくるより先に、僕を襲ったのは空虚だった。


 頭が一気に真っ白になり、なにかも考えることができなくなる。


 体を動かすこともままならず、ただふたりに視線が釘付けになってしまう。




「…………」




 嫌でもわかってしまった。


 美織の隣を歩いているのが、クラスメイトの士道であること。


 美織が決して無理矢理に士道と並んでいるわけはないこと。


 そしてふたりの間にはなにかしらの信頼関係があることに、僕は気づいてしまったのだ。




 いつからなんだろうか。


 教室で話している姿は、僕が覚えている限りではそこまで見かけなかったはず。


 だとすれば、ここ最近で急激に仲良くなった?


 十分に有り得る話だ。なにせ僕はここ数週間、美織に関わろうとしていなかった。


 連絡すら取っていなかったんだ。僕が知らない間にふたりが仲を深めていたとしても、なんら不思議なことではないだろう。




 そうだ。


 美織は僕と話していない間も、アイドルとして振舞っていた。


 僕と付き合っていた時からは考えられない変化。


 二週間前、美織から逃げ出したあの瞬間に見切りを付けられていたって、なにもおかしな話じゃない。




「はは…」




 士道はイケメンだ。それに優秀でもある。


 元サッカー部のエースで生徒会長。


 おまけに性格もいいときたもんだ。ろくに友人もいない陰キャの僕を気にかけてくれたのも士道だった。




 対して僕はどうだ。


 イケメンでもないし、性格だって良くもない。


 彼女の変化についていけず、自分を変えようともしない。


 おまけにふたりに詰め寄ってどういうことだと問い詰めようなんて欠片も思えないような、どうしようもないヘタレ野郎。






 はは、なんだ。


 最初から勝負にもなっていないじゃないか。


 そりゃ美織だって、士道といたほうが楽しいに決まってる。


 まして、僕は美織と別れようと考えていたんだ。


 それならうまいこと、収まるところに収まったってやつなんじゃないか?




 そうだよ、そうに決まってる。


 ああ、良かった。これで口実もできたじゃないか。


 美織とこれで上手く別れることができるだろう。


 美織のそばに士道がいるなら、きっともう大丈夫。


 なにもできない僕なんかより、彼のほうがよほど大事に美織を守ってくれるに違いない。




 そうだ。もういいんだ。


 別れよう。別れて、美織を自由にしてあげよう。


 そのほうが美織のためになる。


 いや、もうとっくに美織の眼中には、僕なんていないんじゃないのか―――?








「あの、大丈夫ですか?」




 深く思考していたからだろうか。


 その声に反応するのに、僕は遅れてしまった。




「え、あ…」




「動き、止まっていたものですから。なにかありましたか?」




 その子は心配そうに、僕の顔を覗き込んでくる。


 髪の隙間から見えた瞳がとても綺麗で、僕は一瞬息を飲んだ。




「なんでもないよ。ごめん、すぐに拾うから」




「待ってください」




 慌てて本を拾おうとするも、何故か止められてしまう。


 どうしたのと聞くより先に、僕の頬に柔らかいなにかが押し当てられた。




「なんでもないということはないと思います。だって…」




「貴方は今、泣いているじゃないですか」




 ……泣いている?僕が?


 そんなはずない。だって、僕は嬉しいんだよ。


 美織と別れる理由ができたんだ。僕じゃもう、美織といることはできないんだよ。


 彼女を守ってあげることも、そばにいてあげることもできないやつが、彼氏を名乗っていいはずがないんだ。


 だからこれでいい。悲しくなんてない。


 僕は、僕は…




「なんでも、ないんだ…ちょっと目にゴミが入っただけで…」




「初対面の私がこういうのも変な話ですが」




 すぅっと彼女の手が動く。


 押し当てられたハンカチが、僕の目元をゆっくりと拭っていく。




「泣きたい時は、素直に泣いていいと思います。そのほうが楽になれますから」




「っつ…!」




 かけられた優しい言葉。それが皮切りだった。


 途端、目から次々に涙が溢れてくる。


 止まらなくなってしまう。




「ご、ごめ…こんな…」




「大丈夫です。大丈夫ですよ」




 本当に、僕はなにをやってるんだろう。


 初めて会った子の前でいきなり泣き出して。なにをやってるんだろう。




「く、う…」




 とことん自分が情けなくなる。本当に、本当にどうしようもない。


 嬉しかったんだ。優しい言葉をかけられるなんて、本当に久しぶりだったから。


 こんなことで喜んでしまうくらい、僕は追い詰められていたんだろうか。




「泣いたらすっきりしますから。後のことは泣き終わってから考えればいいんです」




 本当に、彼女の言葉は優しかった。


 なにも知らないこの子の慰めの言葉が、僕の中に水のように染み込んでいく。




「立ち止まってもいいし、逃げたっていいんですよ。辛いことに立ち向かう必要なんて、ないんですから」




 それはまるで魔法のように、僕に勇気をくれる言葉だった。




「いいのかな…」




「いいんですよ、それで。私だって…」




 その先のことは、彼女は話さなかった。


 後はただ無言の時間が僅かに流れ、新幹線の時刻が迫った彼女が離れたとこにより、僕らは自然と別れていた。




 名前は聞かなかった。


 聞くタイミングがなかったし、なんとなくそれでいいと思ったんだ。


 いつかまた会えるような、そんな気がした。


 そのときは改めてお礼を言いたいと思ってる。




 泣いて泣いて泣き続けて。


 それでも確かな決意を、僕はもらったから。






















 翌日の月曜日。


 僕は美織を呼び出した。


 放課後の空き教室で、全てを終わらせるために。

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