第28話

 早足で向かう学校は、なんだかひどく遠く思えた。


 身体がふらついて上手く歩けないというのもあるけれど、それでもなんだかいつもより足取りが妙に重い気がする。




 もしかしたら、私は怖いのかもしれない。


 昨日の今日だ。コウくんに会うことに怖気づいてしまってる自分がいても、それは不思議なことじゃないとは思う。




(それでも…)




 私はコウくんに、今の私の姿を見せないといけないんだ。


 髪は三つ編みじゃなくストレートではあるけれど、私はまだ前の私にもなれるんだよって、ちゃんとアピールしないといけない。




 そうすることで、コウくんだって少しは安心してくれるかもしれない。


 ううん。




(してくれる、はずだ)




 そう自分に言い聞かせて、足を早めようとしたのだけど―――






「あれぇ、美織ちゃんじゃない?」




 私を呼ぶ声が、後ろから聞こえてきた。




「木嶋、さん…」




「今日は遅いんだねぇ。いつもよりちょっと遅いんじゃないのぉ?」




 木嶋佐江。


 今一番会いたくなかった人が、気だるけに話しかけてくる。




「ちょっと寝坊しちゃったから…」




「ふぅん。それで今日はメガネってわけ?」




 目ざとい。


 私の変化に彼女はすぐに気付いたらしい。


 固まる私につかつかと足取りを早め、近づいてきた。




「う、うん。そうなんだ」




「そっか、そっか。美織ちゃんって真面目だと思ってたけど、まぁそういう時もあるよねぇ。私も朝弱いからわかるよ」




 笑顔を浮かべながら、私の前でピタリと止まる木嶋さん。


 彼女につけている香水の匂いが、微かに鼻についた。




「木嶋さんもそうなんだ。なら…」




「でもさぁ。メガネって、男ウケあんまよくないんだよねぇ」




 そう言いながら、彼女は私の顔へと手を伸ばしてきた。




「あ…」




「真面目な子が好きって男子もそりゃいるけどさ。大抵のやつはメガネない子のほうが好きなんだよ。ほら、メガネかけてるアイドルなんていないじゃん?」




 そのままメガネを外されてしまう。


 視力の悪い私はこうされるともうダメだ。


 輪郭がぼやけて見えてしまい、世界があやふやになってしまう。




「あ、あの、メガネ…」




「それはプロデュースしてる側としては良くないよねぇ。やっぱりアイドルなら見栄えは良くなくっちゃ」




 呼びかけても、彼女は無視した。


 聞こえているはずなのに、私の話なんて聞いてない。


 彼女の手のひらで、私のメガネがクルクルと弄ばれている。




「コンタクト」




「え?」




「コンタクト。持ってきてるよね?」




 今度は強い口調だった。


 ないなんて言わせない。


 言外にそう告げてくる彼女の圧力に、私は逆らうことができなかった。




「う、うん。一応、念の為にカバンに入れてるのあるけど…」




「ならいいや。教室にくる前にトイレあたりでつけてきてよ。遅れるようなら先生には上手く言って誤魔化しとくから。まぁ遅刻扱いにはならないでしょ」




 素直に持ってきていることを白状すると、木嶋さんはつまらさそうにそんなことを言ってきた。


 いつもどおりの姿で教室に来いと、つまりはそう言いたいのだろう。


 木嶋さんによる、一方的な要求だ。




「え、でも私…」




 私からすれば、それを飲むわけにはいかなかった。


 だって、コウくんと約束したんだもの。


 明日はメガネをかけてくるんだって。そう約束したんだ。




 だから、彼女の要求を跳ね除けよう。


 そして、できるならもう、今までの自分に戻りたいって、そう言おう。




「あ、あの!私!」




 そう決意して、木嶋さんに逆らおうとしたのだけど、








「―――なに?アンタ、文句あんの?」






 強い口調で私を睨む彼女を前に、私の小さな決意はあっさりと霧散した。




「え、あ…」




「あー、もしかして勘違いしちゃった?ちょっと可愛くなったからって、逆らっちゃおうとか、調子に乗っちゃったってやつ?」




 さっきまでの猫なで声とはまるで違う、嘲るような声だった。


 からかうような空気じゃない、私のことを本気で下に見ている。


 そういう態度だった。豹変した彼女を前に、私の思考は完全に停止してしまう。




「そん、な…」




「あのさ、こっちはいつでもアンタ潰せんの。だけど地味だったアンタが見栄えよくなったら、男ウケめちゃくちゃいいじゃん。だから持ち上げてやってるわけ。三原みたいな単純バカとは違って、こっちはちゃんと頭使ってグループ作ってんのよ。アンタだって頭いいんだから、それくらいはわかってると思ってたんだけどなぁ」




 そう言って、木嶋さんは鼻で笑った。


 同じグループの友人でさえ、彼女は見下し平気で暴言を吐いている。


 そこにいるのは私のこれまでの友人関係からは考えられない、全く別の人種だった。


 きっと彼女は他人に危害を加えることに、良心が痛むなんてことはないんだろう。


 それがハッキリとわかってしまう。同時に、彼女の刃が私の喉元に突き立てられていることも、否応なしに理解できてしまったんだ。




「だからさぁ。言うこと聞きなよ。そっちのほうが利巧だって、アンタならわかるよね?」




 頷かないと潰すよ?


 そう囁く彼女を前に、私は絶望しながらゆっくりと頷いた。




 逆らうなんて選択肢は、どこにもなかった。














「なんでこうなっちゃうの…」




 放課後。


 ひとりフラフラと、私は校舎の中を彷徨っていた。




 結局木嶋さんに言われた通りにコンタクトに付け直して教室に戻った私を迎えたのは、いつもと変わらない木嶋さんグループからの歓迎だった。




 コウくんの顔は見れなかった。


 見ることなんて、できるはずがない。


 私は彼との約束を破ってしまったんだ。


 それが例え一方的な約束であったとしても、彼を裏切ったことには変わりはない。




 もう嫌だった。


 変わりたいなんて思ったことが間違いだったんだ。


 なにが正しいのか、もうなにもかもがわからない。




「誰か教えてよ…」




 私はどうすればよかったのか。


 見い出せない答えを探そうと、ひとり校舎を彷徨うも、そんなものはどこにもない。




「あれ?美坂さん?こんなとこでどうしたの?」




 ただ屍のように歩くだけだった私に、話しかけてくる人がいた。


 誰だろう。ううん、もう誰でもいい。


 私はただ、振り向いた。




「士道くん…」




「今日はひとりなんだね。なら、辻村と一緒に帰ったほうが…」




 笑顔を浮かべる士道くん。


 彼なら、教えてくれるだろうか。


 いい人だし。生徒会長もやってたから、きっと色んなこともわかるはずだ。




 うん、きっと彼なら大丈夫。


 答えをくれるなら、もうそれで―――




「ねぇ、相談に乗ってもらいたいことがあるんだけど、いいかな?」

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