第11話

「……あー、そういえばそうだったね」




「みおりん、彼氏いたんだっけ。忘れてたよー」




 美織が僕の名前を出した途端、どこか白けたような雰囲気が教室の中に流れ始めた。




「うん、だから抱きつかれるのは困るかなって。ごめんね」




「あ、いいよいいよ。気にしないで。私が悪かったし。それで、さっきの続きなんだけどさー」




 軽く両手を合わせて謝る美織。


 申し訳なさそうな顔をしている彼女に、それ以上なにかを言うこともできないのか、すぐに次の話題に移るようだ。




「…………」




 僕はグループの連中に気づかれないよう横目で一瞬様子を伺うと、心の中で大きくため息をついた。




(生きた心地がしないよ…)




 目線を参考書に固定してはいたものの、あの瞬間教室中の視線が僕に集まったのを確かに感じた。


 おかげで冬も間近だというのに、背中には一筋の汗が伝っている。


 手足も微かに震えているらしく、上手く力が入らない。




 注目されるのに慣れていないというのももちろんあるけど、一番の原因は僕を見る目に一切の好意が含まれていなかったことにある。


 目は口ほどにモノを言うと聞いたことはなるけれど、まさにそれだ。


 突き刺さった視線は物言わずとも、彼らにとって共通の疑問を確かに投げつけてきていたのだから。






 ―――なんでお前なんかが美坂さんと付き合っているんだよ、と。






 間違いなく、彼らはそう言っていた。


 言葉にしなくてもよくわかった。


 実際、この一ヶ月の間に言われたことだってある。


 通りすがりの他クラスの生徒と廊下ですれ違ったとき、僕の顔を見て「あいつがあの美坂の彼氏か?」なんて、無遠慮に鼻で笑われたのだ。


 明らかに見下され、蔑れたまま彼らは足を止めることなく、意気揚々と立ち去っていった。




 その時の僕の気持ちを、どう言葉に表したらいいのだろう。


 悔しさ。惨めさ。情けなさ。


 怒りと憤りも綯交ぜになり、それでもなにも言い返すことができず、ただ聞こえなかったフリをして歩くことしか出来なかったあの気持ちは、誰にも理解することなんてできないだろう。




 怒るなんて発想はなかった。


 追いかけて、「そうだ。僕が美織の彼氏だ。文句あるのか」


 そう言える人間なら、こんな訳のわからない罪悪感だって抱えることはなかったはずだ。




 明確な悪意を持って嘲笑われた経験なんて、僕のこれまでの人生で一度たりともなかった。


 喧嘩したことももちろんない。美織とだって、そんな経験なかったし、きっとこれからもないだろう。




 人を怒るのは苦手だ。


 自分みたいな人間が、誰かを怒る資格があるとも思わないし、なにより人を傷つけるのが怖かった。




 人に怒られるのも苦手だ。


 その人にとってはちょっとした注意であっても、悪いことをしたという罪悪感が心のどこかに傷として残り、ふとした時に思い出して、頭を抱えたくなってしまう。




 だけど、怒るのと怒られるのでは、後者のほうがマシだった。


 言い返すことをしなければ、相手は満足するから後は自分だけの問題で済む。


 どれだけ苦しむことになろうと、少なくとも他人を巻き込むことはない。




 そう思うと、少しだけ楽になれた。


 僕は人としてまともだ。少なくともあいつらとは違うと、自分で自分を慰めることができた。




 ……それが他人の評価も自分自身も、なにも変えるつもりがない、ただの自慰行為だとわかっていたけど。




 それでも、気持ちだけでもそう思えるなら、それでいいと思っていた。






 だけど、変えるつもりがないということは、なにも変わらないということと同意義だ。


 開き直ることすらできないというのなら、これからもこの無遠慮な視線をずっと受け続けなくてはならないということにほかならない。




 それは僕にとって耐え難いストレスだ。


 むしろこの一ヶ月を耐えただけで、自分を褒めちぎってやりたいとすら思う。


 案外自分は忍耐力があったんだなと、自重混じりの笑みが浮かんだ。




 ―――だけど、……さえ…………なければ……




 同時に、ある考えが、一瞬脳裏をかすめていく。




「っ…!」




 慌てて振りほどこうとするも、束の間、それは頭上で響くチャイムの音にかき消されていった。

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