第24話
「そ、そんなこと言わないでよコウくん。私、まだ帰りたくないの」
帰りを促すも、美織は引き下がらなかった。
あの時のように僕を上目遣いで見上げながら、デートを続けようと懇願してくる。
それがわざとなのか、そうでないのか、僕には判別がつきそうにない。
確かなのは、今の美織をもう見ていたくないということだけだ。
「そうは言っても、これ以上は母さん達も心配すると思うし…」
「お母さん達には私から連絡するよ!だからねぇ、いいでしょ!?」
両親について触れることで、改めて帰る方向へと舵を切ろうとするも、即座に言葉をかぶせてくる美織。
その語気は荒く、穏やかな彼女に似つかわしくないものだ。
普段の美織なら、もっと理性的に説いてくるはずなのに。
今の美織からは余裕なんて欠片も感じることができないでいる。
「ね、ね!いいよね!私ね、新しいメガネ買うからさ!そうしたら明日はそれをつけて、学校に行くよ!コンタクトなんて、やっぱり私には似合わないもんね!コウくんもそう思ってたんでしょ!?」
声は興奮しているように震えているも、その顔が青ざめてるように思えるのは、寒さのせいだろうか。
元々透き通るような白い肌の持ち主ではあったけど、ポツポツと点灯を始めた街灯に照らされた今はいっそ病的なまでに青白く見える。
幻想的と言えば聞こえはいいが、今の美織は触れたら壊れてしまいそうなほど、儚く脆い人形のように思えてならない。
「この姿だって、本当はコウくんを驚かせるためのサプライズのつもりだったの!ただコウくんに綺麗だと思ってもらいたくて、ただそれだけだったんだよ!?色々あっておかしくなっちゃったけど、ほんとにただそれだけだったの!」
立ち止まる僕の腕を美織が掴んでくるも、その手は震えていた。
だけど、細い指先に痛いほどの力が篭められている。
強く、強く。
絶対に離さないとでもいうかのように。
「あと少しで冬休みだし、学校に行かなくてよくなるから、そしたら一緒に受験勉強をしようよ!一緒の高校に行こうって約束してたもんね!ね、ね!冬休みが終わったら三学期もあっという間だし、私達ももう卒業できるじゃない!そうして高校生になったらさ、私はまたいつもの私に戻るよ!メガネをかけて三つ編みで、根暗で地味な美坂美織に戻るから!ねぇ、だから…」
未来を語る美織の目には、大粒の涙が浮かんでいた。
僕の知っている美織と、アイドルである美織。どちらからも想像できなかった姿。
「一緒にいようよ、コウくん…もう少しだけ、コウくんも我慢してよ…」
まるで今日のデートがこのまま終わってしまったら、全てが終わってしまうとでも思っているかのような、悲痛に満ちた声だった。
「…………」
僕は一瞬、彼女の言葉に頷いてしまいそうになる。
美織の願いを、叶えてあげたいと思ってしまう。
「美織…」
実際、頷くのは簡単なはずだった。
美織の言うとおり、卒業まであと数ヶ月しかないんだ。
高校生になれば、これまでの美織が帰ってくるかもしれない。
それは僕にとって、とても魅力的な提案には違いなかった。
だけど―――
「…………帰ろう、美織」
結局、僕の答えは変わることはなかったんだ。
「ぁ……」
「もう暗くなる。美織が帰らなくても、僕はひとりで帰るよ」
美織の手から、すっと力が抜け落ちる。
その瞬間を見過ごすことなく、彼女の手をほどくと、僕は美織から少し距離を取った。
「……また、明日。学校で」
信じられないとでも言うかのように、目を大きく見開く美織の横を、僕は急ぎ足で通り抜ける。
すれ違う瞬間、美織の手は宙を彷徨っているのが見えた。
「ごめん…」
謝ることしか、僕にはできない。
「本当に、ごめん…!」
美織は気付いているのかわからないけど、無理だ。
無理なんだよ。一緒にいるなんて。我慢するなんて。
一ヶ月で、僕の心はもうこんなにもボロボロだ。
それをあと数ヶ月も耐えろだなんて、絶対に無理だ。
そしてなにより―――
「元に戻れるはずなんて、ないんだよ…!」
シンデレラは元に戻っても、王子様がやがて迎えにきた。
それは彼女の持つ輝きが、確かに本物であったからだ。
現在学校では既に学年問わずm美織の名前は広く知れ渡りつつある。
僕らが進学するだろう高校に、同じ学校の生徒がどれほど入学することになるかはわからないけど、美織のことを知らない生徒がいない確率は限りなくゼロに近いだろう。
なら、その生徒が美織のことを話したら?
たとえ地味なあの美織が帰ってきたとしても、またアイドルとして引き戻されてしまったとしたら?
そんなこと、考えたくもない。
絶対に耐えることができないだろう。
「弱い僕でごめん…」
僕らの関係はもう、とっくに破綻することが決まっていたんだよ、美織。
「一緒にいてあげられなくて、ごめん…!」
この声だって、置き去りにしてきた美織に届くはずがないってのに。
僕は誰に謝ってるっていうんだ、違うだろ。
「わかってる…」
なら、最後はせめて。
最後だけはせめて、ちゃんとしよう。
そのための時間が、ほんの少しだけ欲しいんだ。
覚悟を決めることができたら、最後だけはちゃんと向き合って、別れを告げることができるはずだから。
「ぐ、ううう…」
僕には泣く資格なんてもうないのに。
何故か涙が溢れて、止まらなかった。
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